当ブログをお読みくださり、ありがとうございます。
(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://hanashi-no-mori.news-site.net/voice/181104.mp3
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‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
2018/11/4(No.970)
‥‥‥†‥‥‥‥
年間第31主日
(マルコ12:28b-34)
神への愛と隣人への愛は別々ではなく一体である
‥‥‥†‥‥‥‥
説教を書いている時点では、中田神父の今シーズンが終わっているのか、まだ決着がついていないのか分からずに書いています。私にとっては11月「死者の月」が今シーズンの終了の月です。12月からは新しい1年が始まります。自分で言うのも何ですが、まるで教会の典礼暦を地で行っているような生き方です。
10月28日、広島に行ってきました。博多まで車で走り、ヨドバシカメラという店に車を駐車して、新幹線で広島です。およそ4時間の行程です。広島駅に着くと恩人の方が車で迎えに来ていました。あとで知ったのですが、私が乗った車は広島の白浜司教様をお乗せする車でした。後部座席に座りましたので、司教様のシートに座ったことになります。大変なことをしてしまったかもしれません。
まずは司教様を表敬訪問に行きました。野球観戦に来ただけなのに、司教様は私のために面会時間を1時間とってくださり、コーヒーまで用意してくださいました。野球観戦にも興味をお持ちのようでしたが、分刻みの大変な務めですから、明日からの聖務のために無理な誘いはしませんでした。
日曜日の第2戦は見事にカープが勝ちました。実際に見に行った試合で勝って帰ってくるのと負けて帰ってくるのとでは雲泥の差です。司教館に泊めてもらう私は広島教区の神父様と司教館での反省会が大いに盛り上がりました。
翌朝は、司教様と司教館で生活する神父様方と、ご一緒にミサをしました。司教様が主司式をなさったわけですが、以前と変わらず、この日もとてもていねいにミサをささげました。真似をするのは失礼かもしれませんが、「まことにとうとく、すべての聖性の源である父よ、いま聖霊によってこの供えものをとうといものとしてください。」こんな感じです。
前日、コーヒーをいれていただいた時にも思ったのですが、この司教様はどんな小さなことにも真心を込めて、ていねいになさっていると思いました。こんな姿を、司教館の司祭たち、小教区訪問の時に集まった教区民の皆さんは間近で見るのだなと思いました。
コーヒーは安いコーヒーだったかもしれません。けれども司教様が、一介の司祭にていねいにお出ししたのです。それが何よりのごちそうだと思いました。同じように、司祭の時から一切変わらないていねいなミサの所作は、ミサにあずかる人にとって最高のもてなしなのだと思います。
これだけ素晴らしい司教様ですが、実は過去の発言で今も悔やんでおられることがあると打ち明けてくださったことがあります。かつて高校生だった時、後輩の神学生に次のように言い聞かせたことがあるそうです。「香部屋係は神様に奉仕する係だからいちばん尊い係で、ほかの係よりも優れている。」
高校生だった時、神様に対する熱意のあまりこのように発言したそうですが、「自分は当時の発言を悔やんでいる。神学生に与えられているすべての係が、等しく尊い係なのです。」当時を振り返ってこう言われたのです。
ここには次のような思いが込められていると思います。神学校で与えられるどの係も、最終的には神様をたたえ、神様の喜びとなる係だ。表面的には香部屋係がミサという大切な礼拝を準備するので尊いように見えるけれども、神学校で与えられるすべての係が、神様を礼拝する神学生を育成するきっかけになる。そういう視点が足りなかったとおっしゃりたいのでしょう。ご自分への戒めとして、司教様は憚ることなく、過去の失敗を話してくれるのでした。
白浜司教様から見えるのは、今週のイエスの言葉です。律法学者の質問「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」(12・28)に、イエスは答えました。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」(12・29-31)
分刻みに忙しい中で、司教様はそんな様子をちらっとも見せずにていねいにいれたコーヒーを出してくださいました。朝のミサにご一緒した時、一つ一つの所作をこれ以上ないほどていねいにこなしながらささげておられました。真剣勝負の緊張感さえ伝わりました。
ここには隣人を自分のように愛しなさいという掟の実践が十分現れています。人に、これほどていねいに接しておられる。それだけですでに、神を心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、愛しておられることは明らかなのです。私は司教様を通じて、イエスが語られた第一の掟と第二の掟は、優れた人の中では二つの掟ではなく一つの掟となって現れるのだと理解したのです。
