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‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
15/01/04(No.747)
‥‥‥†‥‥‥‥
主の公現
(マタイ2:1-12)
学者たちはひれ伏して幼子を拝んだ
‥‥‥†‥‥‥‥
主の公現の祝日を迎えました。幼子イエスを拝む占星術の学者たちから、わたしたちの日々の生活を振り返り、証しを立てるヒントを得ることにいたしましょう。
初夢についていろいろネット上で調べると、諸説ありました。大晦日から正月一日にかけて見る夢、正月一日の夜に見る夢、正月二日の夜に見る夢の三つの説があるようです。その中で支持されているのは正月一日の夜に見る夢だそうです。わたしが見た夢は大晦日の夜に見た夢でしたが、びっくりして起きたのですから確実に大晦日を過ぎていました。
主の公現は、東の国からやってきた占星術の学者たちの礼拝によって、主の降誕が広く諸国に知られることになった出来事です。学者たちの訪問は、ユダヤ人の王がお生まれになったことを内外に知らせるきっかけとなりました。
彼らはまずヘロデ王に会いに行って、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」(2・2)と自分たちの訪問の理由を明らかにします。これで、ユダヤ中に出来事が知られることとなりました。
また幼子イエスを礼拝した学者たちは、当然自分たちの国に帰国してから幼子のことを人々に告げ知らせるでしょうから、自分たちのいる国でも話題になります。占星術の学者たちの登場は、ひっそりとお生まれになった救い主を一変させたわけです。
占星術の学者たちは母マリアと共におられた幼子イエスをひれ伏して拝み、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げました。学者たちは突き詰めると、何をしに幼子イエスのもとに来たのでしょうか。わたしは、「ひれ伏して拝むために」来たのだと思います。
贈り物を献げるだけでしたら、遣いの者に持たせて運ばせることができたでしょう。けれども、ひれ伏して礼拝をささげるのは本人たちが出向くのでなければ意味がありません。代理の人間ではなく、本人たちが礼拝をささげることで、ひれ伏して拝む価値は最上のものになります。
曲がりなりにも学者と呼ばれる人が幼子の前にひれ伏すのですから、このしぐさは特別のことと言わなければなりません。権威を振りかざすヘロデ王の前でもきっとひれ伏してあいさつしたでしょうが、同じ学者が、何も持たない、幼子にすぎないイエス・キリストの前にひれ伏す姿はいっそう荘厳に見えます。ひれ伏しても何も与えてもらうことはないと分かっていて、彼らは幼子の前にひれ伏したのです。
幼子イエスの前に進んで身をかがめる占星術の学者たちと、幼子のことを嗅ぎまわるけれども決して身をかがめないヘロデ王とその一味は、明らかに比較されています。
この対比は、わたしたちに決断を迫っているのです。あなたは、幼子イエスの前に進み出て、喜んで身をかがめますか。それとも、幼子のことを詳しく聞いたのに、それでもイエスの前に身をかがめないのですか。わたしたちが取るべき態度は明らかです。
ではわたしたちはどのように、占星術の学者たちの態度に見習えばよいのでしょうか。学者たちは2つの態度を取りました。1つは、公の人の前で、自分の信じている方、礼拝をささげるべき方がこの世におられると表明したのです。もう1つは、いよいよその方の前に来た時に、進んで身をかがめたのです。
わたしたちも、占星術の学者の取った態度に見習う必要があります。公の人、公の場で、自分が信じている方、礼拝をささげるべき方がこの世におられると、立派に表明してほしいと思います。いつその場面が巡ってくるか、それをこちらから選ぶことはできませんが、その機会が巡って来たとき、それがどんな場所であっても、信じている方、礼拝をささげるべき方を覆い隠したり言葉を濁したりしてはならないのです。
もう1つ、いよいよその方の前に来た時に、わたしたちは進んで身をかがめます。その具体的な場所はわたしたちの教会です。ここではただお一人の方、イエス・キリストにすべての人が身をかがめます。ここにいるわたしたちは皆、だれも身分の上下を問われず、ただイエスの前に身をかがめる人かそうでないかだけが問われるのです。羊飼いも、東方から来た学者も、だれも身分を気にすることなく、幼子イエスの前に自分を明け渡したのです。
その際、贈り物を献げた学者たちのように、自分を表す何かをイエスの前に献げることはたいへん賢い生き方です。感謝・賛美・礼拝・嘆願などを表そうとここに集まっているのですから、わたしの思いを表す何かをお献げしましょう。
