万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

日中関係新3原則のリスク-日米同盟の根拠が消える?

2018年10月27日 13時17分47秒 | 国際政治
安倍首相が習近平主席と会談、日中新時代へ「競争から協調へ」など新3原則確認 李首相には「人権状況注視」言及
日本国の首相としては7年ぶりとなる安倍晋三首相の中国公式訪問は、期待されていた日中両国関係の安定化よりも、波乱含みの展開となる気配がいたします。同訪問、‘新次元’への移行を印象付けるためか、新たに3原則を打ち出すという気の入れようなのですが、何れの原則も、如何にも共産主義者が好みそうな耳に心地よい美辞麗句であるに留まらず、リスクに満ちているように思えるのです。

 日中関係の新たな原則とは、「競争から協調」、「脅威ではなくパートナー」、並びに、「自由で公正な貿易関係の発展」の3つです。首相訪中に際しては、日中両国間で特別な共同文書を作成しようとする動きもありましたので、同3原則の公表は、中国警戒論に起因する反対論に配慮した妥協の産物であったのでしょう。何れにしても、敢えて新たな原則を打ち出した背景には、同訪問を日本国の対外政策の転換点に位置付けたい勢力の思惑が推測されるのです。

 特に注目すべきは、第2原則として掲げられている脅威の否定です。中国の対日脅威論は過去の歴史に基づく感情論ですが、日本国に対する中国の脅威は現在進行中の問題です。中国の暴力主義的な行動を直視すれば、‘同国に対して脅威を抱くなかれ’と諭されても、それは、到底、無理なお話です。にもかかわらず、平然と原則の一つに置いたのは、中国の野心に満ちた行動が脅威となっている現実があるからとしか言いようがありません。仮に、脅威というものが、中国が主張してきたように存在しなければ、敢えてこの文言を原則化する必要はなく、第2原則は、中国の脅威が実在する証でもあるのです。

 そして、第2原則の文言通りに、首相の訪中を機に日本国の外交方針が親中へと180度方向転換したとしますと、その後の展開はどのように予測されるのでしょうか。中国の脅威の消滅は、同時に日米同盟の存在意義が消え去ることを意味します。今日の日米同盟とは、高まる一方の中国の軍事的台頭を前にして、日米共同で対処する事態を想定して強化されてきております。こうした中で、日本国と中国が‘和解’してしまいますと、アメリカには、日本国と軍事同盟を組む必要性がなくなるのです。

トランプ大統領は、防衛予算削減の観点から日米同盟の終了を秘かに望んでいるのかもしれませんが、‘新冷戦’の下で米中の軍事的対立が激化すれば、アメリカは、事実上、日本国という前線の軍事拠点を中国に明け渡すこととなります。そして、日本国は、今度は、中国の最前線の要塞として位置付けられ、再度、アメリカと対峙させられるのです。この展開は、どこか、朝鮮半島の南北融和路線に似通っており、安倍首相は、朝鮮戦争の年内終結を表明した韓国の文在寅大統領の役回りを演じているかのように見えます。同大統領の発言が、駐韓米軍の撤退、並びに、米韓同盟の終了の議論を呼び起こしたのは記憶に新しいところです。日中両国による相互的な脅威の否定は、休戦状態ではないものの、日中平和友好条約締結後にあっても水面下で続いてきた両国間の敵対関係の終了を意味するのですから、日本国政府は、自ら日米同盟の根拠を切り崩すという極めて危険な行動を採っていることとなるのです。

安倍政権が、この展開を予測していながら親中路線に舵を切ったとしますと、同盟国のアメリカ、並びに、一般の日本国民にとりましては、手酷い裏切りともなりかねません(もっとも、アメリカの訪中評価については、トランプ大統領黙認説もある…)。この方針転換は、独裁的な全体主義国家と手を結んだ戦前の日独伊三国同盟をも想起させますが、日英同盟が切れた状況にあった当時よりも、日米同盟が継続中の今日の方が、余程、同盟国に対する信義に悖り、不誠実と言えましょう。そして、一般の日本国民にとりましてもこの問題は切実であり、自国が非人道的な精神性を以って恐怖政治を敷く中国と与することには大多数の人々が反対なはずです。

古来、対立する両者の間に入って双方から利益のみを得ようとする狡猾な‘蝙蝠外交’は、マキャベッリも『君主論』で中立政策に関して指摘したように、何れからも信頼されず、得てして自滅する運命を辿るものです。日米通商交渉における対米牽制を目的に、むしろ日本国側が中国を利用したとする説もありますが、アメリカ側が対中政策の文脈で日本国の要求を呑んだ場合、日本国政府は、今般の方針をあっさりと覆し、上記の3原則を破棄するのでしょうか(中国側は激怒して全ての責任を日本側に負わせ、より暴力的な行動に出るのでは…)。日本国政府が自らを窮地に追いやる道を歩み始めたとしますと、悲劇を招いた痛恨の判断ミスとして歴史に残されるのではないかと懸念するのです。

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コメント (2)
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