ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

伝達

2010年09月11日 23時49分27秒 | Weblog
本屋に行ったら『鈴木先生』の最新巻が出ていたので購入。それにしてもこの生徒達、
実に神がかっている感じで、こんなレベルの生徒達に毎年囲まれるのなら、定年を
待たずして教師は神へと昇華するであろう。いや、先生も凄いけど。

最近思うのは、知識や経験、及びそれを得る為の手段を伝える方法を体系化したのが
(現代の)教育であるとして、その『体系化』という部分には多く学ぶ所があるのでは
無いかという点。何を言っているのか良く分からないが、具体的には技術やセンス等を
伝える教育も体系化できるのではないかという事です。

過程にしても、旧来通りただやらせるだけで良いのか。とか、目標にしても師のコピー
を生む事を至上とするのか、あくまで教えられる側の個性を尊重するのか、したとして
どこまでの振れ幅を許容するのか。など、考えるだけで頭が痛くなるのですが、
誰かがやらなくてはいけないし、それが是とされる空気が無くてはならない。

基礎教育レベルであれば、ボランティアでも成り立つかも知れないが、専門分野になると
なかなかそうも行かない。個人レベルで見ても、独学では限界があるし、個人がスタート時
に持っていた能力などは当然すぐ尽きる。コスト的には新人を使い捨てする方が安くつく
可も知れないが、そんな会社はすぐに人が来なくなり、長い目で見た時に割に合わない
ことに気付く。というような感じで、教育は大事だと思った次第です。

放っておいてもどんどん学ぼうとする人は意外と少ないし、後ろから押されないと
そもそもの意欲が出ない人が多い。正に今手元にやるべき仕事がある人ならば
なおの事であろう。個人的に、教育の意義として重要な事は、物事の解法を教える事
ではなく、解法へ続く扉がどこにどれだけあるかを示す事にあると思う訳です。
その観点から考えても、知ったり学んだりする機会を得る場を設ける事と、
その為にそれらの体系化を進めてより精度を上げていく必要があると思いました。

とりあえずは使い捨てだけは断固御免被る、という事で。
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