万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

対コロナ日中韓ASEAN連携の罠

2020年04月15日 11時32分56秒 | 国際政治

 新型コロナウイルスの感染拡大の危機に直面して以来、安倍政権の支持率は下降線を描くようになりました。それもそのはず、武漢においてSARSに類似する有毒性の高い未知の感染病が流行っていることを知りながら、春節にあって中国人訪日客を野放しにし、かつ、習近平国家主席の国賓来日を実現したいがために、中国に‘忖度’し続けたのですから。国民の中から‘政府は国民よりも中国が大事なのか’という怒りと落胆の声が起きるのも頷けます。

 世論の反発を受け、ようやく政府も中国からの入国を禁止するようになりましたが(4月に入って中国人が入国しているとする情報も…)、その親中ぶりは以前と然程には変わっていないのかもしれません。本日も、日中韓・ASEANの首脳によるテレビ会議が開かれ、これらの諸国の間でコロナ禍の収束に向けて緊密な協力が合意されたそうです。しかしながら、この合意、またもや日本国は、中国の罠に嵌まっているのではないでしょうか。

 そもそも、同会談を提案したのは‘どの国’あるいは‘誰’であるのか不明です。最もあり得るのは、同会談に顔を出した中国の‘首脳’が習近平国家主席であれば、全世界に吹き荒れる対中批判をかわし、コロナ禍を世界支配のステップとして利用したい中国ということになりましょう。何れの国にあっても対中感情が著しく悪化している状況にあって、周辺諸国の首脳が、同国に連携を呼びかけるとは考えられないからです(あるいは、カンボジア等の親中国を裏から操ったのかもしれない…)。仮に日本国政府が中国を加えた国際協力の枠組みを提案するためにイニシアティヴをとっていたとしますと、安倍政権の支持率はさらに落ち込むことも予測されます。

 そして、さらに驚かされるのは、安倍首相の発言です。同会議において首相は「国境を越えて拡散するウイルスに対峙するには国際協力が不可欠だ」と指摘すると共に、「自由、透明、迅速な形で情報や知見を共有すべきだ」と呼び掛けたと報じられています。これらの言葉には、情報を隠蔽し、かつ、適切な措置をとらずに国境を越えてウイルスを広げた中国に対する批判は含まれていません。もちろん、中国からの謝罪の言葉はなかったことでしょう。

中国に対する責任追及が全くなかったことに加えて、情報や知見の共有を申し出たとなりますと、呆れるとしか言いようがありません。新型コロナウイルスがパンデミック化した最大の原因は、首相の言葉にある‘自由、透明、迅速’と真逆の中国の態度にあります。一党独裁体制の下で、中国は、常々情報を徹底的に管理し、隠蔽に勤しみ、開示を渋ってきました。今般のコロナ禍にあっても、情報や知見そのものに虚偽が多く、中国、並びに、中国の影響下にあるWHOの情報が信頼に値しないことは、いやというほどに思い知らされたはずです。厳格な情報統制を以って体制を維持している全体主義国と情報や知見を共有するなど、悪い冗談としか思えません。否、‘情報と知見の共有’が意味するところとは、‘中国が発する情報と知見を疑うことなく大人しく従うこと’なのかもしれません。それとも安倍首相は、中国に対して最高の皮肉を以って牽制しているのでしょうか。

中国は、日本国を初めとした周辺アジア諸国を対コロナの協力枠組みに囲い込めば、自国に対する防護壁を得ることができると考えたのでしょう。同枠組みを利用すれば、中国責任論が薄らぎますし、コロナ禍収束後に予測される反中国・脱中国の動きをも止めることができると踏んだのでしょう。この枠組みを利用すれば、中国は、欧米諸国では不良品として大量に返品される中、凡そ独占状態にある自国製のマスクや防護服といった医療物資を売り込むことができます(因みに、首相は、日本企業である富士フィルムが開発したアビガン錠にも触れていますが、中国では同薬の特許が切れているため、中国のメーカーは、アビガン錠の後発薬を大量に製造・輸出できる…)。しかも、日本国はアメリカの同盟国でもありますので、日米離反の効果も期待でき、中国にとりましては一石二鳥にも三鳥にもなるのです。

軍事や政治の世界には偽旗作戦というものがありますが、日本国の保守政権が共産主義国に靡き、国民を蔑ろにしているとしますと、これも同作戦の一つなのかもしれないとする不安が脳裏を過ります。故意であれ、過失であれ、中国がまき散らした新型コロナウイルスによって日本国のみならず世界が甚大なる損害を被っている現状を考慮しますと、その責任を中国に問いこそすれ、近づかざるべきであり、ましてや、ゆめゆめ中国が仕掛けた罠に自らかかってはならないと思うのです。

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コロナ対策からベーシック・インカムへの危ない道

2020年04月14日 13時04分29秒 | 国際政治

 新型コロナウイルスのパンデミック化により、今日、世界経済の減速感が増してきております。その理由は、各国政府が敷いた都市封鎖や外出・営業自粛要請等の措置により、とりわけ都市部を中心に経済活動そのものが半ば停止状態にあるからです。国民生活への影響も甚大であり、所得の減少を補うべく、休業補償や給付政策を導入した政府も少なくありません。こうした中、全ての国民に一律に給付金を支給するベーシック・インカム制度の支持派の勢いも増しており、誤報とはいえ(実際には、貧困層向けの給付制度…)、スペインではナディア・カルビニョ経済相が永続的な措置として同制度の導入を宣言したとする報道も駆け巡りました。

 同宣言の背景に、都市封鎖から3週間余りにして90万人が職を失ったスペイン経済の危機的状況を指摘することができます。1986年のEU加盟国当時は前途有望な投資先として脚光を浴びたものの、その後の冷戦終結による中東欧諸国の加盟、並びに、グローバル化の波に乗った中国の台頭により、スペインは製造業拠点としての魅力が薄れていました。製造業が弱く、人と人との接触を要するサービス業頼りのスペイン経済の脆弱性が、都市封鎖による失業者の激増として現れたのかもしれません。

 スペインにはそれ固有の国内事情があったとしても、コロナ禍を機としたベーシック・インカム制度の導入の主張は同国に限られたことではなく、日本国内を初め、各国の政界やメディア等においても散見されています。実のところ、フランシスコ法王も支持を表明していますし、イスラエルの歴史家であるユヴァル・ノア・ハラル氏に至っては、同制度の導入は人類の‘進化’における既定路線であり、いわば、コロナ禍が他の選択肢を封じる役割を担ったかの如くに論じています。あたかも一つの計画が存在しているかのように…。一斉に同一の方向に向かって影響力のある人々がメディアを動員しながら動き出しますと、常識という名のセンサーが働き、どこかに怪しさが感知されるのですが、この警戒感はどこから来るのでしょうか。

 ベーシック・インカムの導入を主張する人々は、同制度の導入によって‘この世の楽園’が実現するかのように語っています(北朝鮮のプロパガンダのよう…)。人々は生きるために働く必要はなく、貧困層もなくなり、生計を気にすることなく好きな職業にも就け、加えて行政コストも削減できるのですから、良い事尽くめのように聞こえるかもしれません。しかしながら、デメリットに目をつむってメリット面ばかりをピックアップして列挙する手法は説得力に欠けますし(詐欺の常套手段でもある…)、必ずしも絵に描いたような理想が実現するわけではないことは、現実を見れば誰もが予測はつきます。例外や反証を挙げれば切りがありませんし、怠惰な性向の人々が多数であれば、一日中、何らの生産的な活動を行うことなくオンラインゲームで遊び暮らす人々も現れることでしょう。そもそも、人々の個性や多様性を考慮すれば、ベーシック・インカムを‘この世の楽園’と決めつけ、その幸福感を押し付けること自体が傲慢なのであり(幸福感は人によって違う…)、そこには、人類を画一的なものと見なす全体主義的な思考傾向が読み取れるのです。

 そして、何よりも、ベーシック・インカム制度には、今日の経済システムの基盤を根底から崩壊させかねないリスクが潜んでいます。人類は、集団を生存形態としてきましたし、自給自足ができる人は極めて稀です。人は一人では生きられませんので、人類の経済発展のプロセスを観察しますと、個々の間の自由な‘交換’が極めて重要な役割を果たしてきたことに気付かされます。全ての職業は他者に役立つものを提供することで成り立っており、その相互交換による非ゼロ・サム的な価値の創出によって富も生み出されているのです。ところが、ベーシック・インカムの基礎は、‘交換’ではなく、‘配分’にあります。

すなわち、同制度は、人々の自由意思に基づく生産や消費という観点が抜け落ちており、社会・共産主義と同様に、‘上’から与えられる状況を以って経済の基盤と見なしているのです。おそらく、その思想的な源流は、集団の長が構成員たちに獲物の分け前を与える役割を果たしていた狩猟・牧畜社会、あるいは、略奪を生業とする‘賊’集団にあるのかもしれず(独裁体制との親和性も高い?)、人類の生存形態としては、構成員各自の生命維持という最低限の条件は満たしているのかもしれませんが、しかし、それが人類に物心両面における豊かさや精神性を含めた発展をもたらすのか、と申しますと、それには大いに疑問であります。壮大なる実験とも称された社会・共産主義が失敗に終わったように(もっとも中国は、失敗とは認めていないかもしれない…)、政府への依存度が高まるベーシック・インカムの導入は、人々が自立性や自由を失う配分型の全体主義体制への入り口となるのかもしれないのです。

