秘境という名の山村から(東祖谷)

にちにちこれこうにち 秘境奥祖谷(東祖谷山)

菜菜子の気ままにエッセイ(ありがとうの宝物 前編)

2011年05月27日 | Weblog
6年間…登録ヘルパーとして、お世話になった、隣村の職場を、離職した。
主人が、亡くなった後も、一ヶ月で仕事に戻り、泣きながら次の訪問世帯へと
ハンドルを握っていた…

一人で、いたら、いつもいつも、主人のことを考えながら、涙が落ちた。
涙を拭いてから、次の利用者の家に、入る。
主人が容態が悪化したと、病院から連絡があった日は、
日曜日。出勤していたのは、2名。そのうちの、一人が私だった。
それぞれに、びっしりと、訪問の予定が、入っていた。
着替え、食事、服薬。
障害を抱えての、在宅での一人暮らしの老人には、絶対に欠かせない、介護援助だ。

病院から、私の携帯に、電話が、入った。
胸騒ぎが した。

『今日、病院に、早く来て下さい。容態が、悪くなっています!』

ずっと付き添いをして、昨夜、病院を出た、ばかりだった。
日曜日の出勤の為だけに、帰ってきた。
日曜日は、職員の数が、足りない。
みんなに、迷惑は、かけたくなかった。

電話を、もらって、
膝が ガクガク震えた。
震えながら、
利用者のお爺さんの、清拭をした…普段通りの、おしゃべりをした

清拭を終えて、
食事の夕食を、作った…。

準備を全部、終わらせて、
必死で、病院に、向かった。

あれから、四年と半年がたつ…

仕事に戻ってすぐに、訪問先の、心ない、おばあさんに、笑いながら、言われた時が、あった。

『はよ、再婚しておみい~一人は夜は、さみしいかろ~』
彼女は、ほくそ笑みを、浮かべていた。

大声を、だして、
すぐに、その訪問先から、帰りたかった。
唇を、かみ締めて、堪えた。

彼女の、昼食の準備をして、時間通りに、仕事をすませ、玄関をでた。悲しかった…

色んな事が、あった。
主人が、亡くなったことを、訪問先の近所の人に、おしゃべりしていた、年配のオバサンがいた。
私と同じ村から、私と同じように、登録で仕事を、していた。

その 無駄口のお陰で、私は、重箱のそこを突かれるような、質問を受けた。

『いつから病気だった?』
『いつ、結婚した?』
『子供はいるのか?』
『最期はどうなって、亡くなった?』

『葬式、しもでしたんだろ~いくらかかった?』

一人の、おしゃべりなオバサンから、情報が発信され、
私は、仕事以外のことで、余計な不愉快な、時間を 費やした。

『腹立ったよ~!今日はな、こんなこと、言われたよ~!』
などと、グチル相手は、いない。
主人の ことを 言われて、辛かったなんて、空に住む、主人に、言える筈もなく、
トンネルの中に、入った時、運転しながら、大きな声を、だして、ストレス解消を、していた。
あれは、時々、今でもやる…。

私は、組織の形が、見えてきて、
トップの方に
〈幻滅〉したら…
そこを、辞めたくなる…ヘンテコなポリシーが、ある…

同僚の方々とは、
本当に、仲良く、ざっくばらんに、楽しい時間を、過ごさせて頂いた。
ココロのあったかい、お友達に、たくさん出会えた。

今でも、覚えている。あれは、主人が亡くなって、三ヶ月くらいの頃。
日曜日、看護婦さんと二人の出勤。
前日に、言われていた。
『明日、お弁当作ってくるけん、お昼ご飯は用意しなくて、ええよ~』

お昼。
彼女は、自分の家の、お弁当箱に、私の分を詰めてきて くれていた。

『夕べのおかずの残り物だから~』

そう 言われて、見たお弁当。
昔、私が主人に、作っていたものと、似ていた…オンナジ温もりが、した…彼女の
さりげない、優しさに胸の中が、いっぱいになった。

涙がポロポロ落ちて、泣きながら、食べた。
泣きながら、食べて、彼女も、もらい泣きしかけていた…

二人で 笑った。

そんな…ありがとうの宝物が 、胸の奥で 温められている。

後半に 続く














































コメント
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