万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

ローマ法王の平壌訪問の行方-堕天使問題

2018年10月10日 14時24分06秒 | 国際政治
金正恩氏、法王を「熱烈歓迎」の意向 韓国大統領が伝達へ
 先日、中国とバチカンが係争中にあった司教の叙任権問題で折り合い、関係修復に向けて動き始めたとする報道があった矢先、今度は朝鮮半島から、北朝鮮の金正恩委員長がフランシスコ法王を平壌に招待したい意向を表明したとするニュースが飛び込んできました。

 韓国大統領府の金宜謙報道官の説明によれば、9月に開催された南北首脳会談の席で文在寅大統領が金委委員長に法王の訪朝を打診したところ、‘熱烈歓迎’を約する返答を得たとされています。文大統領は今月中旬にはバチカンを訪問し、直接法王に同委員長のメッセージを伝えるそうですので、法王訪朝の実現の如何は、この会談における法王の返答次第となりましょう。もっとも、文大統領は同提案に際して「法王は朝鮮半島の平和と繁栄に関し、強い関心を示している。一度会ってみてはどうか」と切り出しており、法王の関心の高さを理由とするこの言い回しからしますと、既にバチカンから内諾を得ているのかもしれません。あるいは、同時期に中国とバチカン市国との関係が改善された点に注目すれば、このシナリオを描いたのは、南北両国に強い影響力を及ぼしている中国、もしくは、関係国を背後からコントロールし得る国際勢力である可能性も否定はできないように思えます。国際情勢の緊迫化を受けて、共産主義国と宗教国家という‘水と油’の如き関係にある両者が俄かに接近を開始したわけですが、両者は、‘同床異夢’なのでしょうか、それとも、‘同床同夢’なのでしょうか。

 政治と宗教との関係を見ますと、キリスト教の場合には、『新約聖書』の「マタイ伝」には「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」と記されており、政教分離を定める二剣論として解されています。この解釈からしますと、フランシスコ法王のみならず、歴代法王の政治的活動はキリスト教の教義からは外れるのですが、イエズス会を始め、キリスト教の宗派には政治権力志向が強い教団も存在しています。しかも、イエズス会の会員には改宗ユダヤ人の出身者も多く、選民思想や政教一致を特色とするユダヤ教との親和性も高いのです。フランシスコ法王が初のイエズス会出身の法王である点に鑑みますと、中国という21世紀のアジアの大国との協調は、‘自ら’の勢力拡大のチャンスであり、どこか、イエズス会士達がアジア・アフリカで暗躍していた近世・近代の時代を髣髴させます。同会が‘偽善者’の異名をとったように、表向きは敬虔なる‘神の僕’であり、時には崇高なる殉教者でありながら、その実、欧州諸国の政治権力に阿ると共に、現地の政治権力にも取り入って布教先における内乱や植民地化を企み、武器弾薬の供給や奴隷貿易にも従事したあの時代を…。

 その一方で、政治権力にとりましても、宗教は、その超越的な権威と信者の大衆性において極めて利用価値の高い存在です。共産主義の‘開祖’であるカール・マルクスは、自らは黒ミサの司祭であったことを隠しながら、‘宗教は麻薬’としてこき下ろしましたが、共産主義国家にとりましては、宗教とは、国家の正統イデオロギーに対する脅威とはなるもの、全知全能の‘神’を自らの‘味方’に付けることができます。如何に悪逆非道な行いを繰り返しても、宗教的権威と握手すれば、神からの許しを得た印象を与えることができるのです。また、不条理で理不尽な政策や措置であっても、‘神’の名を持ち出しさえすれば、神に対する従順という心理的な作用が働いて人々からの反対の声を抑えることができるのですから、必ずしも宗教は政治権力の‘敵’ではないのです。否、キリスト教に限らず、権力と権威が一体化する政教一致体制の多くが全体主義体制に帰結するのも、両者の相互依存関係に求めることができます。

 このように考えますと、フランシスコ法王が金委員長の訪朝要請に応える可能性は高いのですが、この訪朝は、両者にとりまして危険な賭けともなりましょう。近年、カトリックの聖職者による非行行為が表沙汰になり、同法王に対する辞任要求にも発展しています。カルト教団を含め、聖職者による犯罪は、神の権威に基づく信者からの厚い信頼を悪用した結果であり、まさしく偽善の極みとも言えます(神聖なほど悪の隠れ蓑になりやすいというパラドックス…)。そして、北朝鮮が朝鮮戦争の発端となった侵略をはじめ、国家ぐるみで犯罪に手を染めてきた経緯を考えれば、仮に、法王の訪朝がこれらの悪しき行為にお墨付きを与え、不問に付すことにでもなれば、悪を擁護する結果ともなりかねません。神が悪魔に利用される忌々しき事態となり、同法王やカトリックに対する失望と批判がさらに高まり、組織崩壊の危機にさえ直面することとなりましょう。

 一方、法王が、北朝鮮に自らの行為を悔い改めさせて善なる道を歩ませる、つまり、核やミサイル開発を完全、検証可能、かつ不可逆的に放棄させ、拉致事件を含め、国家犯罪の一切から足を洗わせることができれば、あるいは、失われつつあるカトリックに対する評価と信頼は回復されるかもしれません。

 フランシスコ法王と金委員長との会談は、天使と悪魔の握手を意味するのでしょうか。それとも、キリスト教精神を説いて悪魔を改心させるのでしょうか。あるいは、両者とも、その真の姿は堕天使とされる悪魔であったのでしょうか。権威失墜、あるいは、神に由来する神聖性のベールが剥がれ落ちるリスクを孕む同法王の訪朝は、政治と宗教との危うい関係に人々が気付く切っ掛けとなるのではないかと思うのです。

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