◆師・江藤淳の弔い期間(6/21~7/21)のうち、既に半分の日時が過ぎた。 前述のように、6/21から、はらぺこあおむし作戦を開始。 まず「げつようび、りんごを、ひとつみつけてたべました」と這いはじめる。 全体を掴み、理念で動くのではなく、指先の爪から描く。 目尻から描く 鼻の穴から描くのだ。 これは師の志とは逆、真逆のはずだ^^;。 ◆江藤淳が自刃した年(1999)の暑中見舞いや翌年の賀状に、わたしは「教育だけが人生だ」と書いている。 だれかれに書き散らしている。 江藤淳に遠くおいていかれたというあきらめと、教育だったら師には負けないという自負心とが入りまじっていたのだと思う。 7/21で、あれから11年たったことになる。 ◆目の前の、具体的な教育的課題が消滅した後(←これ、決して「課題」をクリアーしたという意味ではない。単に、取り組まなければいけない職務から解放された……だけだが)、なお、わたしに、自分のエネルギーを爆発させ、「教育だけが人生だ」と言い切る執念があるか? ここ、しばらく、はっきりいえば結局、この問いに対する返答を、自分に迫っていたのだ。 ◆執念があるともいえる。 ないともいえる。 微妙なところだ。 毎週発行される「教務週報」には、毎日の授業・行事・教職員の動向とともに、その週の各校務分掌からの目標が掲載されている。 例(6月2週) 校長=子ども思い、保護者思いの教師になる。 総務=帰る際の戸締まり、机の整頓に気を配ろう。 教務=教育実習生から学ぶことも多いなぁ。実習ラスト1週間。 研修=黒板に向かって話をしない! 生徒指導=衣替えを機会に服装の点検を。 保健=残さいを出させないような指導の工夫を。 職員朝会で乱氏が、これらの目標について語っているのを聞いているとき(←秒単位の時間だったのだが……)、教育課程に記述された教育目標や方針などが、現実の「感じ」として伝わってきた。 微妙な話だが、この微妙な「感じ」がなんともいえない。 ◆同じ職員朝会で養護教諭の安珍氏が「生徒の健康診断結果」という冊子を教職員に配って「その中の視力結果をみて、眼鏡の有無、座席位置の適否を確認してほしい」という発言があった。 これもわれわれの行為が教育目標達成に直結している「感じ」が伝わってきた。 「おお、これが教育の仕事だぁ~」と感じた。 ◆話が飛躍するようだが、「だから、はらぺこあおむし作戦、まず、這ってみよう」と思っている(*^_^*)。 あおむしが這うとき、どんな音がするのだろうか? ペン先が原稿用紙の上を移動するときのような音だろうか? その音の連なり、その音の継続だけが人生だ……というところだ。 ◆関連記事 ・教育行為や時間・場面が、教育目標などの指し示す方向に ★画像=小田八幡宮参拝。隅々、「日本」という感じがゆきとどいている。この界隈の神社では、いちばん心がシンとする。 にほんブログ村 ★わたしの公式ホームページにも、ぜひ、来てください。公式ホームページには、トータルの、全身の、わたしが存在します。待ってまっせぇ~ィ !!!!!!!!!! ☆公式ホームページへ ★わたしのWEB無人駅線のページにも、ぜひ、来てください。あっというまに、魂が無人駅線の世界に、全身、移動できます。待ってまっせぇ~ィ !!!!!!!!!! ☆WEB無人駅線ページへ |
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