万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

生命・健康と経済が両立する道はあるのか?

2020年04月17日 13時43分42秒 | 国際政治

新型コロナウイルス禍によって、今日、全人類が直面している困難な問題は、生命・健康と経済の両立です。現状では、前者をとれば後者を犠牲にし、後者を優先させれば、前者を犠牲にすることになりかねないからです。両者の両立は至難の業なのですが、この問題を解決させるには、ウイルス検査を目的別に分けて実施するのも一案なのではないかと思うのです。そこで注目されるのは、本日の日経新聞に掲載されていた民間企業によるPCR検査の受託に関する記事です(4月17日付朝刊11面)。

同記事によれば、コニカミノルタ社は、同社傘下の米アンブリー・ジェネティクス社を通して、アメリカ国内で顧客企業に対してPCR検査を請け負うそうです。現状では実施国はアメリカに限られているようですが、日本国内での受託についても前向きに検討していると報じています。アメリカ国内では自宅勤務に伴って通販需要が増加しており、通販事業者の従業員に対するウイルス検査の実施を求める声が高まっているそうです。つまり、ウイルス検査で陰性判定を受けた従業員のみが勤務する状態となれば、人と人とが接触する機会となる宅配便を介した感染拡大を防ぐことができるのです。

ウイルス検査で陰性判定を受けた人のみによる勤務は、通販事業者のみならず、全ての企業にも応用することができます。検査の精度には疑問がもたれてはいますが、少なくとも、PCRの陰性であれ、抗体検査の陽性であれ、他者に対する感染力については、一先ずは微弱であるものと推定されます。全ての社員を対象に無差別に自宅勤務を強いるよりも、ウイルス検査によって選別し、通常のオフィス勤務が可能な人々については平時の出勤形態に戻す方が、経済に対するダメージを抑えることができます。同時に、感染判定や無抗体判定を受けた人々については、自宅勤務が可能な仕事内容に変えたり、配属転換を行えば、雇用を維持する、即ち、失業による生活不安を解消することもできます。

もっとも、ウイルス検査数を増やせば、しばしば指摘されているように医療崩壊が発生するリスクが高まり、生命・健康と経済が両立しなくなる恐れがあります。感染判定を受けた人々が病院に殺到する事態ともなれば、医療機関のキャパシティーを超えたイタリア、スペイン、ニューヨーク等の二の舞となりましょう。ここに、ウイルス検査の目的を二つに分ける意義を見出すことができます。つまり、企業が行うウイルス検査はあくまでも勤務形態の振り分けを目的とし、医療機関や保健所で実施される治療目的の検査とは区別するのです。企業で実施したウイルス検査で感染性のリスクが判明した人々は、発症しない限り、これまで通りに感染性を失うまで自宅勤務、あるいは、ホテル等の感染者収容施設において職務を継続することとなります。

民間企業によるウイルス検査の広範な実施に伴い、日本国の感染者数が数としては増加したとしも、それが事実であれば、むしろ国民が自らが置かれている状況を正しく知る上では歓迎すべきことです。ネット上には、実際の感染者は、ウイルス検査の精度の低さを根拠に公表されている数よりも少ないとする説と逆に多いとする説の両者が唱えられていますが、ウイルス検査の実施は、どちらの説が正しいのかを確認する機会ともなりましょう。仮に、前者であれば、重篤患者の激増による医療崩壊の可能性は低下しますし、後者が現実であれば、長期的な健康への影響や治療の必要性の問題については別としても、既に日本国内では集団免疫が成立しているのかもしれません。また、感染者と非感染者が拮抗している場合には、逆に、無症状の感染者のみによる職場を設けるという方法もありましょう。

何れにしましても、勤務形態を選別するためのウイルス検査の実施は、比較的安全な状態で経済活動を再開することができますので、メリットの方がデメリットを上回るように思えます。仮に問題があるとすれば、それは、感染者差別というものに起因するウイルス検査に対する人々の恐怖心かもしれません。しかしながら、誰もが意図せずして感染者となる可能性がありますし、将来的には、画期的な治療法も確立するでしょうから、社会全体の寛容さこそ培うべきかもしれません。生命・健康と経済の両立させるために必要なのは、事実を知り、それを受け入れようとする勇気なのかもしれないと思うのです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする