自力整体でいきいき歩き: 狛 雅子

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コマネチ考

2019-06-26 05:20:27 | 生き方




今日は帰国日。
6/18~26の8日間で「BulgariaとRoumaniaの花&軽登山を楽しむツアー」でした。
一番の思い出は、、、、ルーマニアでの会話。

私は現地ガイドのアンドレアさんに、無邪気に話しかけたのです。
「お宅の国の誇り、Nadia Comăneciは私に大きな影響を与えた女性なのよ。
  この国の人たちの間では、どうなのかしら?」

「影響を受けた」って、何よ??と思われるでしょうが、それは、私の特殊事情。
1976年のモントリオール五輪・体操競技をテレビで見ていて、
白い妖精のようなコマネチの演技に感動して、私の眼に涙が溢れてきました。
そして、あろうことか、、「私も、やりたい!」と思ってしまったのです。

1975年に次男を出産し、産後太りも収まっていない、体操経験もない、
フツーの太目のオバサンである私が、
「ま、段違い平行棒とか、平均台は無理よね。でも、、、床運動なら???」
と思い込み、奇妙な<女ドン・キホーテ>のような生活が始まったのです。

つまり、「カモメのジョナサン」のように
「その種にとって必要でない、無目的な(?)情熱」に燃えて、
器械体操の教則本を買い込み、保育園にあるのと同じマットレスを注文し、
職場の昼休みに薄暗い卓球室の片隅で前転・後転・倒立などを練習し、
涙ぐましい努力の末、背骨をおかしくしかけて、諦めた・・・・

結果はともかく、私にとっては決して無目的ではなく、憧れ(=夢)の追求でした。
お陰で、今でも驚異の柔軟性や根性があり、何より「健康!」になりました。
それで、コマネチちゃんには、とても感謝しているのです。

ところが、アンドレアさんは複雑な表情を浮かべ、嫌そうに答えました。
 「コマネチは、独裁者・チャウシェスク大統領が国威発揚のために作り上げたお人形で、
    一人の金メダリストを産出するために100人以上の女の子が駆り集められ、
    無理なダイエットを強いられ、体操以外の教育は受けられず、酷い目にあった。

    この国には、その時の後遺症に苦しむ女性が未だ存在するし、
    大成功したかに見えるコマネチ自身さえ、その後、苦しい人生を強いられた。」

あらららら・・・・
無知とは恐ろしい・・・・
私はアンドレアさんの気持ちを引き擦ってしまったかも。

でも、彼女は「共産主義の恐ろしさ・おぞましさ」をしっかり私に伝えてくれ、
私もこうやってブログに書いたり、友人に喋ったりして
「自由や平和の大切さ」を広めているので、許してね。







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