もっとも、資本主義もまた、経済システムの基礎を‘借金’に置き、人と人との関係が債権者と債務者という非対等な関係となり、かつ、その破裂によって人々の生活基盤を壊してしまうバブルを制御できない点等において重大な欠陥があり、こちらもまた今日にあって経済システムとしての問題が露わとなっています(もっとも、近年におけるIT大手の登場は、‘貨幣’から‘情報’への富の源泉の移行を想定した、プラットフォーマーとユーザーとの間の新たなスタイルの支配・被支配関係を意味するかもしれない…)。新型コロナウイルス禍が経済システムの転換点となるならば、ポスト・コロナ時代にあって目指すべきは、社会・共産主義でも既存の資本主義でもない、人々の間の相互交換性を基礎とする、より公平であり、他害性がなく、相互の自立性や個性が尊重されるシステムではないかと思うのです。


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辻褄が合わない新型コロナウイルスアメリカ起源説

2020年04月13日 13時16分18秒 | 国際政治

 トランプ大統領が新型コロナウイルスの発祥地を中国の武漢とし、‘チャイナ・ウイルス’と呼ぶ一方で、中国は同呼称に対して憤慨し、アメリカ軍起源説を唱える展開となりました。後日、米軍持ち込み説を唱えた中国外交部の趙立堅副報道局長が釈明したことで、一先ず事は収まったようなのですが、同ウイルスの起源については、未だに残り火が燻っているように思えます。

 米中両国の動向、並びに、メディア等の論調を見ますと、人工ウイルス説を否定する方向性では足並みを揃えているようです。神からの罰とみなしたフランシスコ法王に続き著名な霊長類学者も、自然との調和を忘れた傲慢な人類に対する自然の反逆ではないかと語っています(もっとも、新型コロナウイルス禍とは直接に関係はないとしても、自然保護自体は必要。ただし、野生動物との接触が頻繁な中国大陸が感染病の震源地となる傾向にある点は、むしろ人と動物との距離の取り方の重要性を示唆しているのでは…)。また、今般の新型コロナウイルスの感染拡大を機に一躍その名が知られるようになったアメリカのCDC(アメリカ予防疾病管理センター)も、その開設されているサイトを読む限り、新型コロナウイルスもMERSやSARSと共に野生動物由来のコロナウイルスの一種に属するとする自然発生説を採っています(もっとも、遺伝子操作が加えられている可能性については、含みをもたせているのかもしれない…)。米中のみならず、主要国の多くが密かに生物兵器の研究・開発に手を染めており、また、同研究の背後には国際組織や民間団体も蠢いていますので、人工ウイルス説は、それが憶測や合理的な推理であったとしても触れてほしくはない領域なのでしょう。

 同ウイルスの起源に関する闇はますます深くなってしまったのですが、人工ウイルス説の否定においては歩調を合わせながらも、米中両国の見解は完全に一致しているというわけではないようです(因みに、ロシアは人工ウイルス説…)。アメリカの基本的な立場は、初期段階での中国政府の見解と凡そ一致しているのですが、中国側は、人工ウイルス説、即ち、米軍による生物兵器使用説は取り下げながらも、同ウイルスの発祥地を武漢と断定することには未だに抵抗しているようです。

 中国政府が描くシナリオとは、おそらく、9月からアメリカ国内で流行し始めたB型インフルエンザの感染者の中に新型コロナウイルスの感染者が混じっており、後者に感染したアメリカ人が中国の武漢に持ち込んだ、というものなのでしょう(10月に武漢で開催された軍人オリンピック?)。米国内でのインフルエンザの流行は事実ですので、この説も頭から否定はできないように思えます。しかしながら、この説、現実に照らしますと辻褄が合わないのです。

 第一に、仮に、昨年の秋頃から新型コロナウイルスがアメリカ全土で流行りだしていたとしますと、何故、今に至って、ニューヨークにおいて医療崩壊が起きる程の新型コロナウイルスの感染者が激増しているのか、合理的な説明がつきません。インフルエンザを遥かに上回る新型コロナウイルスの驚異的な感染力からしますと、発生から半年もの時間を経過することなく、より早い時期に爆発的な感染拡大が起きているはずです。武漢でも、最初の感染者の確認は9月ともされていますので、アメリカが起源であるならば、より早い時期に、かつ、全米の都市部において武漢並みの事態が発生していたはずなのです(昨年の秋頃から米国大陸で流行っていたインフルエンザと、新型インフルエンザは明らかに別物では?)。なお、最近の報告では、米国内の新型コロナウイルスは、中国からではなくヨーロッパ経由の移入が多いそうです。

 第二に、新型コロナウイルスを、雲南菊頭コウモリといった中国固有のコウモリ種やハクビシンに寄生するウイルスから自然に変異した異株とみなす以上、中国発祥は動かしがたくなります。中国のようにアメリカ起源を主張するならば、アメリカのウイルス研究機関が保管していた同ウイルスが漏洩した、あるいは、中国によって盗取されたと考えるしかないのですが(後者については、実際に中国人の逮捕者が存在している…)、前者であれば、上述したようにアメリカ国内での感染拡大時期が武漢に遅れるのは不自然ですし(同時期における米国内でのウイルス研究施設の閉鎖が指摘されていますが、仮に、関連があるとすれば、新型コロナウイルスではなくB型インフルエンザでは…)、後者であれば、中国には免れ得ない責任があります。

 第三の疑問点は、中国政府による徹底した情報隠蔽工作と守りの姿勢です。仮に、アメリカ起源を主張するならば、科学技術先進国を自認する中国は、収集した膨大な量のデータを公開し、それに基づいて堂々と自説を科学的に証明し得るはずです。米中対立の先鋭化を考慮しますと、中国は、積極的に対米批判のために利用し、全世界レベルで反米プロパガンダを展開してしかるべき、ということになりますが、何故か中国政府は、積極的に自説を証明しようとしてはおりません。

 以上に新型コロナウイルスのアメリカ起源に関する疑問点について述べてきましたが、実のところ、真実を知っているのは人類の内の極々少数なのでしょう。懸命な火消しにも拘わらず、人工ウイルス説が燻り続けるのも、それを否定する国や組織に対する信頼性が低いからなのかもしれません。全体主義国であれ、自由主義国であれ、政府もマスコミも嘘を吐くことを人々はよく知っていますし、中国に至っては、常に真偽が逆なのですから。そして、背後にあって様々な勢力が入り乱れての情報戦が戦われ、かつ、新型コロナウイルス禍の政治利用が目立つようになるにつれ、疫病のみならず、これを機に全人類を支配の頸木に繋ごうとする勢力とも、人々が闘わざるを得ない現実に気づかされるのです。新型コロナウイルス禍は、ポスト・コロナにあって情報隠蔽や不当な支配なき善き世界を築くことができるのか、生物界にあって最高の知性を有する人類の知恵と勇気を試しているようにも思えるのです。


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経済活動を再開するためのウイルス検査について

2020年04月12日 12時41分24秒 | 国際政治

 現在、日本国を含め、新型コロナウイルスに対する検査方法の主流となっているのは、体内におけるウイルスの有無を判定するPCR((polymerase chain reaction)方式です。その一方で、報道によりますと、欧米各国では、規制解除後の経済活動の再開を睨んで、ウイルスそのものではなく抗体の有無を調べる抗体検査の実施が検討されているそうです。両者には一長一短があるのですが、感染者を減らし、かつ、経済活動を平常化させるためには、抗体検査のみでは心もとないようにも思えます。

 抗体とは、病原性のあるウイルス、細菌、微生物に対して身体の獲得免疫のシステムが働くことによって産生されます。通常は、発症から1週間程度で抗体が産生され、免疫力を獲得するそうです。つまり、ウイルスに感染して回復した人の体内には抗体が発現していますので、血液等の検体を採取して検査し、抗体が確認できれば、一先ずは、再感染の可能性は低く、かつ、他者に対する感染力も消滅したものと見なされるのです。新型コロナウイルスの治療方法として試みられた血清療法も目下、各国の製薬会社が開発に鎬を削っている予防ワクチンも、人体の免疫システムを利用しています。また最近では、15分程度で判定可能なイムノクロマト法といった特異的抗体検査法も登場してきており、新型コロナウイルス版の早期開発も期待されているそうです。

しかしながら、殊、人工ウイルス説が囁かれている新型コロナウイルスともなりますと、自然界の法則に逆らう可能性もないわけではありません。実際に、回復者の中には症状が再発したケースもあり、同ウイルスに対する抗体については疑問がないわけではないからです(悲観的な見方をすれば、エイズのように宿主の免疫システムそのものを破壊するかもしれない…)。抗体が産生されながら他者に対する感染力を有するケースもあるかもしれませんし(専門家ではないので間違っていたらごめんなさい…)、予防ワクチンも経年によって免疫効果が低下するそうです。効力の個人差に加え、インフルエンザのように変異性の高いウイルスに対しては罹患を完全には防げませんので、抗体効力の持続性にも疑問があるのです。

そして何よりも不安になるのが、抗体検査の導入が、感染した人の経済活動への復帰を目的としている点です。イギリスでは「免疫証明書」の発行も提案されているそうです。こうした証明制度は‘抗体があれば感染力はない’との前提に基づくのですが、上述したようにこの前提も崩れる可能性がありますし、新型コロナウイルスは無症状感染を特徴としていますので、規制解除後におけるその他大多数の人々の感染リスクは、何ら変わらないこととなります。

そこで、最も感染率が低く安全な状態を想像してみますと、それは、「免疫証明書」を全ての人々が手にしている、即ち、凡そ全ての人々が抗体を有する状態となります。となりますと、むしろ、感染を予防するよりも促進した方がよいという、奇妙な結論に至ってしまいます。この発想は、集団免疫と呼ばれるらしく、社会全体の6割越え程度が免疫力を獲得した状態を意味するそうです。この点に照らしますと、今般、各国が実施している封鎖措置は、感染スピードを穏やかにし、医療崩壊を防ぐ点においては効果があるのすが、集団免疫の獲得という目的には適していないということなりましょう。そして、感染の拡大阻止と集団免疫の獲得という二つの相反する目的を同時に追求し、かつ、抗体検査を経済・社会復帰への前提条件としますと、幾つかの問題が浮き上がってきます。