私は広島の司教様を遠くから眺める者に過ぎません。けれども司教様のお手本は、私の中に自分を映す鏡としていつもそばにあると思っています。一期一会の出会いでお仕えするように人を愛し、神を愛する。毎日鏡を見るかのように、戒めとして思い出し、務めを全うしたいと改めて感じております。
‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
年間第32主日
(マルコ12:38-44)
‥‥‥†‥‥‥‥
‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥
▼今週は司教様づくしになってしまった。説教には書かなかったが、マツダスタジアムでの試合観戦後、司教館では大反省会を行って、司教様も私たちの話に耳を傾け、輪に加わってくださった。本当に頭の下がる司教様である。
▼大反省会の冒頭、司教様がこんないたずらで迎えてくれた。「お疲れ様。みんなテレビに映ってたよ。」そう言って、私を驚かせた。テレビに映ったことに驚いたわけではない。司教様がこんな冗談を言うことに、心底驚いたのだ。
▼かつて高校生だった時、生真面目で笑った顔など一度も見たことのない人だった。笑うような生き方は不真面目だと思っていたのかもしれない。本心は分からないが、当然冗談を言うはずもなく、卒業して大神学院に進まれた。
▼だが大神学院に進んで間もなく、健康を損ねてしまい、休学することになる。ここで心境の変化があったらしい。私が小神学院を卒業し、大神学院に入学する頃にはすでに白浜先輩も復学していたわけだが、別人のように変わっていた。
▼「箸が転んでも笑う年頃」という言葉があるが、白浜先輩は快活に笑い、時にジョークを飛ばし、「これがあの白浜先輩か?」と思わせる変貌ぶりを遂げていた。立派ではあるが近寄りがたい先輩としてではなく、誰からも愛される先輩へと進化を遂げていたのである。
▼「冗談だよ冗談。あっはっは。」そう言うところが真面目な司教様らしい。私ならば「テレビに映ってたよ」と言ってそのまま終わるだろう。とてもではないが、あの天真爛漫な司教様のようには進化しそうにもない。
‥‥‥†‥‥‥
今週の1枚
‥‥‥†‥‥‥
第577回目。マツダスタジアムが一つになって燃えていた。持ち堪えてくれ!
ホームページもご覧ください。
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【文庫本の問い合わせについて】
文庫本説教集「取って食べなさい」に問い合わせくださり
ありがとうございます。C年の文庫本がまた見つかり、
3冊セットの提供が可能になりました。ABC年セットで
2000円です。ご希望の方は住所と名前を添えて連絡ください。
† 神に感謝 †
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こうじ神父
「今週の説教」
2018/11/4(No.970)
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年間第31主日
(マルコ12:28b-34)
神への愛と隣人への愛は別々ではなく一体である
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説教を書いている時点では、中田神父の今シーズンが終わっているのか、まだ決着がついていないのか分からずに書いています。私にとっては11月「死者の月」が今シーズンの終了の月です。12月からは新しい1年が始まります。自分で言うのも何ですが、まるで教会の典礼暦を地で行っているような生き方です。
10月28日、広島に行ってきました。博多まで車で走り、ヨドバシカメラという店に車を駐車して、新幹線で広島です。およそ4時間の行程です。広島駅に着くと恩人の方が車で迎えに来ていました。あとで知ったのですが、私が乗った車は広島の白浜司教様をお乗せする車でした。後部座席に座りましたので、司教様のシートに座ったことになります。大変なことをしてしまったかもしれません。
まずは司教様を表敬訪問に行きました。野球観戦に来ただけなのに、司教様は私のために面会時間を1時間とってくださり、コーヒーまで用意してくださいました。野球観戦にも興味をお持ちのようでしたが、分刻みの大変な務めですから、明日からの聖務のために無理な誘いはしませんでした。
日曜日の第2戦は見事にカープが勝ちました。実際に見に行った試合で勝って帰ってくるのと負けて帰ってくるのとでは雲泥の差です。司教館に泊めてもらう私は広島教区の神父様と司教館での反省会が大いに盛り上がりました。
翌朝は、司教様と司教館で生活する神父様方と、ご一緒にミサをしました。司教様が主司式をなさったわけですが、以前と変わらず、この日もとてもていねいにミサをささげました。真似をするのは失礼かもしれませんが、「まことにとうとく、すべての聖性の源である父よ、いま聖霊によってこの供えものをとうといものとしてください。」こんな感じです。
