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‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
2023/6/4(No.1240)
‥‥‥†‥‥‥‥
三位一体の主日(ヨハネ3:16-18)
父と子と聖霊の溢れる愛を私も受けた
‥‥‥†‥‥‥‥
三位一体の主日を迎えました。父と子と聖霊の神を身近に感じられるようになりたい。その思いで与えられた朗読に耳を傾けましょう。短い朗読の中で、「御子を信じる」ということが四回も出てきます。これは御子を信じることがどれほど大切かを考えさせためです。
御子を信じることができれば、御父を信じることができます。「子」がいらっしゃれば「父」がおられるのは当然のことですね。そして「御子」を信じることができれば、御子自身が約束してくださった、弁護者として遣わしてくださる「聖霊」も信じることができます。御子を信じることができるか。そこにすべてがかかっているわけです。
中田神父は、御子イエス・キリストを信じることのできる十分な理由が聖書の中にあると思っています。神は、私たちのためにその独り子をお与えくださいました。神は人類の救いのために、その独り子を示してくださるだけで十分だったはずですが、それだけで終わらず、御父は御子を人類に与えてくださったのです。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」(3・16)
神はその独り子を、一度だけ与えてくださったのでしょうか。人となって私たちのためにおいでくださった。この時だけでしょうか。そうではありません。人類は神が人となっただけでは心を神に向け直すことができませんでした。そこで神はもう一度、独り子をお与えになったのです。十字架上で、そして祭壇の上で、罪の赦しと救いの完成のために、再び与えてくださったのです。
たとえを用意しました。比べて考えてみましょう。私たちが少し大きな買い物をして、支払いを済ませたとしましょう。間違いなく支払いを済ませたのに、お店から「支払いをお願いします」と言われたとします。お店の言い分は正しいでしょうか?
確実に支払ったのですから、支払う理由はありません。二度支払う、二度与えるというのは、これと同じ体験です。買い戻すために、二重になってしまうと分かっているのに、もう一度支払った。これと同じことを、神は人類のためにしてくださったのです。私たちを罪から解き放つため、罪に支配されている状態から買い戻すために、二度も御子を与えてくださったのです。
これが聖書が示してくださる御子イエス・キリストを信じることのできる理由です。私たちには決して支払えない代償を、父なる神は御子を通して支払ってくださった。神はここまで私たちを愛してくださったのです。御子がご自分を二度与えることで愛を示してくださったのです。この世のすべてが信じられなくなったとしても、神が示された愛は十分信じることができます。
そして、世を愛してくださった神は、今も人類を愛し続けておられます。そのしるしは聖霊です。神はいつも、いつまでも人類を愛し続けるため、恵みを与え続けるために聖霊を与えてくださったのです。父と子と聖霊がそれぞれの働きを通して、人類を愛し続けていることを証明してくださっています。これは「神が人類を愛してくださっている」という一つの働きの、三つの側面なのです。
三位一体の神様は、つねに豊かで、愛に溢れておられます。愛が溢れているなら、それはどこかへ注がれるはずです。神の愛は、人間に注がれました。御子を通してこれ以上無いほどに注がれましたが、この神の愛は今も、聖霊を通して注がれています。父と子と聖霊の、これほどの愛を、今日特に感謝しましょう。
三位一体の神の、溢れる愛を私たちが受けているなら、私たちの中でも、神の愛は溢れることでしょう。溢れるほどの愛は、次はどこに注がれるのでしょうか。あふれるほどに注がれた愛を、心に浮かぶあの人に届ける。三位一体の神様が、今週私たちにお与えになる使命だと思います。
‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
キリストの聖体(ヨハネ6:51-58)
‥‥‥†‥‥‥‥
‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥
▼ここ福江に来て、木曜日に小学二年生の要理を手伝っている。「代用教員」をしている。小学二年生を受け持ったのは生涯初めてではないだろうか?中田神父にとっては「孫」のような存在なので可愛いのだが、二年生の生徒からはどのように見えているだろうか。
▼「小さな命」なのだが、先週は微笑ましい場面があった。一年生のクラスの横を通りかかると、担当のシスターが一年生の手帳か何かにシールを貼っていた。「自分たちが一年生の時は、シールとか貼ってもらえなかったよね。」
▼そうぼやいたのですかさず私が「もう二年生になったから、過去のことは忘れよう」と言うと「そうよね。私たちはもう二年生だし」そう言っていた。目を丸くするような応答だった。
‥‥‥†‥‥‥
今週の1枚
‥‥‥†‥‥‥
第847回目。市役所の駐車場敷地から福江教会を撮影。伸びた木が遮っている。
http://ss104313.stars.ne.jp/230604.jpg
ホームページもご覧ください。
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† 神に感謝 †
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こうじ神父
「今週の説教」