第一に、集団免疫を何としても達成すべき目標として設定するならば、人と人との接触による自然な感染の広がりを待つのではなく、ワクチンを使用すれば、より簡便に目的を達成することができます。しかしながら、ワクチンの安全性や効果については、上述したように新型コロナウイルスの特性が不明瞭なために不確実性が高く、しかも、年内における開発・提供は困難とされます。

また、仮にワクチンの開発に成功したとしても、集団免疫を実現するためには、全ての人々にワクチン接種を強要する必要が生じます。ここから生じる第二の問題点は、ワクチンの強制接種の問題です。ワクチンに対する懐疑論や危険視は今に始まったわけではなく、コロナ前にあっても一定の広がりを見せていました。今般の新型コロナウイルスに至っては、陰謀説の影響もあり(陰謀説は必ずしもフェイクともいえない…)、特に民主主義国家では国民に対するワクチン接種の強制には抵抗も予測されます。

そして、第三の問題点として指摘し得るのは、営業再開や職場復帰等の条件として抗体検査が義務付けられた場合、抗体をもたない無感染者、即ち、‘免疫証明書’を持たない人々が経済や社会からはじき出されてしまう懸念です。それが少数であるのか、多数であるのか、今のところは分からないのですが、無感染者であって、かつ、ワクチン接種を拒否した人は、いわば、この世に‘存在していない人’にされかねないのです。

以上の諸点を考慮しますと、抗体検査とPCR検査の併用は、こうした懸案を解決する一助となるかもしれません。既に感染した人は前者によって抗体の存在を証明し、感染していない人は後者の検査を受けることで自らがウイルスのキャリアーではないことを証明するのです。無症状の人、あるいは、疑わしい人は両者の検査を受けるべきかもしれません。

上述したように、抗体効果の持続性の如何によっては感染や発病を完全になくすことはできないにせよ、患者数を一定範囲に抑えることができれば医療崩壊を起こすことなく、重篤な患者にも十分な治療が提供されましょうし、経済や社会活動もある程度の安全性を確保した上で再開することができます(検査キットは責任国の中国製は排除し、国産を使用すれば、経済対策ともなる…)。ワクチン懐疑派の人々も、PCRを選択すれば、ワクチン接種後の健康被害を恐れなくても済みます。日本国政府を含む各国政府は、人々が安心して自らの健康状態を確認し得ると共に、他の人々、そして、経済や社会をも護る検査体制の構築を急ぐべきなのではないかと思うのです。


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ローマ法王は罪深いのでは?‐コロナ禍天罰説

2020年04月11日 12時03分16秒 | 国際政治

 新型コロナウイルスが全人類を恐怖に陥れる中、フランシスコ法王は、今般の疫病の蔓延を‘環境危機に対する自然の反応’と述べて人類を戒めたそうです。小鳥と会話し、物心両面の豊かさを否定した聖フランシスコに因んで自らの法王名を命名し、かつ、かのイエズス会の出身であるだけに、フランシスコ法王にとりましては、環境破壊を引き起こしてきた大量消費社会、そして、飽くなき営利主義は改めるべき悪行なのでしょう。同法話では、コロナ禍と並んで世界各地で発生している異常気象の事例も列挙しています。

 キリスト教では全知全能の神は宇宙創造の主でもありますので、‘大自然の反応’とは、とりもなおさず神から罪深き人類に下された罰、即ち、天罰ということになりましょう。『新約聖書』の最後の巻となる「黙示録」にも疫病の蔓延が登場しています。しかしながら、法王の説に素直に従い、コロナ禍は人類を懲らしめるための天罰と捉えてよいものなのでしょうか。ローマ法王によるコロナ禍天罰説には、幾つかの問題が潜んでいるように思えます。

 第一に、新型コロナウイルスのパンデミック化は、明らかに人災です。そもそも、同ウイルスは、自然界におけるウイルスの突然変異によって発生したのではなく、研究室にあって人為的に作成された人工ウイルスであるとする否定し難い有力な説があります。中でも武漢に設けられていたウイルス研究所からの漏洩説が最も信憑性が高いのですが、意図的に散布された可能性も100%は排除し切れません。況してや全世界の諸国に感染を広げたパンデミック化の責任ともなりますと、対処可能な初期段階で有効な封鎖措置を採らず、かつ、情報を隠蔽した中国は、逃れようもない罪を負っています。中国と癒着して事実とは異なる情報を全世界に向けて発信し続け、かつ、早期の封鎖措置奨励を怠ったWHOも、それがたとえ善意、あるいは、騙された結果であったとしても、罪深いと言わざるを得ません(過失致死罪?)。コロナ禍の人為性からしますと、中国と懇意なだけにフランシスコ教皇の天罰説は、責任の所在を曖昧とし、中国を庇っているかのように聞こえてくるのです(昨日の新聞報道によりますと、中国政府はヴァチカンに医療用品を寄贈している)。‘中国に罪はない、この災いは、天におわします神からの罰である’として…。

 第二に、仮に人類に対する神の罰であるならば、何故、罪なき人々が罰せられるのでしょうか。世俗の因果応報や善悪の彼岸を超えた絶対者である神、あるいは、宗教者の立場からしますと、災害も人類全体に対する警告の一つとして是認されるのかもしれません(被災者は罪深き人類の代表…)。しかしながら、実際には、多くの無辜の人々が同ウイルスで命を落とし、かつ、今なお病床にある感染者も多く、そして、健康な人々も感染の恐怖に直面しています。こうした現実を見ますと、天罰説は無慈悲、かつ、不条理にも響いていきます。真に天罰が当たるべきは中国政府なのですから…。

 第三に挙げるとすれば、フランシスコ法王が、神の意志を勝手に‘忖度’している点です。神の存在証明が不可能なように、人は誰も神の意志を知ることはできません。否、神の意志を伝えるとされる預言者の言葉であっても、それが真に神の意志であることを証明することは誰もできないのです。この厳然たる事実を前にしては、カトリック教団の長であり、伝統的な権威でもある法王であったとしても、その言葉は、そのまま神の言葉であるとは言えないはずです。因みに、16世紀のヨーロッパで起きた宗教改革は、教会による聖書の独占的解釈に対する抵抗から始まっています。人々は、解釈はおろか、直接に『聖書』を読むことさえ禁じられていたのです。

 もっとも、フランシスコ法王の言葉に含意されているように、新型コロナウイルス禍は、退廃的な生活に靡き、拝金主義に染まってしまった人類の来し方を反省し、より善き時代への扉を開く転機となるかもしれません。しかしながら、仮に、中国がコロナ禍を全世界に広げることで他国の経済と社会を根底から破壊し、自らがまき散らした災いを踏み台にして世界支配の野望を達成するとすれば、法王の言う天罰は、神が悪魔に人類支配を許すことを意味してしまいます。ここに、善なる神が、真の悪者を罰することなく善良な一般の人々を罰した挙句、当の悪者に支配権を与えるという恐るべき矛盾が起こってしまうのです(現に、中国政府は、世界各国における医療・医薬品の不足を悪用して、暴利をむさぼっているようです)。全人類は、自己の全ての言動から生体測定の詳細なデータに至るまで強欲で底意地の悪い支配者に差し出さねばならず、再教育という名の洗脳によって心までも壊されてしまう、‘人類家畜化’の未来像もあり得るのです(文明嫌いのフランシスコ派やイエズス会であれば、人類の野蛮への回帰を歓迎するかもしれない…)。

結局、コロナ後の世界が人類にとりまして善きものになるのか否かは、善悪の識別を含む人類の賢明な判断に委ねられているように思えます。今を生きる人々が、知性と良心を懸命に働かせ、コロナ禍を悪用しようとする勢力をも排しながら難局を乗り越えてこそ、善き時代が開かれると言えるのではないでしょうか。仮に神が存在するならば、この時、はじめて人類に祝福を与えるように思えるのです。

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緊急事態宣言期間を抗感染症社会への移行準備期間に

2020年04月10日 12時46分58秒 | 日本政治

 4月8日における緊急事態の宣言は、凡そ一か月後の5月6日には解除される予定です。しかしながら、感染者数の増加が止まらずに遂に5000人を超える中で、同解除日を以って日本国の新型コロナウイルス禍が完全に終息していると信じる人は、それ程には多くないかもしれません。各国の研究機関等が公表してきた様々な調査結果やデータ等も、一か月以内における新型コロナウイルスの完全撲滅は不可能に近いことを示唆しています。

 強硬的な措置によってウイルスの拡散速度が落ち、かつ、爆発的な拡大は防げたとしても、仮に新型コロナウイルスの感染リスクが長期・恒常化するとしますと、緊急事態宣言の意味や同期間の人々の過ごし方も自ずと違ってきます。一か月といった短い期間に疫病が終息するならば、人々は、嵐が過ぎ去るのをじっとして待っているだけで事済みます。解除後には経済はV字回復するでしょうし、数週間もすれば新型コロナウイルス禍の記憶も次第に薄れ、何事もなかったかのように普段の生活に戻ってゆくことでしょう。しかしながら、解除後にあっても感染リスクが依然として高く、油断をすれば直ぐにでも感染が再拡大するともなりますと、そっくりそのままコロナ前の状態に戻ることは難しくなります。

