万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

一律10万円給付は通貨発行益の分配では?

2020年04月21日 13時35分04秒 | 日本政治

 新型コロナウイルス対策の一環として、日本国政府は、紆余曲折の末に30万円給付案を取り下げて、国民一律10万円を給付する政策を打ち出しました。最初に野党側が主張し、その後に自民党の二階幹事長や公明党が追随したことから、安倍首相の指導力に陰りが指摘される一方で、同政策への転換が、政界における親中派の発言力の高まり、あるいは、中国の影響力の浸透を意味するならば、ポスト・コロナ後の日本政治に不安を抱かざるを得ません。国民世論も賛否が分かれているようですが、ここでは、一先ずは、政府による一律給付策の性質について考えてみたいと思います。

 一律10万円給付策に先立って検討された30万円給付策は、所得制限に加え、コロナ禍による所得の激減などの比較的厳しい受給条件を付していたため、困窮者に対する救済措置としての側面が際立っていました。支給対象の狭さや手続きの煩雑さ等から不評を買っていたのですが、一律10万円案もその代案として捉えられたため、救済策、すなわち、社会保障的な意味合いで理解されていました。政府の基本的なスタンスも、どこか‘コロナ禍に苦しむ国民に等しく公金を下賜する’という上から目線での態度でしたし、国民の中にも’お上から支援金を頂戴して有難い‘といった反応もあったかもしれません。

 しかしながら、今日の経済・財政・金融システムからしますと、一律10万円給付政策をめぐって見られた政府と国民との関係は、江戸時代の感覚を引き摺っているように思えます。米本主義とも称された江戸時代には年貢がいわば今日の税金であり、幕府や藩の財政にあって官民両者はゼロ・サム関係にありました。年貢率はそのままお米の収穫高の官民間の配分率であり、仮に災害時等に幕府や藩から臨時に下賜されたとすれば、それは、幕府や藩が自らの取り分を減らして民に分け与えたことを意味したのです(幕府や藩は年貢として集めたお米を堂島の取引所等で換金していた…)。権威主義体制とも言える幕藩体制にあって、民は‘上’からの給付金をお恵みとして有難く受け取ったのです。

 一方、今日の日本国は、江戸時代とは違い、政治体制として国民主権を原則とする民主主義国家であると共に、経済システムにあっても自由主義経済を基本としています。しかも、国家が通貨発行権を独占しており(ビットコイン等の仮想通貨も出現していますが…)、とりわけ金本位制度から管理通貨制度へと移行した後は、中央銀行によってマネー供給量をコントロールできるようになりました。このため、政府と国民との関係は、少なくとも建前としては上下関係ではなく前者は後者の代表によって構成されており、官僚組織が支えているとはいえ、国家の財政も民主的コントロールの下にあるのです。歳入もまた主として国民が納めた税収に依存しており、今般の一律10万円給付も、基本構図としては一旦納めた税金が納税者に還付されるに過ぎないこととなりましょう。国庫は、政治家のポケットマネーではなく、むしろ、国民の共有財産なのですから。

 とは申しますものの、巨額の国債残高を有する日本国の場合には、一律10万円給付策の財源を税収に求めることはできません。赤字国債の発行で賄わざるを得ず、財務省、あるいは、IMFの従来の立場からすればコロナ禍収束後の増税要求も予測されましょう。しかしながら、実のところ、国家には、通貨発行益というものがあります。‘輪転機を回す’という言い方は無尽蔵に紙幣を刷るというイメージがあり、政府紙幣の発行は、財源に乏しい政府が無から有を生み出す悪しき政策として捉えがちです。歴史的にも、戦間期のドイツで発生したハイパーインフレーション等、芳しくない事例ばかりが目立ちます。

その一方で、人類は、今日、未だに適切なマネー供給手段を獲得しているわけではありません。中央銀行による通貨供給も、公開オペレーション、公的金利の操作、最低準備率の設定といった何れの手段であれ金融機関を介しますし、利払いの負担も生じます。実体経済におけるマネー需要に必ずしも的確に応えているわけではなく、しばしば金融界への利益誘導も指摘されています。何れにせよ、今般の一律10万円給付に当たっても、政府は、形だけであれ、財源を確保するためにまずは国債発行という形態の‘借金’をせねばならないのです。

ここで再び本題の通貨発行益に戻りますが、中央銀行による国債引き受け(買い切りオペ)は、政府に借金返済の義務が課されないため、事実上の政府紙幣発行の意味を持ちます。現行では、法律上、政府紙幣の発行は認められておりませんし、中央銀行の正当な政策手段からすれば‘異端’なのですが、現実に行われている中銀による買い切りオペこそ(日銀も一定の範囲で買い切りオペを実施してきた…)、国家の通貨発行益と同義となるのです。

そして、国家の通貨発行益の源泉は、外国為替市場における為替相場と同様に、その国の総合的な経済力に求めることができます。つまり、政府というよりも、主として民間経済の強さに依存しているのです。通貨の信用力に裏打ちされる通貨発行益とは、基本的には企業の経営、人々の就労、並びに消費を含む全国民の経済活動が生み出しているのであり、政府の独占物でも特権でもないのです。

ここまで最終的には日銀が政府の赤字国債を引き受けるものと想定して述べてきましたが、このように考えますと、民主主義国では通貨発行益は、特別会計を含む歳入一般と並んで国民の共有財源となり、主権者でもある国民の間で一律に分配するのも道理に適っているように思えます(もっとも、消費を喚起できなかった場合や、インフレリスク等を考慮すれば、コロナ・ショックによって真に窮乏している人々を救うべきかもしれないのですが…)。少なくとも、日本国民は今般の一律10万円給付に際し、政府に対して負い目を感じる必要はないのではないかと思うのです。


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