万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

人生がデータとして記録される世界の恐怖

2018年10月18日 15時25分21秒 | 社会
情報化社会の到来とともに、インターネットを基盤とした様々な情報サービス事業が誕生することとなりました。GoogleやYahooといった情報検索に始まり、今では、SNSが日常のコミュニケーション手段として幅広く使用されています。とりわけスマートフォンに代表される携帯電話の登場は、その情報収集力の高さ故に人々の人生さえも劇的に変えようとしています。

 携帯電話が登場する以前の時代には、自らの発言や行動が外部の他者によって逐次記録されることなど、夢にも思わなかったはずです。生物の脳の記憶の仕組みでは、サバーンではない限り、長期記憶であれ短期記憶であれ、過去の自らの発言や行動の全てを正確に覚えておくことはできません。その大半は本人でさえ忘れてしまうのです。ところが、情報・通信技術の長足の進歩により、今では、これらの全てが各自の個人情報としてデジタル化され、事業者のデータベースにおいて記録・保管されています(大規模なビッグ・データの登場)。しかも、ネット上で一度発信された言葉は、検閲の対象にさえされてしまうのです。誰もがその利便性に心を奪われて、自らのプライバシーまでもが情報として他者の手に渡っていることに殆ど気が付いていませんが、現代という時代は、本人の記憶以上にその人の人生がデータ上の記録として残される時代なのです。

スマートフォンとは、各自が自己専属の‘物’として所有するものであり、常に携帯していれば、あたかもその人の‘影’の如くにより沿って、その人自身の発言と行動等を外部に伝達します。スマートフォンを肌身離さず携帯し、自らと一心同体の分身の如くに愛着を抱いている利用者も少なくありませんが、見方を変えれば、これらが収集した情報は利用者ではなく外部の他者に報告されるため、利用者の発言や行動を常時監視している‘お目付け役’、あるいは、‘スパイ’ともなり得ます。この負の役割は、全国民を監視体制に置く中国において公然と制度化されており、凡そ全ての国民にスマートフォンという監視者が‘配置’されています。さながら、古代ペルシャ帝国の‘王の目、王の耳’ならぬ、‘共産党の目、共産党の耳’の如くです。

そして、今後とも、アプリによるサービス内容が多様化するにつれ、個人情報の内容も包括化してゆくことでしょう。現在でも、LINE等のSNSの利用規約を一読すれば驚かされるように、サービスを利用するためには交友関係や位置情報のみならず、金融口座の番号といった個人情報の提供への同意を要します。学校等のコミュニケーション手段として使用される場合には、一人だけ同サービスを利用しないと友達ができなくなったり、‘虐め’や‘仲間外れ’にされかねません(参加しても虐めに遭うと言う不条理…)。孤独を怖れる心理と無言の集団的な圧力がSNSの利用を促しているのであり、この側面は、プラットフォーム型ビジネスがこれまでのところ成功を見ている理由でもあります。今後は、健康管理ビジネスの提供を理由に個々人の生体の状況や変化も、個人情報として収集されるでしょう。さらには、スマートフォンの携帯さえ不便となれば、実際にその開発が既に進んでいるように、体内にマイクロ・チップを受け込むといった方法へと移行し、最早、人類は、何処に居てもその全てが外部の誰かに監視され、通報される状況へと陥るかもしれません。脳波としてキャッチされた心の動きまでも…。

スマートフォンを介した情報利用の‘怖さ’は中国の現状を見れば一目瞭然なのですが、自由主義国においても、この問題は深刻です。個人情報の匿名化といった試みもなされていますが、事業者に悪意があれば、利用者本人は自己のデータの使用目的や使用状況を確認のしようもありません(EUでは、既に「EU一般データ保護規則(GDPR)」が制定・施行されている…)。そもそも、サービス事業者には、どのような正当な根拠があって、他者の個人情報を記録できるのか、その根本的な議論さえ十分にはなされていないのです。便利さの代償として自らの一生が外部者によって常時監視され、かつ、本人でさえ消すことのできないデータとして記録される全体主義的な監視体制が構築されるとすれば、こうした世界の出現が人類の理想とは到底思えないのです。

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