今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

937 湯の山(三重県)湯の山の御在所岳は雲の中

2021-04-09 13:32:36 | 岐阜・愛知・三重
四日市の西、滋賀県との県境に御在所岳(1212m)という峰がある。鈴鹿山脈に含まれ、切り立った山頂からは伊勢湾まで見晴らせて、眺望がすこぶる良いらしい。山麓に「湯の山」という温泉郷があって、そこからロープウエーが山頂近くまで延びている。そんなことを以前、津で暮らす幼馴染に三重県南部を案内してもらった際、聞いたことを思い出した。四日市滞在に時間の余裕ができたので行ってみる。温泉に浸かるのもいいかもしれない。 . . . 本文を読む
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936 四日市②(三重県)土鍋にも萬古不易の意地がある

2021-04-08 05:27:12 | 岐阜・愛知・三重
近年「工場夜景」が人気スポットなのだそうで、その「聖地」を謳う四日市は「コンビナート夜景クルーズ」がほぼ毎夕、運航されている。純粋に生産効率のみを追求するコンビナートが、結果として無機質の美を出現させる夜景は確かに美しく、観光客で賑わっているようだ。だが群れることが苦手な私は三滝川の河口に近い大正橋脇の堰堤に立ち、製油所のプラントにカメラを向けている。暗くなった上空を、旅客機が中部国際空港へと降りて行く。 . . . 本文を読む
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935 四日市①(三重県)艱難を乗り越え花咲く四日市

2021-04-07 19:53:36 | 岐阜・愛知・三重
四日市市の中心部に「鵜の森」という公園がある。満開の桜林を、子供たちが走り回っている。市民のマスク姿を除けば、いつもと変わらぬ平和な風景なのだろう。私は初めてやってきた街を歩き、その公園でしばし疲れを癒している。そして「この街は二度、空襲に遭ったようなものだ」と思い、この平和を得るまでにどれほどの苦労があっただろうかと考えている。「二度」とは、戦争での空爆と、それから10年ほどして街を襲った大気汚染である。 . . . 本文を読む
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762 常滑(愛知県)滑らかな床(土)が焼かれて朱の急須

2017-03-06 15:36:28 | 岐阜・愛知・三重
陶磁器産地に対する私の執心はいよいよ募り、スケジュール変更で空白が生じた今日は、駆り立てられるように東海の常滑を目指すことに。常滑焼は、日本六古窯の内でも最古最大の歴史を有し、すでに平安末期から鎌倉時代には、膨大な壺や甕を全国に出荷する大窯業地だったという。かつての主要製品である巨大な土管や焼酎甕が坂道の土止めに転用され、独特の佇まいを残す街らしい。「滑らかな粘土層(床)の地」がその名の由来だとか。 . . . 本文を読む
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716 高山②(岐阜県)古椅子の故郷を訪ね「こんにちは」

2016-07-19 04:41:15 | 岐阜・愛知・三重
わが家に古い木製の椅子がある。私が仕事に就いて間もないころ、前橋市の家具店で買ったのだから、もう45年は使い続けていることになる。店で「飛騨の椅子」だと聞いた記憶がある。まだ飛騨が家具の産地であることも知らず、木組みのバランスがとてもいいと感じて衝動買いしたのだった。当時の私にとっては高い買い物だったけれど、私や、受験期の息子が酷使してきたにもかかわらず、故障は全く見られない。 . . . 本文を読む
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715 高山①(岐阜県)街並みに異言語いっぱい交わされて

2016-07-18 12:23:28 | 岐阜・愛知・三重
飛騨に高山ありと耳にはするけれど、歩いてみれば実に小さな街である。宮川の流れを挟んで、陣屋と古い街並みという観光名所がある程度なのだ。天領の面影を残す街としては、九州・日田に似ているかもしれない。いま、地方の多くの商店街は寂れている。しかし狭く小さいと映った高山は、歩いているうちに違いが見えてくる。市民の商店街らしい本町通りや安川通りも元気に維持されているのだ。街が活きている。 . . . 本文を読む
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714 飛騨古川(岐阜県)昼下がり静まり返る飛騨の街

2016-07-16 20:58:30 | 岐阜・愛知・三重
「飛騨」とは何か。この列島で「最も山深い国」のように私には感じられる。単なる「奥地」ということではない。京の都からさほど遠くなく、古くから人の暮らしがあったのだろうし、むしろ蓄積された文化を秘めてさえいるようでもある。だから信濃とは違う陸奥とも異なる、「得体の知れない山深さ」を憶えるのだ。飛騨は古くは斐太と書いた。ヒダは山襞のことだろうか。越えても越えても次のヒダが現れるように。 . . . 本文を読む
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713 白川郷(岐阜県)山の神恐れおののき手を合わす