前日、コーヒーをいれていただいた時にも思ったのですが、この司教様はどんな小さなことにも真心を込めて、ていねいになさっていると思いました。こんな姿を、司教館の司祭たち、小教区訪問の時に集まった教区民の皆さんは間近で見るのだなと思いました。
コーヒーは安いコーヒーだったかもしれません。けれども司教様が、一介の司祭にていねいにお出ししたのです。それが何よりのごちそうだと思いました。同じように、司祭の時から一切変わらないていねいなミサの所作は、ミサにあずかる人にとって最高のもてなしなのだと思います。
これだけ素晴らしい司教様ですが、実は過去の発言で今も悔やんでおられることがあると打ち明けてくださったことがあります。かつて高校生だった時、後輩の神学生に次のように言い聞かせたことがあるそうです。「香部屋係は神様に奉仕する係だからいちばん尊い係で、ほかの係よりも優れている。」
高校生だった時、神様に対する熱意のあまりこのように発言したそうですが、「自分は当時の発言を悔やんでいる。神学生に与えられているすべての係が、等しく尊い係なのです。」当時を振り返ってこう言われたのです。
ここには次のような思いが込められていると思います。神学校で与えられるどの係も、最終的には神様をたたえ、神様の喜びとなる係だ。表面的には香部屋係がミサという大切な礼拝を準備するので尊いように見えるけれども、神学校で与えられるすべての係が、神様を礼拝する神学生を育成するきっかけになる。そういう視点が足りなかったとおっしゃりたいのでしょう。ご自分への戒めとして、司教様は憚ることなく、過去の失敗を話してくれるのでした。
白浜司教様から見えるのは、今週のイエスの言葉です。律法学者の質問「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」(12・28)に、イエスは答えました。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」(12・29-31)
分刻みに忙しい中で、司教様はそんな様子をちらっとも見せずにていねいにいれたコーヒーを出してくださいました。朝のミサにご一緒した時、一つ一つの所作をこれ以上ないほどていねいにこなしながらささげておられました。真剣勝負の緊張感さえ伝わりました。
ここには隣人を自分のように愛しなさいという掟の実践が十分現れています。人に、これほどていねいに接しておられる。それだけですでに、神を心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、愛しておられることは明らかなのです。私は司教様を通じて、イエスが語られた第一の掟と第二の掟は、優れた人の中では二つの掟ではなく一つの掟となって現れるのだと理解したのです。
私は広島の司教様を遠くから眺める者に過ぎません。けれども司教様のお手本は、私の中に自分を映す鏡としていつもそばにあると思っています。一期一会の出会いでお仕えするように人を愛し、神を愛する。毎日鏡を見るかのように、戒めとして思い出し、務めを全うしたいと改めて感じております。
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▼今週は司教様づくしになってしまった。説教には書かなかったが、マツダスタジアムでの試合観戦後、司教館では大反省会を行って、司教様も私たちの話に耳を傾け、輪に加わってくださった。本当に頭の下がる司教様である。
▼大反省会の冒頭、司教様がこんないたずらで迎えてくれた。「お疲れ様。みんなテレビに映ってたよ。」そう言って、私を驚かせた。テレビに映ったことに驚いたわけではない。司教様がこんな冗談を言うことに、心底驚いたのだ。
▼かつて高校生だった時、生真面目で笑った顔など一度も見たことのない人だった。笑うような生き方は不真面目だと思っていたのかもしれない。本心は分からないが、当然冗談を言うはずもなく、卒業して大神学院に進まれた。
▼だが大神学院に進んで間もなく、健康を損ねてしまい、休学することになる。ここで心境の変化があったらしい。私が小神学院を卒業し、大神学院に入学する頃にはすでに白浜先輩も復学していたわけだが、別人のように変わっていた。
▼「箸が転んでも笑う年頃」という言葉があるが、白浜先輩は快活に笑い、時にジョークを飛ばし、「これがあの白浜先輩か?」と思わせる変貌ぶりを遂げていた。立派ではあるが近寄りがたい先輩としてではなく、誰からも愛される先輩へと進化を遂げていたのである。
▼「冗談だよ冗談。あっはっは。」そう言うところが真面目な司教様らしい。私ならば「テレビに映ってたよ」と言ってそのまま終わるだろう。とてもではないが、あの天真爛漫な司教様のようには進化しそうにもない。
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文庫本説教集「取って食べなさい」に問い合わせくださり
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