こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

神の母聖マリア(ルカ2:16-21)マリアはイエスと共に成長する

2013-12-31 | Weblog
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(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://hanashi-no-mori.news-site.net/voice/141010.mp3

(音声ファイルは、MP3形式です。)
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こうじ神父
「今週の説教」
14/01/01(No.687)
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神の母聖マリア
(ルカ2:16-21)
マリアはイエスと共に成長する
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新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。守るべき大祝日である御降誕と神の母聖マリアの祭日は、ミサの依頼を発表しませんので、依頼された方のミサは、あらためて次のミサで発表いたします。また、本日の神の母聖マリアのミサの終わりに、新成人を迎えた方の祝福式をおこないます。皆さんで、新成人をお祝いしましょう。

昨年末に茨城県に住んでいる妹が、妹の子を連れて里帰りしていました。半年前と比べてどれくらい成長しているだろうかと実家に様子を見に行きました。半年前は1歳9ヶ月、何かを話しているのですがまったく聞き取れませんでした。

それが、2歳3ヶ月ですっかり変わって、飼い猫を見れば「ねこ」と呼びながら指さしましたし、「こんばんは」のようなあいさつもオウム返しですが返せるようになっていました。「へぇ、話せるようになるんだ」と当たり前のことを妹に聞いたら、「最近はよちよち歩きじゃなくて、走り回って困るの」と成長ぶりを聞かせてくれました。

成長していく子供もそうですが、母親となった妹も、子供と一緒に成長しているのだなぁと思います。わたしとは10歳離れていますが、結婚し、母となったことが本人を成長させてくれているのだと思います。

さて、世界中どこでも新年のミサは「神の母聖マリア」を祝います。今年は、母として成長するマリアの姿に注目してみました。マリアも、大きな使命を託されて、立派に成長していったのでした。当時はとても早く結婚していたでしょうから、マリアがイエスの母となったときは、10代の後半から、20代にかけてのことだったでしょう。すると、一人の人間として、まだまだ成長途上にあったのだと思います。

マリアの成長は、マリア一人だけで積み上げていったのでしょうか。わたしは、御子イエスがそばにいることで、マリアは成長し、完全な者となっていったと思います。マリア一人では理解することも受け止めることもできないようなたくさんの出来事がマリアの一生涯には起こりましたが、彼女が「出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」(2・19)この姿勢で何事も受け止めることができたのは、イエスがそばにおられたからなのです。

つまり、マリアはイエスを産み、神の母になるという恵みをいただいたことで、すべての女性の模範、すべての母の模範となるほどに成長し、完成されていったのです。神の母聖マリアはいつもイエスと共に成長していきました。マリアが登場する場面には、つねにイエスの姿があります。

神の母マリアの称号は、もちろんイエスの母マリアにのみ与えられる称号です。ですが、神の母マリアの生涯の歩みは、わたしたち皆にも模範として示されています。マリアが神の母であるのは、神の子を宿したたった一人の女性であるからですが、同時に、イエスを大切に育て、イエスから離れずに暮らし、イエスのどんな小さなしぐさも見つめながら生きておられたからでもあります。

すると、わたしたちはイエスの母になることはできませんが、イエスの近くにいてイエスと共に暮らし、イエスの小さなしぐさも見つめながら生きることは可能なのではないでしょうか。マリアは、イエスと共に歩む中で神の母聖マリアとして成長し、完成されていきました。

同じように、わたしたちが新しい年をイエスと共に歩むなら、マリアのように成長することができます。神の母聖マリアを称えるわたしたちは、神の母聖マリアが成長していった歩みに倣って、わたしたちのさらなる信仰面の成長を願うことができます。

今年一年、わたしたちがより良い年であることを願うなら、それは神と共にある生活を願うのがいちばんの近道です。どのようにして神が共にいてくださる生活を積み重ねていけるか、それぞれ考えましょう。今日こうして礼拝に集まったように、ふだんから教会に足を運ぶことも神と共にある生活を維持する力になります。

礼拝に集い、祝福を受け、派遣の言葉に送られながら、今年一年、また成長していきましょう。神の母聖マリアの取り次ぎを願いながら、イエスと共に生きる決意を確かめ合うことにしましょう。

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‥次の説教は‥‥
主の公現
(マタイ2:1-12)
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ちょっとひとやすみ
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▼大晦日にわたしは決まって一年を振り返り、手書きのメモのような「遺言状」を書くのが習慣になっている。書式を守っていないので遺言としての有効性がないが、わたしにもしものことがあったときは、このメモに沿って残った物を処分して欲しいと思っている。
▼2013年はいろんな出会いに恵まれた年だったと思う。また、苦手なことに挑戦することもできた。それもこれも人との出会いがあってのことだが、特に「歩くこと」に目を向けることができたのは大きな収穫だった。
▼昨年は人生で初めて、20kmという長距離を歩いたが、それは今年の3日間で100kmを歩き通す準備に過ぎない。去年歩くことの奥の深さみたいなものを考えさせられて、それが今年の計画に繋がっている。あと2ヶ月。来年2月と言っていたのが嘘のようだ。
▼合同自主トレをそんなにひんぱんに出来ない分、自主トレをできるだけ続けるよう努力している。去年12月28日に往復11kmあるき、30日の歩き納めとして12kmをこなした。歩くのがいちばん遅い移動手段だが、歩くのがいちばん収穫の多い移動手段でもある。
▼浜串の上にある「浜串入り口」というバス停から「神ノ浦」というバス停までを往復したとき、さまざまなゴミが道路脇に捨ててあるのが目に留まった。車で走っても、道路の崖下に捨てられたゴミは決して見ない。だが歩いてみると、美しい自然がいかに汚されているかがよく分かる。
▼空き缶や、生活ゴミがたくさん捨てられていたのは想定内だったが、赤白の工事現場で使用する三角のポールとか、お酒を運ぶケースとか、考えられないものまで捨てられていた。三角のポールは強風で飛ばされた可能性もあるから断定はしないが、お酒を運ぶ四角の大型ケースは捨てなければあんな場所にはないはずだ。
▼これからも、いちばん遅い移動手段でいちばん多くの情報を収集したい。いちばん苦労して移動して、いちばん苦労した時代の人たちの信仰に触れたい。時間はかなりかかるが、時間以上の収穫をいつも感じている。

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今週の1枚
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第294回目。鯛ノ浦港(上)と、有川港(下)の区間を往復。歩くのも悪くない。

ホームページもご覧ください。
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