2016-07-16 08:31:04 | 岐阜・愛知・三重
ハイウエーを疾走して来て、初夏の光溢れるこの郷を展望すれば、「まあ、奇麗!」「いいところねぇ」などと歓声を上げたくなるのも分からないではない。世界遺産・白川郷である。しかし、ぐるりを山々に包まれて、隠れ里のごとく踞るこの小宇宙に、厚く雪が積もった景色を想像してみるがいい。踏み分け道しかなかった時代、孤絶した山中では生きることで精一杯だったろう。その厳しさがこの特異な集落を生んだ。 . . . 本文を読む
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712 郡上八幡(岐阜県)清流に鮎と徹夜の踊りかな

2016-07-15 16:17:49 | 岐阜・愛知・三重
「ぐじょうはちまん」という街の名を耳にするたびに、どうも通称らしいと思いながらも、正しくは何という自治体なのか、確認することなく過ごしてきた。岐阜県中央部に位置する、私の暮らしとはまるで接点がない地方であるから、深く知る必要はなかったのである。ただこの街を紹介する書や番組は、夜通し続く盆踊りやお城など、例外なくその風情を讃えているものだから、いつか訪ねたい街だと意識してきた。 . . . 本文を読む
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711 有松(愛知県)絞り上げ魔法のごとく染め上げる

2016-07-14 21:05:20 | 岐阜・愛知・三重
かつて桶狭間の古戦場を見物した折りに「有松」を案内していただいたことがある。街並みを見物しながら「絞り」の技法に接してみるのも一興です、ということだった。浴衣や暖簾など、製品としての「絞り染め」はもちろん知っているつもりだったから、何が一興かと思わないでもなかったけれど、実際に目にしたその工程は、唖然とさせられるほど手の込んだ緻密さだった。一興どころか、一驚させられたのである。 . . . 本文を読む
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710 多治見③(岐阜県)暑さなど負けてたまるかうながっぱ

2016-07-07 05:36:02 | 岐阜・愛知・三重
多治見といえば「暑い!」である。2007年には国内最高の40.9度(その後、高知県で41.0度)を記録、猛暑日日数でも関東の熊谷や館林と日本一を競っている。街の人はその話題になると「ホントに暑いんです」と、諦めたような顔をする。夏至のこの日、もうすぐ日没だという時刻の多治見駅前は、大きな温度計が28.6度を示している。この街が美濃焼の中心地になったのは、この鉄道と関係が深い。 . . . 本文を読む
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709 多治見②(岐阜県)ブランドに頼らなくても陶磁力

2016-07-06 12:22:23 | 岐阜・愛知・三重
美濃焼を訪ねる今回の旅で、私が最も心惹かれた作品はこの婦人像である。ただしこれは美濃焼ではない。岐阜県現代陶芸美術館所蔵のイタリア人作家の作品である。開催中の企画展に展示されていたのだが、写真撮影は不許可だった。しかし隣の撮影可の作品を写したアングルの隅に写り込んでいたのだ。だからピントは甘いが、それでも掲載はいけないと言われたら削除するしかない。だがこのボリューム、彩色、素晴らしいではないか! . . . 本文を読む
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708 多治見①(岐阜県)陶磁器の最大産地はオリベ色

2016-07-05 15:12:35 | 岐阜・愛知・三重
多治見市役所のエントランスロビーは、大胆に土を抉って逆巻く渦を表現した、巨大な陶壁で飾られている。釉はもちろん「オリベ」である。そのことが、ここが美濃焼の本場であると語りかけてくる。多治見市と、隣接する土岐市、瑞浪市など岐阜県東南部は、国内産陶磁器の50%超を出荷している大窯業地帯なのだ。私はこのところ「美濃焼」なるものに関心を持っている。窯業についての疑問もある。そのことが私を多治見に誘った。 . . . 本文を読む
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297 松阪(三重県)・・・鈴屋より城が似合うか私には

2010-09-05 08:34:04 | 岐阜・愛知・三重
松阪を歩くのはこれで3度目になる。しかしこれまでは本居宣長記念館に直行し、その展示を眺めて旧居「鈴屋」に立ち寄り、次の目的地に向かうという慌ただしさだった。今回も「鈴屋」までは同じことだったが、そのあと城跡をゆっくり見物し、市中も歩いてみる余裕があった。伊勢と関西をつなぐ交通の要衝にあり、城下町でありながら豪商が生まれる気風が宣長の学問にも関係していたように感じられた。暑い一日だった。 松阪を . . . 本文を読む
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294 大王崎(三重県)・・・水軍も絵かきの町で太平洋

2010-08-24 21:49:54 | 岐阜・愛知・三重
何とも豪快な地名である。紀伊半島の東端、熊野と遠州の灘を分けて複雑に入り組んだ海岸線の先端、大王崎のことだ。かつて九鬼水軍が砦を築き、列島有数の船の難所を仕切った岬である。その城山に守られた漁師町・波切(なきり)は、静かな昼下がりを迎えていた。男たちは漁から帰り、まどろんでいるのだろう。街は、コトリとも音がしない。だから女たちは、満開の河津桜に埋まる大慈寺で、心行くまで花を愛でているのだった。 . . . 本文を読む
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