 政府を含め、誰もが未来を正確に予測することはできないのですが、様々な方面からもたらされる情報を客観的に分析した末に、長期化の方がより可能性として高い場合には、そのリスクに備える必要があるように思えます。緊急事態宣言の期間が延長されるにせよ、解除されるにせよ、感染者の激増による医療崩壊を避け、治療可能な状況を維持するために、今後とも人々の外出回数が減少することは確かですし、人と人との間に一定に距離を置く行動様式は半ば慣習化することでしょう。働き方改革の流れにあって既に普及傾向にあったテレワークや自宅勤務も、それが可能な職務においては一般的な勤務形態として定着するかもしれません。

 抗感染症の時代には、経済や社会も、人々の行動様式の変化に合わせてゆく必要があります。全ての人々が何らかの影響を受ける当事者ともなるのであり、各自が自らの行動を抗感染型に変えると共に(ソーシャル・ディスタンスの確保…)、危機への対応を迫られることにもなるのです。インターネットが幅広く利用されるようになるのでしょうが、全ての人々が自宅に籠る孤立型の社会への全面的な移行も困難です。そこで、一般のオフィスや学校等の教室では、室内の人数を減らすと共に、机と机との間を離すようになるかもしれません。その一方で、抗感染型の社会の到来は、新たな市場が現れたに等しく、企業規模に拘わらず、メーカー各社も、抗ウイルス製品の開発に取り組むことでしょう(自宅待機中の課題とし、アイディアを競う社内コンペティションを開くとか…)。今日では3Dの技術も手伝って、既にこの動きは全世界的に始まっているそうです。

 その一方で、緊急事態宣言にあって営業自粛要請の対象となる事業分野や訪日観光客のインバウンドを収益源としてきた観光業等は、マイナス影響を直接的に被ります。廃業の危機に直面するのですから事態は深刻です。転業や転職を余儀なくされる場合もありましょうが、全く工夫の余地がないわけでもありません。例えば、飲食店は、テーブルの間隔を広げたり、室内に仕切りを設ける、あるいは、ケータリングやテイクアウトを始めるといった策もあります。配達コストが問題となるならば、乗客の激減に苦しむタクシー事業者等と協力し、複数の飲食店が共同でウーバー式のケータリング・システムを運営することも一案となりましょう。イベント業も、無観客の放映でも視聴者を楽しませる方法もあるはずです(がらんとした会場やホールではなく、コンピュータ・グラフィクスを利用したり、臨場感を持てるような特設スタジオなどを用いる…)。また、ホテル等の宿泊業についても、都心部であれば、個人向け、あるいは、企業と契約を結び、遠方に住みながら出社せざるを得ない人々を対象に格安料金で空き部屋を提供すれば、通勤時の満員電車問題の解決にも役立ちます。

 そして何よりも、リトマス試験紙のように簡易に新型コロナウイルスの陰性・陽性をその場で即時に判定できる検査方法が開発されれば、日常的な経済や社会生活に伴う対人接触による感染リスクを相当数防ぐことができましょう(もっとも、画期的な治療薬やワクチンの開発の方が早いもしれませんが…)。現在のサーモグラフィー方式ですと、発熱した感染者のみを識別することはできますが、無症状者を識別することができません。入店時等のみならず、航空機、電車、バス、タクシーなどに乗る際に全員が検査を受ければ、比較的に安全が確保されることになるでしょう。こうした水際作戦的な手法の方が、中国のように感染予防を名目としてより徹底した国民完全監視体制を敷くよりも、個々のプライバシーを保護することもできましょう。

 一過性の危機ではない可能性が高い以上、緊急事態宣言の一か月間は、その先に向けた準備期間、あるいは、移行期間とみなす方が安全なように思われます。本稿で述べた案は現場を知らない的外れで非現実的な提案なのかもしれないのですが、それぞれが知恵を出し合って協力すれば、コロナ後の経済や社会は、コロナ前の悪弊が是正されてより善い方向に修正されているかもしれません。来るべき時代に備える方が、ひたすらに政府からの給付や支援を待つよりも、より建設的なのではないかと思うのです。


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日本国政府は臨機応変に―重大な新型コロナウイルスの特性

2020年04月09日 12時53分00秒 | 日本政治

 非常事態宣言の発令を受けて、首都圏でも人出がまばらな閑散とした光景も見られるようになりました。人との接触を8割まで減らすことを目標に掲げており、外出自粛は一定の効果を上げているようです。期間はゴールデンウイーク開けの5月6日迄とされ、安倍首相もこの時期までには終息するものとして説明しておられました。しかしながら、説明通りに終息するか否かの全ては新型コロナウイルスの特性にかかっているように思えます。

 日本国内では対コロナ措置が強化される一方で、震源地となった中国では、最後まで残されていた武漢の封鎖も、ひと先ずは解除されました。また、スイスを初め、日本国よりも徹底した都市封鎖を断行したヨーロッパ諸国にあっても、状況を見極めつつとしながらも段階的な規制緩和の動きも見られるようになりました。コロナウイルスの感染拡大の時間差がそのまま各国の対策の方向性に現れていると言えましょう。

 自己に対する責任追及をかわし、かつ、自己の権力基盤ともなる経済状況を回復させたい習近平国家主席からしますと、新型コロナウイルス問題には早々と蓋をして、天安門事件と同様に‘なかったこと’にしたいのでしょう。しかしながら、その一方で、今後については不安視する声もあります。14憶の国民全てに対して精度の高いウイルス検査を実施したとは思えませんし、何よりも、一党独裁体制の下で情報隠蔽・改竄体質が染みついている中国では、たとえトップによって終息が宣言され、公式の統計上においても感染者や死亡者数がゼロとされたとしても、その信憑性は薄いからです。そして、この信憑性の問題も、突き詰めてゆきますと新型コロナウイルスの特性に辿り着くのです。

 中国であれ、日本国を含む他の諸国であれ、封鎖的な措置をとった全ての国は、新型コロナウイルスの感染再拡大のリスクは低く、一定の期間にあって人と人との接触を最低限に留めることができれば、収束し得ると見なしています。このため、封鎖解除とは、即ち、平常化を意味しており、人々は元の平穏な生活に戻れるとされています。ところが、封鎖措置の基盤となる同想定と感染者の病状に関する報告や情報との間には無視できない齟齬が見受けられるのです。

政策基盤を揺るがしかねない諸点とは、(1)無症状な感染者でも感染力を有すること、(2)回復者の中には、再度、感染する人もいること(重篤化しやすいとも…)、(3)治療の後に陰性判定を受けた感染者の体内に、生涯にわたりウイルスが潜伏する可能性があること、(4)抗体が効力を維持する期間が不明なこと(集団免疫説は疑問に…)、(5)RNAウイルスであるため、変異により亜種が出現しやすこと、(6)中国、アメリカ、ヨーロッパ等で広がったウイルスが、すべて同一のものであるかが不明なこと、(7)第六点との関連において、遺伝子の塩基配列の違い、衛生状態、ワクチンの接種状況等により感染率や致死率等に違いがあること…などです。新型コロナウイルスには謎が多く、これらの報告や情報も必ずしもすべて事実であるとは言い切れないのですが、その何れもが、解除後にあって再度感染が拡大してしまう可能性を強く示唆しています。

もちろん、たとえ上述した問題点があったとしても、人と人との接触機会が激減するのですから、感染拡大のスピードを抑え、諸外国で被害が広がった最大の要因として指摘されている医療崩壊を回避するに際し、一定の効果はありましょう。また、日本国政府は、たとえ解除後に再び感染者が増加に転じたとしても、感染者が少数に留まれば、クラスター潰しの手法でコントロール可能と判断しているようです。しかしながら、仮に新型コロナウイルスが潜伏性、あるいは、変異種による感染のリスクを有するのであれば、政府の前提が崩れてしまう可能性も否定はできません。最悪の場合には、感染していながら表面的には全く健康そのものでウイルス検査も受けていない人が、解除後にあって無自覚の内にスプレッダーとなり、周囲の人々を感染させると共に、自身も免疫力の低下等により突如として発症してしまうかもしれないのです(この場合、感染経路を辿ることは極めて難しく、クラスター潰しも困難に…)。

想定通りに収束するに越したことはないのですが、日本国政府は、非常事態解除後にあり得る新型コロナウイルスの再発に備える必要もあるように思えます。そこで重要となる作業は、同ウイルスの特性の確認です。同ウイルスの特性については、(7)をも考慮すれば、中国政府やWHO発の情報に頼ることなく、独自に国内の感染者データを分析するべきかもしれません。加えて、都市全体に対する封鎖の効果や解除後の状況については、先行して封鎖を解除・緩和した諸国を参考にすることができます。ただし、中国の現状については政府発の情報は信頼性に欠けますので、これもまた日本国独自のルートで情報を収集すべきなのでしょう。そして、潜伏性や変異性等のリスクの有無や程度等が明らかになり次第、臨機応変に対応を変えてゆくことも重要です。もしかしますと、より厳しい措置を要するかもしれませんし、あるいは、より穏当な措置でも対応し得るかもしれません。

大規模、かつ、内外に渡る広範な情報収集とデータ分析を伴う作業は政府機関にしかできないのかもしれませんが、その分析結果が政策立案に的確に反映され、かつ、速やかに国民に情報提供されれば、政府も国民も危機感の共有の下で各自が為しうる対策に取り組むことができます。また、国際レベルにおいても、各国が知り得た知見や情報を相互に交換すれば、日本国のみならず危機に直面する諸国も、より適切、かつ、柔軟に新型コロナウイルス禍に立ち向かうことができるのではないかと思うのです。


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緊急事態への企業の対応―24時間オープン制度を導入しては?