最後に、学者たちに示された夢のお告げに目を留めましょう。「ヘロデのところへ帰るな」(2・12)というお告げでした。もしも学者たちがヘロデのもとに帰ると、信じる方にではなく、権力者にひれ伏すことになります。彼らにはもはやひれ伏す方はただお一人しかいないのです。
わたしたちもそうです。わたしたちがひれ伏す方はただ一人です。その生き方を決して曲げてはいけません。権力を振りかざす人の前でひれ伏しません。富や悪に流されてひれ伏したりしません。ただイエス・キリストにだけひれ伏してこの人生を全うします。
占星術の学者たちは、星の導きによって真の礼拝をささげる相手を見いだし、生涯その生き方に留まりました。わたしたちを照らす星は聖霊だと思います。聖霊に導かれて、イエス・キリストお一人を礼拝し、イエス・キリストお一人に身をかがめて生きることができますように。このミサの中で恵みを願うことにしましょう。
‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
主の洗礼
(マルコ1:7-11)
‥‥‥†‥‥‥‥
‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥
▼初夢を見たが、意味不明だ。自転車で映画を観に向かっているという設定で始まった。途中で横断歩道を横切ろうとすると、横断歩道の両端に大人の男性が10人くらいずつずらっと並び、全員がたばこの煙をふかしていた。
▼わたしはその大人たちを怒鳴りつけ、「あなたたちがそうやって横断歩道を塞いだら、小学生が横断歩道を通れないじゃないか。」怒鳴った時に大人たちが驚いたような顔をしたところで場面が変わり、映画館らしき建物に入る。窓口で「大人一枚」と告げると女性職員が「1300円です」と答えた。
▼ところが手元に財布がない。この時点でようやく夢だと理解した。わたしは疲れていたり緊張したまま寝ると同じパターンの夢をさまざまなシチュエーションで見る傾向がある。そのパターンとは、「たどり着けない・間に合わない・達成できない」などのパターンだ。そのパターンに沿って、さまざまなシチュエーションの夢が展開する。
▼今回は映画館に行ったのに財布が見つからずに映画を鑑賞できないという夢。ある時は急いで目的地に行こうとするのに家の鍵が見つからず、とうとう家を出られずに目的地に行けない夢。ある時は探し物をしていて、どれだけ探しても見つからない夢。パターンは同じで、さまざまなシチュエーションで展開されていく。だれか夢を解き明かしてくれる人がいたら聞かせてほしい。
▼1月3日(土)は今年初めての穏やかな天気だった。釣りに行きたくてたまらなかったが、説教案づくりを優先する日なので、どうしてもこの日は出ることができない。元日に返事を出した後に2日に届いた年賀状に返事を出すために郵便ポストに向かっていたら「あれ?いい天気ですよ。釣りに行かないのですか?」と言われ、行きたかったのでとても辛かった。
▼そう言えば、年賀状は昨年11月に購入したのに、なぜ元日になって投函しているのだろうか。
‥‥‥†‥‥‥
新企画今週の1枚
‥‥‥†‥‥‥
第354回目。釣りは潮を狙え。潮汐と爆釣タイムを参考にできる便利なサイト。
ホームページもご覧ください。
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===-===-===-=== † 神に感謝 † ===-===-===-===-===
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主の公現
(マタイ2:1-12)
学者たちはひれ伏して幼子を拝んだ
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主の公現の祝日を迎えました。幼子イエスを拝む占星術の学者たちから、わたしたちの日々の生活を振り返り、証しを立てるヒントを得ることにいたしましょう。
初夢についていろいろネット上で調べると、諸説ありました。大晦日から正月一日にかけて見る夢、正月一日の夜に見る夢、正月二日の夜に見る夢の三つの説があるようです。その中で支持されているのは正月一日の夜に見る夢だそうです。わたしが見た夢は大晦日の夜に見た夢でしたが、びっくりして起きたのですから確実に大晦日を過ぎていました。
主の公現は、東の国からやってきた占星術の学者たちの礼拝によって、主の降誕が広く諸国に知られることになった出来事です。学者たちの訪問は、ユダヤ人の王がお生まれになったことを内外に知らせるきっかけとなりました。