2023/6/4(No.1240)
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三位一体の主日(ヨハネ3:16-18)
父と子と聖霊の溢れる愛を私も受けた
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三位一体の主日を迎えました。父と子と聖霊の神を身近に感じられるようになりたい。その思いで与えられた朗読に耳を傾けましょう。短い朗読の中で、「御子を信じる」ということが四回も出てきます。これは御子を信じることがどれほど大切かを考えさせためです。
御子を信じることができれば、御父を信じることができます。「子」がいらっしゃれば「父」がおられるのは当然のことですね。そして「御子」を信じることができれば、御子自身が約束してくださった、弁護者として遣わしてくださる「聖霊」も信じることができます。御子を信じることができるか。そこにすべてがかかっているわけです。
中田神父は、御子イエス・キリストを信じることのできる十分な理由が聖書の中にあると思っています。神は、私たちのためにその独り子をお与えくださいました。神は人類の救いのために、その独り子を示してくださるだけで十分だったはずですが、それだけで終わらず、御父は御子を人類に与えてくださったのです。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」(3・16)
神はその独り子を、一度だけ与えてくださったのでしょうか。人となって私たちのためにおいでくださった。この時だけでしょうか。そうではありません。人類は神が人となっただけでは心を神に向け直すことができませんでした。そこで神はもう一度、独り子をお与えになったのです。十字架上で、そして祭壇の上で、罪の赦しと救いの完成のために、再び与えてくださったのです。
たとえを用意しました。比べて考えてみましょう。私たちが少し大きな買い物をして、支払いを済ませたとしましょう。間違いなく支払いを済ませたのに、お店から「支払いをお願いします」と言われたとします。お店の言い分は正しいでしょうか?
確実に支払ったのですから、支払う理由はありません。二度支払う、二度与えるというのは、これと同じ体験です。買い戻すために、二重になってしまうと分かっているのに、もう一度支払った。これと同じことを、神は人類のためにしてくださったのです。私たちを罪から解き放つため、罪に支配されている状態から買い戻すために、二度も御子を与えてくださったのです。
これが聖書が示してくださる御子イエス・キリストを信じることのできる理由です。私たちには決して支払えない代償を、父なる神は御子を通して支払ってくださった。神はここまで私たちを愛してくださったのです。御子がご自分を二度与えることで愛を示してくださったのです。この世のすべてが信じられなくなったとしても、神が示された愛は十分信じることができます。
そして、世を愛してくださった神は、今も人類を愛し続けておられます。そのしるしは聖霊です。神はいつも、いつまでも人類を愛し続けるため、恵みを与え続けるために聖霊を与えてくださったのです。父と子と聖霊がそれぞれの働きを通して、人類を愛し続けていることを証明してくださっています。これは「神が人類を愛してくださっている」という一つの働きの、三つの側面なのです。
三位一体の神様は、つねに豊かで、愛に溢れておられます。愛が溢れているなら、それはどこかへ注がれるはずです。神の愛は、人間に注がれました。御子を通してこれ以上無いほどに注がれましたが、この神の愛は今も、聖霊を通して注がれています。父と子と聖霊の、これほどの愛を、今日特に感謝しましょう。
三位一体の神の、溢れる愛を私たちが受けているなら、私たちの中でも、神の愛は溢れることでしょう。溢れるほどの愛は、次はどこに注がれるのでしょうか。あふれるほどに注がれた愛を、心に浮かぶあの人に届ける。三位一体の神様が、今週私たちにお与えになる使命だと思います。
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‥次の説教は‥‥
キリストの聖体(ヨハネ6:51-58)
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ちょっとひとやすみ
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▼ここ福江に来て、木曜日に小学二年生の要理を手伝っている。「代用教員」をしている。小学二年生を受け持ったのは生涯初めてではないだろうか?中田神父にとっては「孫」のような存在なので可愛いのだが、二年生の生徒からはどのように見えているだろうか。
▼「小さな命」なのだが、先週は微笑ましい場面があった。一年生のクラスの横を通りかかると、担当のシスターが一年生の手帳か何かにシールを貼っていた。「自分たちが一年生の時は、シールとか貼ってもらえなかったよね。」
▼そうぼやいたのですかさず私が「もう二年生になったから、過去のことは忘れよう」と言うと「そうよね。私たちはもう二年生だし」そう言っていた。目を丸くするような応答だった。
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今週の1枚
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第847回目。市役所の駐車場敷地から福江教会を撮影。伸びた木が遮っている。
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