2020年04月08日 13時07分28秒 | 日本政治

 昨日4月8日、新型コロナウイルスの感染拡大を抑えるべく、日本国では安倍首相により緊急事態宣言が発令されました。強制力には乏しいものの、対象となる地方自治体の知事は、「3密」の条件を満たす飲食店等への営業停止や学校の休校措置の延期等も要請できるようになりました。その一方で、公共サービス等を除く経済活動の一斉停止や都市封鎖といった踏み込んだ措置は見送られたのです。

日本国政府の対コロナ戦略は、経済活動を維持しつつ感染拡大を抑えるという二正面作戦を特徴としています。敢えて困難な道を選択しているのですが、同戦略が成功するには、民間における幅広い協力と創意工夫は欠かせません。そこで、考えてみたのですが、民間の企業が24時間オープン制を導入してはどうかと思うのです。

 ここ数日にわたり、東京都では、感染経路の不明なケースが急増しているそうです。その原因として推測されている有力な説は、通勤時における満員電車内での感染です。報じられるところによりますと、新型コロナウイルスの感染力は通常のインフルエンザより強く、アメリカの研究機関によれば、飛沫が飛散しやすいくしゃみ、咳、会話のみならず、無言のままで呼吸をするだけでも周囲の人々を感染さるそうです。仮にこの説が事実であれば、乗車している人々は、手すり、つり革、シート等による接触感染や飛沫感染のみならず、事実上の‘空気感染’のリスクにも晒されていることとなりましょう。

 新型コロナウイルスの感染拡大が報じられた当初から、満員電車での感染については警鐘が鳴らされており、通勤時の混雑や接触を避けるために、民間企業の多くも在宅勤務、テレワーク、並びに、時差通勤に取り組んできました。今般の宣言でも、政府は強く導入を奨励しています。こうした取り組みが功を奏し、JR東日本では2割がた混雑が緩和され、特に朝の出勤ラッシュ時では人と人との間に距離ができる程までに改善されたそうです。その一方で、帰宅時にあっては以前の状況と大きな変化はなく、依然として狭い空間に大勢の乗客が押し込まれた状態が続いていると言います。今般の緊急事態宣言の発令により、帰宅時における混雑緩和も期待できるのですが(報道によれば、本日の朝の通勤時間帯では大幅に緩和とのこと…)、先に提案した24時間オープン制の導入の目的は、まさにこの満員電車問題の解決にあります。

 そもそも、満員電車というものが出現する原因は、企業組織の始業時間と就業時間が凡そ午前9時と午後5時までと同一時間に集中するところにあります。短い同一時間帯に大勢の人々が通勤するのですから、公共交通機関の混雑は避けられません。そこで、この問題を解決するための手段として、先に挙げた在宅勤務、テレワーク、並びに、時差通勤が試みられたのでしょう。もちろん、上述したように実際に朝の出勤時間帯の混雑が緩和されており、こうした方法の有効性は既に実績として証明されています。しかしながら、これらの方法を採用しても、満員電車が完全に姿を消し、感染リスクが消滅したわけではありません。おそらくその理由は、職種や職務内容によってはオフィスや現場にいなければできない仕事があり、否が応でも通勤しなければならない人々が多数存在するからなのでしょう。また、自宅で端末を扱うテレワークは、情報管理の面からしますと、機密漏洩やサイバー攻撃を受ける危険を伴うとする指摘もあり、全ての社員への適用は難しいようです。

 一定数の人々が公共交通機関を利用して通勤しているのが現状であるとしますと、リスクに直面している人々の安全を確保するためには、上乗せ的な対策も必要なように思えます。24時間オープン制とは、一律に設定されてきた始業時間と終労時間を一先ずはなくし、夜間を含めて一日のうちの8時間を勤務時間とする制度です。時差通勤と近い発想なのですが、この制度では、個々人の通勤・帰宅時間をより広い時間帯に分散することができます。例えば、一日の24時間を8時間で分割すれば3交代制となりますし、勤務時間を16時間とすれば2交代制、あるいは、部署ごとに勤務時間帯を変えたり、各自が8時間を自由に設定するという完全オープン方式もありましょう。また、企業ごとにローテーションの始まりと終わりの時間を変えれば、通勤時間の分散度が更に高まります。

 感染病の拡散防止には、兎角に閉鎖的措置に傾斜しがちですが、換気が有効なのと同じく、逆に開放性を高めることでリスクを低減させる方法もあります(リスク濃度の希釈…)。もっともこの方法は、人の自然な体内時計とは合わないために健康を害する可能性もあり、長期化は避けるべきかもしれません(日頃より夜勤をされている方々には頭が下がります…)。また、今般の宣言により、朝夕ともに満員電車問題が解消される可能性もありましょう。短絡的な発想でお叱りを受けるかもしれないのですが、少なくとも致死率の比較的高い感染病が拡大フェーズにある場合には、臨時の措置であれ、通勤時間帯をより分散化できる制度の導入を検討してみる価値はあるように思えるのですが、いかがでしょうか。


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医療物資の国産化は人々の命と経済の両者を護る

2020年04月07日 13時01分48秒 | 国際政治

 新型コロナウイルスがパンデミック化したことにより、現在、国際社会では激しいマスク争奪戦が発生しているそうです。ヨーロッパでは、中国からの輸入品をめぐってドイツ、フランス、イタリア、スイスが入り乱れた混戦状態となり、また、売買契約済みのマスクをアメリカが高値で買い取ったとするアメリカ横取り論まで登場しています。各国のマスク不足の深刻化が結果として中国に‘マスク外交’のチャンスを与えているのですが、トランプ大統領の禁輸措置の背景にも、おそらく、中国による戦略物資化した医療物資の輸出規制があるのでしょう。

 マスクの原材料ともなる不織布の販売高ランキングを見ますと(2017年度)、米企業がトップ10の内7社を占め、中国企業は13位にようやく顔を出す程度であり、売上高も米系企業の比ではありません。このデータから読み取れるのは、中国内に製造拠点を有する米ブランドの不織布に対しても中国政府が輸出を規制しているのではないか、という疑いです。完成品であるマスクについては、中国政府は、日本企業を含め、海外企業の現地生産品や委託生産品を接収していますので、医療備品全般の生産を支える不織布についても同様の措置がとられているのでしょう。

 こうした医療備品における‘接収’による‘独り占め’政策が反転攻勢への足掛かりとし、中国政府が自国に有利な展開に味を占めているとしますと、同国の‘独り占め’政策は、マスク以外の幅広い医療品分野にも広がることも予測されます。例えば、医療現場で必要とされる防御服にも不織布は使用されています。東京都は、備蓄してあった防御服の内の30万着余りを中国に寄贈した際に、この数を差し引いてもなお十分な数の備蓄があると説明していました(現在170万着を備蓄…)。しかしながら、本日の日経新聞朝刊の記事によりますと、日本国内では防護服の品薄感が広がっており、その供給にも不安があるそうです。

因みに、同記事によれば、昨今、中国国内では防護服市場への新規参入が活発化しており、日本国内への売り込みも試みられているそうです。中国製品は粗悪品が多いために、日本側の卸事業者は取引を断ったそうですが、中国企業の新規参入を支えているのは中国で生産されている豊富な不織布でしょうから、この現象は、中国政府による不織布輸出規制、すなわち、海外企業からの接収の疑いを裏付けているかもしれません。

 それでは、日本国は、必要な数の医療用防護服を自力で確保できるのでしょうか。メーカーの東レによれば、国内では研究拠点がある程度で、自社の不織布の生産は中国と韓国の工場で生産されており(上記のランキングの18位には、韓国企業としてToray Advanced Materialsの名が見える…)、縫製も中国企業への委託なそうです。国内で生産するには新たな製造設備の導入を要しますし、縫製を請け負うメーカーも少ないため、国内生産には及び腰のようなのです。こうした日本企業の消極的な姿勢は、製薬業界にも見られ、新型コロナウイルスのように一過性と推定される感染病の場合には、終息後の販売が見込めないため、治療薬の開発はビジネス・ベースには乗り難いとのことです(ステルス型であった場合には、一過性ではない可能性もあるのでは?)。

 しかしながら、この状態を放置しますと、中国による医療物資戦略に絡めとられ、結局は、日本国民の生殺与奪の権を中国に握られてしまうことになりましょう。否、中国の医療物資戦略を脇に置くとしても、有事に際しては、全ての諸国は自国民の命を最優先としますので、自国企業が自国内に製造拠点を置いていたとしても、必ずしも十分な供給量を確保できるわけではありません。況や、海外の工場建設地にあって感染が拡大した場合、中国以外の諸国でも命の危機に面した国民からの強い圧力を受けて、禁輸政策、すなわち、現地政府による製品の接収が行われることでしょう。言い換えますと、近い将来、日本国内でも医療物資の不足から医療崩壊が起きかねず、国民の多くが十分な治療を受けることなく命を失いかねないのです。

 こうした事態を回避するためには、政府も民間も、医療物資の分野では、海外依存からの脱却に早急に着手すべきは言うまでもありません。例えば、既存メーカーが静観を決め込むならば、日本国内でも新規参入があって然るべきです。中国にあって同市場への新規参入が盛んである点からしますと、日本国にあっても、原材料となる高品質の不織布と縫製設備さえ確保できれば、防護服市場への参入ハードルは然程には高くはないはずです。幸いにして日本国内でも不織布は製造されているようですし(2018年で年間凡そ2376千トン)、上記のランキングの26位と27位には、三井ケミカルと旭化成の社名が挙がっています(もっとも、中国に製造拠点があるかもしれませんが…)。

