★先日、このブログに――「心身ともにやや不調(ノ△・。)。『心』のほうは、頭が拡散(情報バラエティー番組化)し……(中略)……『身』のほうは、食い過ぎ&飲み過ぎ。胃もパッとしない。(8/18の記述)」――と書いた。 でも、昨日、「心身ともにやや不調」という言い方は間違っている……ということに気がついた。 朝、あるいは前日の夜、頭で、①これとこれとこれとを、あるいは、あれとあれとあれとを、②あそこから&ここから抽出し、③こうやって&ああやって、組み立て、④こういうものを創出しよう……と頭でわかっているのに、まったく、やる気になれない(ならない)、キーボードにも向かえない……という状況に陥ることが、よくある。 僕の場合、すぐ、それを「心」のせいにするところがある。 でも、これは違うのではないか? 身の上を振り返ると、僕の「心」は、頑迷で鈍感だ。 だが、ヤワ(柔)ではない。 心的に絶望するというようなこととは無縁の人生だった。 だから、「まったく、やる気になれない」という絶不調は、僕に限っていえば、すべて「身」のせいなのではないか? イチロー選手の徹底した体調管理は有名だ。 彼がベストの状態でグランドに立てるように努力するように、僕もベストの状態でキーボードに向かえるように、日々、体調管理に徹してみよう……と思っている。 ここ、しばらくのモットーは「1に足腰、2に文体」だった。 しかし、「足腰」というと「鍛える」という意味合いが強い。 鍛える度合いが強すぎて、「身」が疲労する。 それが「心」に悪影響を与えるという循環に陥っている。 だから「1に体調管理、2に文体」に変える(*^_^*)。 ちなみに――いつもの過去記検索中にたまたま見つけたのだが――教頭時代のモットーは「1に健康、2に奉仕、3に宇宙もしくは文学」(「教頭ダラダラ日記」から)だった。 ま、僕の思いの正確なところは、「心の不調の原因は、身の不調にある」と言い切ることによって、すぐふてくされる、甘えん坊の「心」をあやし、その気にさせよう……あるいは、あるいは、夏の最後の光輝に、振り絞り顔をもたげるヒマワリのような、終末的な活路を見いだそう……ということなのかもしれない。 ★画像=生野運河(平野川)。 「生野運河」は僕の命名。 この運河沿いの道が高校時代の通学路だった。 僕の宇宙だ。 プロの写真家osakawalker氏にリクエストしたら、なんと、これにこたえていただけるという幸運に浴した。 感謝のことばもない。 ★関連記事 ・★そうや、今年は庭一面にヒマワリを植えよう。ヒマワリを眺め、Viottiのヴァイオリン協奏曲を聴こう ・★この「巨大ひまわり」が夏の最後の光輝を浴びつつ、ひと夏の終末を告げる時までの3ヶ月間、僕は僕の ★僕の公式ホームページへ★★★★ ★僕のWEB無人駅線ページへ |
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