ゑの巣

ここでは管理人個人の日々の妄言、妄想、創作などを世に晒しています。ごゆるりと。

結局同じであっても

2018年10月09日 23時15分29秒 | Weblog
何かしらの感想を述べる際に、ひとまず否定から入る手合いがいるが、
親切心からくる本当の警告ならまだしも、『私は違いが分かる人間です』を
遠回しに言っているようなものは害悪でしかないと考える。

例えば『○○は不味い』というような旨の発言をするとして、それを
受け取った側の人間としては、○○は不味いのか。だったら店とかで見かけても
敬遠しようという発想に偏る。本当にこれはやめておけ、という類のものも
あるが、先に書いたような挨拶代わりに発せられたものの方が圧倒的に多い。
そして、質の悪いことにその両者を識別するのが少々面倒で、発言の出所を
辿ったり、同じようなことを言っている人をある程度探さないといけない。

なので、あれは不味いとか、あれは最悪だとか、あれは面白くないとか、
そういった発言は安易にするべきではなく、感想を述べるにしても、個人的な
好みと照らし合わせた上でどうだったのかを(そしてできるだけポジティブに)
述べるのが建設的であると考える。

ここ最近と言わず、情報が氾濫するこのご時世、とかく内容をまとめようと
しがちで、ついでにそれで衆目の関心を惹くべく誇張やツッコミ待ちの文面も
また氾濫状態にあるが、一口に言って俗悪に偏り過ぎているような印象。
綺麗ばかりも胡散臭いが、斜に構えて文句ばかりも醜悪である。

○○が嫌いだと言いそうになったら、似たような□□の方が好みだったのだが、
という風に改めるだけでも大分違うと思う。
本質的には双方に大した違いはないが、冷たい水とお湯くらいには違う。
コメント
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