今般のコロナショックにより、事業継続が難しく、かつ、ポスト・コロナにあっても回復が見込めない異業種の事業者や景気低迷により売り上げの減少が予測されるアパレル事業者などは、供給不足が予測されている防護服市場への参入はビジネス・チャンスともなりましょう(職を失った人々にも雇用機会を提供できるかもしない…)。この際、政府が、新規参入を希望する事業者が協力相手や取引先を相互に探すことができるサイトを開設すれば、円滑な起業を後押しできます。あるいは、国内に縫製工場がどうしても見つからない場合には、中国以外で感染レベルの低い国があれば、これらの国と契約を結び、完成品の一定量を現地に提供する代わりに委託生産に応じてもらうのも一案かもしれません。

そして、防護服のみならず、その他の医療物資についても、有事に際しての禁輸措置の一般化を考慮すれば、国産化は緊急を要する課題と言えましょう(備蓄や在庫が尽きるまでの間に準備を…)。上述した治療薬の開発につきましても、新型コロナウイルスの治療に他の疾病のために開発された様々な治療薬が試されております。将来的には幅広い病気の治療に効果が期待される可能性もありますし、感染病全般に効果のある医薬品が開発できれば、長期的な収益も見込めることでしょう。政府は、感染症、並びに、生物兵器対策として医薬品の研究・開発を支援すべきですし、こうした官民の積極的な取り組みこそ、人々の命と国民生活の基盤である経済の両者を護ることになるのではないかと思うのです。

コメント (2)
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現金30万円給付問題について考える―危機の本質に即して

2020年04月06日 11時19分50秒 | 日本政治

 新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、観光業やサービス業といった対面を要する業種を中心に経済的なダメージが広がっています。利用客の急減という現象は経営危機をもたらし、事業者のみならず社員や取引先にまでその影響は及んでいるのです。所得の減少も避け難く、国民の生活困窮を危惧した日本国政府も、所得が著しく減少した世帯に対して現金30万円を支給する方針を固めたようです。しかしながら、この政策、疑問がないわけではありません。

 30万円の現金給付に対する一般的な批判は、海外諸国と比較した場合の支給額や対象世帯の少なさに集中しているようです。30万円という額によって全ての損失が補填できるはずもなく、また、対象世帯は外国人世帯を含む凡そ1000万世帯とされ、大半の世帯は対象外となるからです。さらに、自己申告制という方法では、減収を証明する提出書類のチェックなどにも相当の時間を要しますし、逆に給付を急ごうとすれば不正受給を見逃すかもしれません。職種不問とすれば、むしろ反社会勢力や夜間営業の公序良俗に反する職種に支給資金が流れるリスクやモラルハザードもありましょう。こうした諸問題点を考慮すれば、国民一律給付にした方が簡易かつ、公平ですので、国民の間から不満の声が上がるのも頷けます。

とは申しますものの、一律給付という諸外国の手法が常に正しいとは限りません。一律給付方式は個々の間で損害幅に開きがありますので必ずしも公平とは言えませんし、○○%の給与所得を補償するという手法も所得レベルの違いを考慮すれば不公平となる可能性もあります。何れの政策であれ一長一短はあるものですので、諸外国をモデルにする必要はないのですが、30万円現金支給策には、もう一つ考えてみなければならない問題があるように思えます。それは、新型コロナウイルスの危機の本質に関わる問題です。

日本国政府も含め、経済対策を打ち出した各国政府は、何れも新型コロナウイルス禍は短期間で収束するものと想定しています。あくまでも‘緊急’であり、「3密」を避けるべく人と人との接触機会をできる限りなくし、対人距離を広げれば、数か月以内で収まると見なしているのです。30万円という額も、標準世帯がギリギリに家計を切り詰めて一か二か月は生活できる額なのかもしれません。しかしながら、今後については、別の可能性も考えておく必要があります。

第一の問題は、新型コロナウイルス禍が短期間では収まらず、長期化する、あるいは、終息不可能となる可能性です。同ウイルスには未知な部分が多いものの、ウイルス検査の結果、陽性判定を受けた感染者が陰性に転じた後、再度陽性となるケースが相次いで報告されています。また、無症状の感染者の全員、あるいは、一部が健康体でありながらウイルスを保有した状態を維持している可能性もあり(‘チフスのメアリ’の類例…)、水疱瘡のようにウイルスが生涯にわたって体内から消えずに潜伏するタイプであるならば、隔離や封鎖措置等で一時的には感染拡大を止めることができたとしても、以後、感染者が現れる度に何度も‘振出し’に戻り、同じサークルが繰り返されることとなりましょう(現在、医学が進歩したとはいえ、水疱瘡のウイルスさえ完全に体内から除去することができず、ましてや変異性の高い新型コロナウイルスの撲滅は簡単ではないのでは…)。

第二の問題点は、画期的な治療薬やワクチンの開発等により、たとえ新型コロナウイルス禍が終息したとしても、経済状況は元の状態には戻らない可能性です。今般の感染症の拡大により、中国の覇権主義や一党独裁体制に由来する政治的リスクのみならず、経済の中国依存体質のリスクが顕在化しましたし、グローバル化にも限界が見えてきました。観光業を例にとりましても、数千万単位の中国人観光客を呼び込む形でのインバウンド追及路線は見直しを迫られるでしょうし、民間の事業者等もまた経営方針の変更を余儀なくされるかもしれません。経済全体を見ましても、ポスト・コロナの時代は、プレ・コロナの時代とは様変わりし、国内経済が重視される方向へと移行してゆくことが予測されます。

第三に、可能性として指摘しておくべきは、有事体制が恒常化してしまう事態もあり得ないわけではないことです。米中対立が昂じて軍事的衝突に至り、同盟国を含め、各国において戦時体制が敷かれるかもしれませんし、あるいは、新型コロナウイルス禍そのものが一種の‘有事’ですので、国民の基本的な自由や権利が制約を受け、中国ほどではないにせよ、自由主義国でもITのより広範な導入により国民監視体制が強化されるかもしれません。つまり、オーウェルの『1984年』に描かれているように、‘非常事態’が永続化してしまうのです。国民一律に給付金を支給する政策を決定した諸国は、ベーシックインカム制度への移行を想定しているとも推測されます。

以上に3つの主要な将来予測を挙げてみましたが(未来は未定なので、他にもあるかもしれない…)、現状を見る限り、何れのシナリオも短期終息論よりも可能性としては高いようにも思えます。言い換えますと、コロナウイルス禍への対策は、長期化を前提として策定した方が、経済的な被害を受ける国民の痛みを緩和することができるということにもなりましょう。

この観点からしますと、現金給付政策よりも、給付目的を所得補償ではなく失業対策や起業支援に定め、失業保険制度の拡充、非保険加入者を対象とした手当金支給制度、あるいは、起業資金支援制度の設置とすべきなのかもしれません。同時に、政府は、ハローワークを介した転職の斡旋や職業訓練にも予算を振り向けると共に、収益源に直面している民間の人々も、座して死を待つのではなく知恵を絞って対応策やアイディアを出し合い、積極的に情報を発信・交換すべきとも言えましょう。インターネットは、多くの人々が有益な情報やアイディアを共有し、広く拡散するツールとなってこそ、人類に貢献するテクノロジーとなるのではないでしょうか。

活力ある経済を維持するためには、危機の本質を見極め、それに的確、かつ、臨機応変に対応する政策こそ必要とされています。単純な給付政策では持続性がなく、一つ間違えますと‘分配’を権力の源とする共産主義体制へのステップにもなりかねませんので、国民の自助努力やサバイバル戦略をも促し、かつ、全体としては経済構造の円滑なる移行に資するような政策こそ望まれるのではないかと思うのです。


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アメリカの医療用製品禁輸措置を考える

2020年04月05日 13時17分36秒 | 国際政治

 パンデミックと化した新型コロナウイルス禍は、いたるところで人類に対して、できることならば避けて通りたい重い課題を突き付けているように思えます。救う命に優先順位を付けなければならないという…。

本日も、トランプ政権による、医薬用製品の禁輸措置に対して反発が起きているとする記事が報じられております。アメリカ国内では高性能マスクをはじめとした医療用製品が全般的に不足しており、特に感染被害が著しいニューヨーク州では医療崩壊の一因ともなっているようです。死者数が増え続ける危機的な状況を前にしては、トランプ大統領の禁輸措置も理解に難くなく、同措置が「国防生産法」に基づく発令であったのも、今や危機は戦時に近いとする認識があったからなのでしょう。同大統領は、3月27日にはGMに対して人工呼吸器の増産も命じています。

因みに、かの中国も感染拡大期にあってはマスクの輸出を禁止しており、中国企業に委託生産してきた日本国の企画・販売事業者も、中国国内への提供に切り替えざるを得ませんでした。つまり、委託生産であれ、現地生産であれ、中国国内で製造された外国企業のマスクも含め、全ての製品が輸出禁止の対象になったのです。このことは、中国に生産拠点を移転した場合、有事に際して自国への輸出向けに製造されてきた外国企業の製品は強制的に中国政府に拠出させられる、あるいは、製造設備を含む資産が事実上‘接収’されることを示唆しています。

米中共に既に有事を意識しているとしますと、医療用製品や医薬品の意味は格段に重みを増してきます。何故ならば、全ての国民の命と直結してしまうからです。とりわけ今日の戦争は戦闘が戦場に限定されるわけではなく、サイバー攻撃のみならず、相手国の民間人一般を対象とした生物・化学兵器のテロ的な使用も想定されています(特に中国は国際法を順守するとは思えない…)。今般の新型コロナウイルスも中国側が生物兵器用に開発した人工ウイルスとの見方が有力ですが、治療法や予防法がなく、かつ、一度に患者数が爆発的に増加するタイプのウイルスの出現は、平時の医療体制における対応能力を超えますので、明らかに非常事態、即ち、有事と言えるのです。