彼らはまずヘロデ王に会いに行って、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」(2・2)と自分たちの訪問の理由を明らかにします。これで、ユダヤ中に出来事が知られることとなりました。
また幼子イエスを礼拝した学者たちは、当然自分たちの国に帰国してから幼子のことを人々に告げ知らせるでしょうから、自分たちのいる国でも話題になります。占星術の学者たちの登場は、ひっそりとお生まれになった救い主を一変させたわけです。
占星術の学者たちは母マリアと共におられた幼子イエスをひれ伏して拝み、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げました。学者たちは突き詰めると、何をしに幼子イエスのもとに来たのでしょうか。わたしは、「ひれ伏して拝むために」来たのだと思います。
贈り物を献げるだけでしたら、遣いの者に持たせて運ばせることができたでしょう。けれども、ひれ伏して礼拝をささげるのは本人たちが出向くのでなければ意味がありません。代理の人間ではなく、本人たちが礼拝をささげることで、ひれ伏して拝む価値は最上のものになります。
曲がりなりにも学者と呼ばれる人が幼子の前にひれ伏すのですから、このしぐさは特別のことと言わなければなりません。権威を振りかざすヘロデ王の前でもきっとひれ伏してあいさつしたでしょうが、同じ学者が、何も持たない、幼子にすぎないイエス・キリストの前にひれ伏す姿はいっそう荘厳に見えます。ひれ伏しても何も与えてもらうことはないと分かっていて、彼らは幼子の前にひれ伏したのです。
幼子イエスの前に進んで身をかがめる占星術の学者たちと、幼子のことを嗅ぎまわるけれども決して身をかがめないヘロデ王とその一味は、明らかに比較されています。
この対比は、わたしたちに決断を迫っているのです。あなたは、幼子イエスの前に進み出て、喜んで身をかがめますか。それとも、幼子のことを詳しく聞いたのに、それでもイエスの前に身をかがめないのですか。わたしたちが取るべき態度は明らかです。
ではわたしたちはどのように、占星術の学者たちの態度に見習えばよいのでしょうか。学者たちは2つの態度を取りました。1つは、公の人の前で、自分の信じている方、礼拝をささげるべき方がこの世におられると表明したのです。もう1つは、いよいよその方の前に来た時に、進んで身をかがめたのです。
わたしたちも、占星術の学者の取った態度に見習う必要があります。公の人、公の場で、自分が信じている方、礼拝をささげるべき方がこの世におられると、立派に表明してほしいと思います。いつその場面が巡ってくるか、それをこちらから選ぶことはできませんが、その機会が巡って来たとき、それがどんな場所であっても、信じている方、礼拝をささげるべき方を覆い隠したり言葉を濁したりしてはならないのです。
もう1つ、いよいよその方の前に来た時に、わたしたちは進んで身をかがめます。その具体的な場所はわたしたちの教会です。ここではただお一人の方、イエス・キリストにすべての人が身をかがめます。ここにいるわたしたちは皆、だれも身分の上下を問われず、ただイエスの前に身をかがめる人かそうでないかだけが問われるのです。羊飼いも、東方から来た学者も、だれも身分を気にすることなく、幼子イエスの前に自分を明け渡したのです。
その際、贈り物を献げた学者たちのように、自分を表す何かをイエスの前に献げることはたいへん賢い生き方です。感謝・賛美・礼拝・嘆願などを表そうとここに集まっているのですから、わたしの思いを表す何かをお献げしましょう。
最後に、学者たちに示された夢のお告げに目を留めましょう。「ヘロデのところへ帰るな」(2・12)というお告げでした。もしも学者たちがヘロデのもとに帰ると、信じる方にではなく、権力者にひれ伏すことになります。彼らにはもはやひれ伏す方はただお一人しかいないのです。
わたしたちもそうです。わたしたちがひれ伏す方はただ一人です。その生き方を決して曲げてはいけません。権力を振りかざす人の前でひれ伏しません。富や悪に流されてひれ伏したりしません。ただイエス・キリストにだけひれ伏してこの人生を全うします。
占星術の学者たちは、星の導きによって真の礼拝をささげる相手を見いだし、生涯その生き方に留まりました。わたしたちを照らす星は聖霊だと思います。聖霊に導かれて、イエス・キリストお一人を礼拝し、イエス・キリストお一人に身をかがめて生きることができますように。このミサの中で恵みを願うことにしましょう。
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主の洗礼
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