こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

聖母の被昇天(ルカ1:39-56)現代にあってもわたしは神をあがめる

2019-08-15 | Weblog
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http://hanashi-no-mori.news-site.net/voice/190815.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
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こうじ神父
「今週の説教」
2019/8/15(No.1017)
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聖母の被昇天
(ルカ1:39-56)
現代にあってもわたしは神をあがめる
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暑さが頂点まで達するこの時期に、私たちは聖母の被昇天を祝います。「今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう」(1・48)。私たちも「マリアを幸いな者と言う」その人々の一人に加わりたいと思います。

「マリアの賛歌」と呼ばれるルカ1章47節から55節は、前半と後半に分かれると考えられています。前半47節から50節は、マリアの個人的な体験に基づいています。すなわち、「救い主である神」と「わたし」との関係を述べています。

最初に、どんな流れで「今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言う」のか、確かめておきましょう。「わたしの魂は主をあがめる」「わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。」というのは「今」の出来事です。「今」あがめる、たたえるためには、過去に何かがあったはずです。

それが、主の「身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださった」という出来事です。主が先に働きかけた、それにマリアが気づいて主をあがめ、たたえます。

「神が先に人に働きかけ、人が神の働きに気づいてたたえる」この昔から続いてきた偉大な出来事を忘れない人たちがいます。イエス・キリストによって救われた人たちです。イエスの時代にいた人々は、イエスを通して「神が先に働きかけ、人がそれをたたえる」そんな場面を目撃したのです。目撃した人たちは神の働きにあずかった人々を未来に向けて「幸いな者と言う」人々です。

未来に向けて「幸いな者と言う」人々は、イエスと同時代の人々だけではありません。「神が先に働きかけ、人がそれに気づいてたたえる」場面は、イエスの復活後も続いたからです。その大いなるわざは使徒たちによって受け継がれ、さらにのちの時代にも引き継がれていきました。

当然、神が先に働きかけ、人がそれに気づいてたたえる場面を目撃する人たちもそれぞれの時代に現れることになります。

1886年、ラゲ神父様が黒島から三家族、ド・ロ神父様が出津から四家族を横立に移住を促しました。将来の見通しが明るかったから移住を勧めたわけではありません。困難も予想されましたが、田平の地に神様の働きが先にあった。宣教師の神父様たちはそれを感じて信徒に移住を促したのです。

先に移住した人々は、困難を乗り越えてこの地に根を張りました。目に見えない神の働きではあっても、信仰を確かに守り続けることのできる今を神に感謝し、たたえます。やがて神の民は増え広がり、神が先に働きかけて、神の働きに気づいた人々がいたことを後世に伝えるために、聖堂を建設するのです。

神の働きにあずかった人々を未来に向けて「幸いな者」と言う子孫たちの歴史は百年受け継がれてきました。「今から後、いつの世の人も先祖たちを幸いな者と言う」私たちに託された使命だと思います。

先に神の働きがマリアに現れました。マリアは神の働きに気づきました。そして神をあがめます。神の働きにあずかったマリアを幸いだと理解できる人は、自分の生活の中でも先に神が働きかけ、神をあがめるきっかけを与えてくださっていると気づくのです。

あとは、私たちが神の働きにどのように答えるかです。同時に神の働きに答えて神をあがめる素晴らしさを、どのように受け継がせるか考える必要があります。マリアの賛歌を、私はどのように神をあがめ、神の救いを喜びたたえたら良いだろうかと思い巡らしながら唱えましょう。

今を生きる私たちが、神をあがめるマリアの生き方を写し取らなければ、信仰が次の世代に受け継がれることは難しくなります。

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‥次の説教は‥‥
年間第20主日(ルカ12:49-53)
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ちょっとひとやすみ
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▼8月10日(土)の午前に聖母の被昇天の説教を書いた。午後からは8月11日の「年間第19主日」の説教を書く。いかにも綱渡りな準備だ。どうしても聖母被昇天の説教は年間第19主日の説教の前に済ませておきたくて、少し無理をしながら準備した。
▼8月15日はカトリック信徒の家では「ふくれまんじゅう」を作って祝うのが風習である。「酒まんじゅう」みたいなものだ。たいていどこでも「ふくれまんじゅう」と呼んでいるが、長崎市伊王島町では「ぼんと」と呼んでいた。不思議な呼び方だが、理由がある。
▼喜びを表現するのに「盆と正月が一緒に来たような喜びだ」と言うことがある。この「盆と正月」の頭だけ取って、「ぼんと」なのだそうだ。甘い物がなかった時代に、それだけ重宝されていたということだろう。
▼その土地土地に行って、「ふくれまんじゅう」をご馳走になる。味は確かにすばらしい。それでも「家庭の味」が一番だと思っている。母の「ふくれまんじゅう」には祈りが練り込まれていた。単にふくれまんじゅうを作るだけでなく、信仰の伝達を行いながら作っていた。田舎ではこうして信仰が受け継がれていたのである。

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今週の1枚
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第624回目。ふくれまんじゅうが手に入らず。台風通過後に田平教会の聖母一覧。

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† 神に感謝 †
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