医療用製品がいわば戦争の勝敗にさえ影響を与える‘戦略物資’としての意味を持つとしますと、今般のアメリカ政府の禁輸措置に対する批判は、いささか的外れのように思えます。同盟国であるカナダのトルドー首相も同措置に反発していると伝わりますが、平時と有事とでは貿易関係も自ずと違ってきます。平時、並びに、国内において余剰がある場合には、一国による一方的な禁輸措置は批判を受けることでしょう。しかしながら、通常の体制では対応不能な危機的な状況に直面した場合には、どの国であれ、自国民の保護を優先せざるを得ません。隣家の家族が瀕死の状態にあるにもかかわらず、自分の家族を救けよ、とは言えないはずです。むしろ、この種の要求は、相手方に犠牲を要求する行為であり、相手の利己主義を糾弾しながら自らの利己主義に思い至らない悪しきケースの一つとも言えましょう。こうした場合には、相手国の禁輸措置をなじるよりも、相手国の国民の命を尊重し、自国での生産や代替製品の開発に尽力すべきです。たとえ同盟国であっても、条約等によって医療用製品の提供が義務付けられていない限り、自国民優先は致し方ないのではないでしょうか。

もっとも、医薬品を輸出しているメーカーにとりましては、禁輸措置は収益機会の喪失を意味しますので、政府の禁輸措置への抗議も予測されます。実際に、高性能マスク『N95』などを製造する3M社は、「輸出を止めれば、他の国から報復を受ける可能性がある。結果として、アメリカ国内のマスクの量も減ることになる」として批判しているそうです。ここで言う‘他の国’とはおそらく中国が想定されるのでしょうが、アメリカ自身が中国依存から脱却すれば、もはや‘報復’を恐れる必要はなくなります。また、米国のメーカー自身がマスクを増産して自国民に提供すれば、‘報復’のチャンスを消滅させることもできましょう(米国のメーカー側が自発的にマスク増産に踏み切らない場合には、トランプ大統領は、大統領令によってそれを命じるかもしれない…)。各国が国産化に乗り出せば、製造機器メーカーにとりましてはビジネス・チャンスともなりますので、必ずしもマイナス面ばかりではありません。

救う命に優先順位を付けなければならない状況は、誰かの命が失われる可能性を含みますので、良心が痛むものです。誰もがこうした耐え難い選択を迫られる状況には置かれたくないはずです。しかしながら、現実には、こうした局面に否が応でも直面することがあり、今、まさにその状況に至っているのですから、ここは相互に自国民優先主義を認め合い、各国とも自給体制を整えることで、批判合戦による同盟国間の不和を回避すると共に、逆恨みとも言える復讐の連鎖を断つべきなのではないかと思うのです。


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マスクの値上げはやはり不道徳では?

2020年04月04日 11時48分41秒 | 社会

 先日、『言ってはいけない残酷すぎる真実』や『上級市民/下級市民』の著者であり、本音に徹した社会分析で知られる橘玲氏が、マスクの買占め行為について興味深い問題提起をされておられました。‘マスクの値上げは不道徳ではない’という…。その理由はもっともらしく説明されていのですが、どこか誤魔化されている、騙されているようにも感じられ、違和感が残ります。そこで、もう一度、この問題を違う角度から考えみることとしました。

 氏が‘不道徳ではないと言い切る’理由は、買占めという不道徳な行為の排除が至上命題として設定されているからです。つまり、同問題が解決さえされれば全て‘善’となるわけであり、解決力の有無こそが道徳・不道徳の判断基準となるのです。この論理からすれば、マスクの値上げは‘善’、すなわち、不道徳ではないということになりましょう。何故ならば、マスクの店頭価格が高くなれば、「お金のない人(朝から店頭に並んで買占めができる人)」も「時間のない人(高値で転売されたマスクを買える人)」も平等な立場にとなり、買占めで暴利を得る者もいなくなるからです。一読しますと、確かに経済合理性に適っているように聞こえます(毒を以って毒を制す?)。

  橘氏は「時間のある人」と「お金のある人」が平等になるとしていますが、マスクの価格を値上げすれば「お金のある人」が有利となるのではないかとする疑問もあるのですが、この論法には見落としている視点があります。それは、高い解決力が、たとえそれが合理的であったとしても、必ずしも‘善’を意味しない点です。例えば、マスクではなく、お米といった人々の命を繋ぐために必要不可欠な食品であったらどうでしょうか。‘お米の買占めや転売を止めさせるために、お米の通常販売価格を吊り上げればよい’と主張すれば、誰もが反対の声を上げることでしょう。悪しき行為を止めさせようとして採られた措置が、さらに人々を悪い状態に追いやるとしますと、他者の困窮や不幸を利用して暴利をむさぼる悪徳業者を廃業させることに成功したとしても、それは善い解決策とは言えないはずです。同氏の主張は、道徳を論じながらも、実のところ、‘目的のために手段を択ばず’とするマキャベリズムに通じる没倫理的な態度に陥りかねない危うさがあるのです(マッキャベッリは支配のための住民虐殺を肯定…)。

 そして、もう一つ、見落とされている視点を挙げるとしますと、それは、需要と供給のバランスと価格との間に横たわる問題です。物の適正価格は、価格が需要と供給のバランスによって決定されるとするのは、経済学の基本原則とされています。しかしながら、この原則は、需要も供給も十分な場合にのみ通用します。モノの価格とは、原材料費を含め、製造や販売等にかかる必要経費に事業者の利益が上乗せされる形で決定されるのですが、需要が供給を大幅に上回る状況下にあっては、後者の事業者の利益が膨れ上がります。例えば、一枚100円のマスクが転売によって5000円に跳ね上がるのも、需要が高まった結果です。悪徳業者は労せずして4900円の利益を得るのですから、たとえそれが経済の基本原則の通りの現象であったとしても、他者にそのものの本来の価値、すなわち、原価を遥かに超える金額の支払いを要求するのですから、不当な高値販売となりましょう。この点に鑑みますと、メーカー、卸店、あるいは、小売店がマスクの定価を上げる行為は、それが悪徳業者のものではなくとも、やはり不当な行為、即ち、不道徳な行為と見なされても致し方ありません(公正取引委員会や消費者庁等が動き出すかもしれない…)。

 以上に述べてきましたように、橘氏の見解には危うさがあります(もっとも、後半部分では、マスクの配給制や課税による利益の還元等にも触れているのですが…)。‘不道徳ではない’としてマスクの値上げを正当化してしまいますと、マスク以外にあっても、品不足や買占め行為が発生した商品分野において堂々と値上げが実施されないとも限らないのですから。あらゆる生活必需品の価格上昇により国民生活が逼迫することともなれば、それこそ、不道徳な結果となりましょう。悪しき行為を止めさせ、かつ、善き結果をもたらすこと、即ち、多くの人々が安価で安定的にマスクを入手できる状況の実現こそ、道徳という名にふさわしいのではないでしょうか。


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新型コロナウイルス対策の切り札は国産化

2020年04月03日 13時21分17秒 | 国際政治

 今日、中国に始まる新型コロナウイルス禍は、全世界レベルにおいて経済の機能不全を引き起こしています。国境を越えて敷かれたグローバル企業の広域的なサプライチェーンが分断されると共に、中小の企業にあっても、人と人とが接触するサービス業を中心に多くの事業が存廃の危機に直面しています。

危機管理を担う各国政府も、積極的、かつ、大規模な財政支援を表明しています。財政再建をアピールしてきたトランプ米大統領も、感染拡大の深刻化を前にしては財政出動に舵を切り替えていますし、EUでも、ユーロの通貨価値を維持するために加盟各国に求めてきた財政規律を緩める方針を示しています。

しかしながら、同ウイルス禍の終息の見通しが立たないだけに、最悪の場合には延命措置に過ぎなくなる可能性があります。現金や金券の配布や所得補償といった給付的な措置も、短期的に収まれば一定のダメージ緩和効果が見込まれますが、それが1年や2年ともなりますと、自ずと限界が見えてきます。政府の財政が破綻するかもしれませんし、コロナ後には財政赤字を埋め合わせるべく大増税が実施されるかもしれません。また、失業者があふれ、生産停止や廃業によってモノやサービスの供給が細っている状況下では、悪性のインフレに見舞われる可能性もありましょう。収益機会を失って倒産の危機にある事業者への繋ぎ融資を目的とした公的貸付制度にあっても、状況次第では貸し倒れとなるリスクもあります。何れにしましても、弥縫策的な対策では、全ての努力が水泡に帰す、あるいは、新たな危機を将来しかねないのです。リーマンショックがソブリン危機を招いたように…。

こうした先行きの見えない危機を迎えた際には、原状回復を目指すよりも、新たなステージへの移行過程として捉えた方が望ましい場合があります。コロナ禍に先立って、グローバリズムも既に限界を来しており、GAFAや中国が先導してきたデジタル社会化にあっても、情報の独占に基づく監視社会化のリスクが認識されるに至っています。言い換えますと、人類の将来像を探しあぐねていた矢先に、新型コロナウイルスが発生したとも言えましょう。

それでは、新たなステージとはどうようなものなのでしょうか。グローバリストが描く人類の未来像とは、全世界が一つに繋がった国境のない世界です。建前としては多様性が尊重される世界なのですが、国境をなくしたのでは多様性が維持されるはずもなく、結局は、ネットを介して画一的で無味乾燥な仮想空間が全人類に提供される世界なのでしょう。こうした未来像に対しては、先に指摘したように懐疑論や抵抗感が生じるようになったのですが、コロナ禍が人類の転換期を画するとしますと、人類が進むべき道はグローバリズム原理主義が推し進めるものとは異なるはずです。

