こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

年間第28主日(マルコ10:17-30)イエスは「それからわたしに従いなさい」と呼ぶ

2015-10-11 | Weblog
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(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://hanashi-no-mori.news-site.net/voice/151011.mp3

(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
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こうじ神父
「今週の説教」
15/10/11(No.791)
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年間第28主日
(マルコ10:17-30)
イエスは「それからわたしに従いなさい」と呼ぶ
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「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」(10・7)今週の福音朗読に登場する金持ちの青年は、先の問いを、イエスのもとに走り寄り、ひざまずいて尋ねました。真剣に、永遠の命を受け継ぐ手段を知ろうとしていたのです。なぜ、この人は永遠の命を受け継ぐ道を選べなかったのでしょうか。

先週火曜日から水曜日にかけて、秋の司祭研修会に参加してきました。3つの研修がありましたが、その中の「新しいローマ・ミサ典礼書の総則」に基づく変更箇所の学びはわたしたちの日々のミサと関わってきますので、かいつまんで報告したいと思います。

「ローマ・ミサ典礼書の総則」というのは、ローマの典礼にしたがってミサをささげる場合、次のようにしなさいということが事細かに定めてある指示書のようなものです。従来の指示書にさらに今回変更が加えられ、今年11月29日の待降節第1主日からは一斉に指示を守ってミサをささげる必要があります。徐々に慣れていくために、今日は次の3つを守ってもらうよう、お願いをしたいと思います。

1つは、ミサの初めにもお願いしましたように、第一朗読、第二朗読者は、朗読が終わったら自分で「神のみことば」と答えてください。今回変更された「ローマ・ミサ典礼書」は、朗読者自身が「神のみことば」と唱えることが明記されました。ご注意願います。

2つめは福音朗読で、たとえば「マルコによる福音」と告げます。会衆の皆さんは司祭と同じように、額と唇と胸と3回小さな十字を印してください。ここには「みことばをよく理解し、人々に宣べ伝え、心に深く刻んで生きる」という思いが込められています。

3つめは、パンとぶどう酒の奉納です。これまで全員立った状態で奉納していましたが、今週からは会衆は座って奉納者が奉納するのを見届けてください。なぜそうするかと言うと、「みなさんこのささげものを、全能の神である父が受け入れてくださるように祈りましょう。」この呼びかけを活かすためです。「受け入れてくださるように祈りましょう」と呼びかけて会衆全員の願いが祭壇上に集められます。

「ローマ・ミサ典礼書の総則」に加えられた変更点の適用について、まだいろんなことがありますが、少しずつ実施しながら待降節までに調えたいと思います。

さて福音朗読ですが、イエスが金持ちの青年に「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」(10・21)と告げたとき、青年は立ち去ることになります。イエスと青年の間で、どのようなやり取りがなされたのでしょうか。

金持ちの青年の真剣な態度に、イエスも正面から向き合っています。「イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。」(10・21)この様子から明らかです。この時イエスは「わたしが言いたいことは、分かっているよね」と、見つめながら思っていたことでしょう。それは単に持ち物を売り払い、貧しい人々に施すわざを求めたわけではないということです。

わたしたちは、もしかしたらイエスの言葉を読み違えているかもしれません。「持ち物を売り払い、貧しい人々に施せば、一文無しになるではないか。」わたしはそうは思いません。若くしてすでに金持ちになることができた青年です。

その気になれば、まったくの一文無しからまた財産を築くだけの才能は持っていたでしょう。だからこそ、持っている物を売り払い、貧しい人々に施すようにイエスも言ったのです。問題はその先、「それから、わたしに従いなさい」(10・21)この段階に進むことができるかどうかなのです。

いったん持っている物を売り払い、貧しい人々に施しました。しかしこの青年が、「また一から財産を築き上げよう。わたしにはその才能も時間もある」と考えるなら、彼の状態は元に戻り、金に執着し、財産に信用を置く生き方に戻ってしまうでしょう。そうではなく、これからはイエスに信頼を置いて生きることを求めたのですが、彼の考えはおそらく変わらなかったのだと思います。

イエスはまずチャンスを与えたのです。生き方を変えるチャンスを与えて、「その後わたしに従う生き方に変えてほしい。もちろん生き方を変えないという道もあるが、わたしが望んでいるのはどちらか、分かっているよね。」イエスと金持ちの青年の間には、このような何往復ものやり取りが込められていたに違いありません。

わたしたちは、簡単には自分の生き方を変えられません。そうかと言ってほかの人から強制的に変えられてしまうこともこのみません。イエスはこうした人間の心をよくご存知なので、人生のどこかで決定的な場面を用意してくださるのです。

わたし自身は、大神学生時代に追突事故を起こして免停になった時に自分を神さまに預ける決心ができたと思います。もちろんその時から100%実現できているわけではないですが、イエスについて行こうと決めるか、悲しみながら立ち去るかの分かれ目であったことは確かです。

イエスが求めているのはすべてを無くしてしまえという単純なものではありません。今置かれている生活や環境がガラッと変わった時に、わたしを頼りに生きてくれますか。それともこの世の何かにすがり続けますか。そういう問いかけです。

無くしたくないものを無くすこともあります。かけがえのないものさえ失います。誓ったことも守れなくて失意の底に沈むかもしれません。それでも、イエス・キリストを拠り所として生きてくれますか。それが今週わたしたちに問われています。よい答えを導き出せるように、このミサの中で取り次ぎを願いましょう。

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‥次の説教は‥‥
年間第29主日
(マルコ10:35-45)
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ちょっとひとやすみ
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▼毎日数え切れないほどの体の細胞が死に、新陳代謝が起こる。そして数年ですべての細胞が入れ替わるらしい。神が造られた人間の体は奇跡の被造物である。言わば人間は細胞レベルでは、これまでの自分を捨ててまた新たな自分を手に入れながら、神が計画された神秘を受け入れて生きているわけだ。
▼人間が作ったものは、どのような最先端の建築も、または伝統的な建築も、細胞が入れ替わるなどということは起こらない。建て替えるか、部分的に入れ替えるかしなければ、完成したその時から滅びへの道を歩んでいく。ここに神の被造物と人間の産物の決定的な違いがあるのかもしれない。
▼ところで、人間の細胞はこのように「死」のプログラムが埋め込まれていて、以前の細胞が死に、新しい細胞にとって代わられるというのに、例外的に死なない細胞がいる。それがガン細胞だ。この細胞は「死」のプログラムが欠けているために、死なないようにいつまでも体から栄養をもらい続け、悪さをし続ける。
▼「あなたも、死ななければならない。」だれかが、あるいは何かの指令が、ガン細胞にこのように理解させ納得させなければ、ガン細胞が消滅することはない。医学的にはわたしの説明は幼稚だろうが、なぜガンを克服できないのか、ということではわたしの意見で十分だろう。
▼ガン細胞が悲しみながら去っていく。そういう仕組みを早く確立してほしい。そうでないとわたしの周りでも、多くの人がこの世を去ったり去ろうとしていたり、辛い思いを繰り返している。ガン細胞に言いたい。あなたの持っているものをすべて売り払いなさい。その上で神が定められた細胞本来のプログラムに従いなさい。これで、言うことを聞かないガン細胞は悲しみながら立ち去るに違いない。

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今週の1枚
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第398回目。長崎くんち。9日の大波止付近12時ごろの様子。長崎も祭り好き。

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