徳島は総じて地味な土地柄だ。阿波踊りという、日本屈指の文化があるとはいえ、それ以外ではあまり全国的なニュースが発信されることはない。街の規模も人口27万人とささやかなもので、県庁所在の地方都市としては下から数えた方が早い。しかし今回再訪して、この街には大きなキャッチフレーズがあることに気づいた。《日本一空が広い街》である。吉野川の河口に広がる街は、その川幅によって広大な空間が確保されているのだ。
下の写真は、河口左岸から望んだ徳島市街である。中央の丘陵は徳島のランドマーク・眉山だ。撮影している私の背後は吉野川の堰堤の果てで、紀伊水道の波が打ち寄せている。この広大な空が、徳島市民の永遠の宝だ。
このあたりの吉野川の川幅は1.3キロメートル。「川幅」とは堰堤から堰堤までの距離を言うのだそうで、日本一の川幅は埼玉県の荒川中流域にあり、吉野川の河口は第2位だ。しかしその荒川の流れの幅は、普段は百メートル程度に過ぎないというから、いつも満々と水をたたえて海に注ぐ吉野川こそ、実質、日本一の川幅というべきであろう。徳島の《空》はその川が生み出すのだ。
私は対岸に渡り、市街地を抜けて眉山に登る。ロープウエーが店仕舞いをするころの時間で、冷えた暮れの大気の中に、色とりどりの街の灯が輝き始めた。そうした光の海を囲うかのように、太く黒い帯が延びている。吉野川だ。その帯を渡る何本かの光の列は橋だろう。
この河口に、さらに2本の橋が加わるのだという。東環状大橋は最河口部にすでに建設が始まっているし、さらに河口の最終地点の真上を通過する四国横断自動車道が計画されている。
橋は街と街をつなぎ、生活にはなくてはならない公共財だ。それを承知した上で「こんなにも建設する必要があるのか」と首を傾げたくなる。例えば一般道と高速道を、一体化して建設できなかったのか。少なくとも川と海が出逢う河口の真上に架橋するなど、景観美に対する冒涜ではないか、とさえ思う。
河口から14キロほど遡った石井町に、第十堰がある。旧吉野川への流水量を確保するため、江戸時代に建造された固定堰だ。これを可動堰に改造しようという国の計画に対し、計画撤回を求める住民運動が高まり、国や県が推進した計画は頓挫した。そのことは大きなニュースになったから、私も耳にした記憶があるのだが、今回、現地を案内していただき、いきさつがよく理解できた。
第十堰までの汽水域に広がる干潟の自然を守るということが、その時の反対運動の一つのエネルギーだった。都市近隣の河口ではすっかり姿を消した干潟が、吉野川ではなお残されているのだ。シオマネキが群棲するなど、希少種の宝庫でもある。《日本一空が広い街》の住民たちの意識が、今度は《空》の環境に向かった時、「せっかくの川と海のハーモニーを隠す橋はいらない」と高速道路の計画変更に燃え上がるのではないか。
第十堰の水門近くで、下校する小学生に出会った。兄と妹のようだ。妹のランドセルを兄が抱えて土手の急坂を登って来て、手をつないで堰堤を横断して行った。翌日、JR徳島駅で空港行きのバスを待っていると、お坊さんの一団が年末の募金を呼びかけ始めた。徳島は地味な土地柄ではあるけれど、風景も人々も、優しさに満ちているのだった。(2008.12.17-18)
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