 そこで一つの方向性として提案し得るのは、国家の自立性、並びに、国民本位の民主的統治機能の強化ではないかと思うのです。民主的統治機能の強化についての詳細は別の機会に譲るとしても、経済における方向性は、自給自足とまではいかないまでも、一先ずは、海外依存からの脱却を目指すべきです。今般の新型コロナウイルス禍に際しても、中国からの輸入には見切りをつけ、必要最低限、国民が生活を維持し得る経済基盤を確保する必要があるということになります。日本国の食料自給率の低さを考慮すれば、まずは、国民の命を支えている農水産物の増産にとりかかるべきですし、マスクやECMO等の医療品のみならず、これまで輸入に依存してきた日用品についても国産化を図るべき品目は多々あるはずです。国産化推進分野が、新型コロナウイルス禍で生じた失業を吸収することができれば、移行期に伴う痛みをある程度は和らげることができましょう。

この点を考慮すれば、持続可能性に乏しい政府による給付政策は、仮に実施するとしても一時的・短期的な応急措置とし、政府は、人々の柔軟な産業間移動を支援する政策に取り組むべきかもしれません。コロナ・ショックに見舞われた民間企業も、国産化産業に参入すれば、新たな収益源を見出し得ることでしょう。また、已む無く事業を畳まざるを得なくなった人々にも、国産化産業分野において新たな起業の機会を見出すかもしれません。融資事業につきましても、商売替えや新規参入、あるいは、感染防止型の新たなビジネスモデルの開発に際して要する資金調達を助ける方がより建設的な支援となりましょう。因みに、いささか横道にそれますが、廃業の危機に直面している飲食店等も、主として自宅待機の人々を対象としたケータリングやテイクアウトを始める、商店街が協力して同事業を共同で行う、近隣の郵便局やコンビニエンスストアーといった店舗と契約して店内の一角にテイクアウト・コーナーを設けるといった工夫も考えられます。政府は、民間の努力にこそ支援すべきなのではないでしょうか。

同手法―中国製品を国産に切り替える―は日本国に限ったことではなく、中国以外の全ての諸国において新型コロナウイルスショックに対する‘切り札’となるかもしれません。結局中国は、新型コロナウイルスを拡散させた人類に対する大罪を、‘世界の工場’の地位から降りることで償うことになるのではないでしょうか(中国は、国内だけで14憶の市場があるので自給自足できる…)。そしてそれは、国民国家体系と自由主義経済が調和し得る新たな国際経済秩序への移行プロセスとなるのではないかと思うのです。

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厚労省の健康調査LINE利用問題

2020年04月02日 12時15分22秒 | 日本政治

 日本国内でも新型コロナウイルスの爆発的な感染拡大が懸念される中、日本国の厚労省は、LINEを利用した大規模な調査を実施しました。SNSとしてはユーザー数が国内トップであるため、政府はLINEを採用したのでしょうが、この一件、政府と民間IT大手との間に横たわる様々な問題を浮き彫りにしています。

 第1の問題点は、非ユーザーの行政サービスからの排除です。日本国憲法は、法の前の平等を原則としていますし、公務員は特定の人々に対する奉仕者ではあってはならないと定めています。今般の厚労省の健康調査では、その対象が民間のメッセージアプリ運営会社であるLINEと利用契約を結んだ人々に限定されており、公平・平等の原則に反します。近年、国のみならず地方自治体レベルでもLINEを利用するケースが増加していますが、こうした動きが拡大するほどに、非ユーザーは行政サービスからはじき出されてしまうのです。災害情報や被災の通報など、それが命に関わる重大なサービスであれば、非ユーザーは政府によって見捨てられる、あるいは、見殺しにされてしまうかもしれません。

 第1の問題点と関連して第2に指摘し得るのは、民間IT大手が統治機能の末端を担うことによる政治的リスクです。企業の社会的責任の文脈からIT大手によるユーザー投稿の検閲が正当化されがちですが、これは反面、民間の一企業が統治権の一部を行使すると共に、ユーザーの個人情報を入手し得る立場にあることを意味します。特にLINEの場合には、親会社が韓国企業ですので、日本国政府が実施した健康調査であっても、収集されたデータが情報提供の義務により韓国政府の手に渡る可能性があります。韓国は反日政策を国是としている国ですので、日本国内で収集された個人情報が対日戦略に利用されないとも限らないのです。つまり、情報・通信大手が外資系である場合には、統治権が重複する、あるいは、外国政府からの介入経路となるリスクがあるのです。

 第3に考えるべきは、災害時等における政府の情報発信や国民相互通信の在り方です。情報・通信分野とは、公開性と機密性という正反対の要求を同時に含むと共に、公共性とプライバシーが複雑に交差する特別な領域です。不特定多数の人々がコミュニケーションの手段として自由に利用し得るプラットフォームはいわば社会インフラの一つですので、公共性を重んじるならば、サイバー上のオープンスペースの提供事業として公営とすべき分野とも言えます(道路や公園と同じ…)。この点からすれば、厚労省をはじめ政府や地方自治体は、LINEを介さずして災害時の情報提供や連絡にも使用でき、かつ、全ての公共機関が利用できる公共インフォメーション・アプリを開発し、国民にダウンロードしてもらう、あるいは、販売時にスマートフォンに搭載してもらう方が余程理にかなっています(ちないに、スマートフォンを保有していない人々は、この場合でも、情報提供からはじかれてしまう)。

 そして第4として挙げるべき問題があるとすれば、それは、政府と韓国系利益団体との癒着への疑念です。今般、日本国内でも新型コロナウイルスの感染者数が増加の一途を辿っており、予断を許さない状況が続いています。政府は、飲食店等を列挙して利用自粛を訴えていますが、ネット上では、パチンコ店が抜けているとの指摘があります。LINEに対する優遇措置は、あるいは、日本国の政治家による韓国系利益団体への利益誘導であるのかもしれません。

 以上に政府とLINEとの関係について述べてきましたが、これらは、IT大手が支配的な力を及ぼす現代という時代が抱えている諸問題を象徴しています。情報・通信分野にあって官民の境界線はどこに引くべきか、そして、公共性とプライバシーの保護という正反対の要請を如何にして両立されるのか、新型コロナウイルス禍は、様々な問題をも炙り出しているように思えるので

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エイプリルフールを恐れる中国?

2020年04月01日 11時46分44秒 | 国際政治

 報道によりますと、新型コロナウイルスのパンデミックは一向に収まらず、アメリカやフランスの死亡者数も、イタリアやスペインに次いで、凡そ3300人とされる中国の死者数を超えたそうです。この勢いが続くとすれば、全世界における死亡者数はさらに増え続け、オーストラリアの研究チームが警告するように、最悪の場合には全世界で6800万人にも達する大惨事に至るかもしれません。‘現代のペスト’と言っても過言ではないのですが、新たな感染者数や死亡者数が報告されるにつれ、いよいよ怪しくなるのは中国政府が発表している公式の数字です。

 中国湖北省武漢で発生した新型コロナウイルスは、武漢市のみならず、首都北京や上海を含む中国全域の大都市が封鎖される異例の事態となりました。前代未聞とも言える強制封鎖は、裏を返せばこれほどの強硬な措置を採らなければならないほど、中国の感染状況が危機的であったことを示唆しています。中国政府を迂回して海外に漏れ伝わる様々な動画や文字情報からしても、武漢市を中心とした感染被害は甚大です。それでも、同ウイルスの感染者や死亡者が中国国内に凡そ限定されていた時期には、中国政府の発表する数字もそれらしく聞こえたのです。

 しかしながら、新型コロナウイルスの感染がパンデミック化し、諸外国でも感染者や死亡者が報告されるようになりますと、中国側の公表してきた情報とは食い違うケースが目立ち始めました。例えば、中国側の最初の説明では、同ウイルスにあって重篤化するのは主として高齢者、あるいは、持病を持った人であり、乳幼児や若年層は、たとえ感染したとしても無症状か軽症で済むとされていました。こうした中国情報をベースにした感染情報がWHO等を介して諸外国でも広く報じられ、若年層を中心に気の緩みを与えてきたのですが、欧米では10代で死亡する事例も相次ぎ、中国発の情報を鵜呑みにしてはならないとする空気が広がるようにもなったのです。もちろん、同ウイルスの遺伝子が変異した、あるいは、別種のウイルスである可能性もあるですが、それでも、中国発の情報は疑わしいのです。

 そして、その最たるものが、中国が公表した感染者数、並びに、死亡者数なのかもしれません。武漢上空の大気の測定から公表数を上回る火葬者数が推測されていましたし、ネット上には、中国の情報・通信大手3社が公表した昨年12月から3月中旬までのスマートフォン利用料金の未納者が1860万人にも達していることから、この数字こそ真の中国における死亡者数ではないか、とする指摘があります。もしかしますと、未納者である1860万人の中には、感染による入院治療のために利用料金支払いの手続きができなかった人の数も含まれているかもしれませんが(中国当局によるスマートフォンを利用した徹底した国民管理システムからすれば、利用料金は口座からの引き落としでは…)、この数字の方が、凡そ14億とされる中国の人口規模、非共産党員を主とする貧困層の存在、並びに、同国の医療体制からしますと、あり得ない数字ではないように思えてきます(仮に、中国政府が公表した公式の数字が正しいとすれば、新型コロナウイルスは中国人固有の遺伝子により中国人が特に感染し易いとする当初に流布された説とは逆に、同国人が最も罹り難い感染症ということにもなる…)。‘中国超え’という中国を基準とした比較は、同国政府発表の数字が嘘であれば意味がないのです。

 本日は4月1日、即ち、嘘を吐くことが唯一許されるエイプリルフールです。偽情報を発信し続けてきた中国では毎日がエイプリルフールですので、新型コロナウイルスが全世界に蔓延する今年は、全てがあべこべな中国にとりましては、嘘が‘バレ’てしまう恐怖に慄く日となるのかもしれません。


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