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‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
12/10/28(No.616)
‥‥‥†‥‥‥‥
年間第30主日
(マルコ10:46-52)
「行きなさい」と送り出すイエスに従う
‥‥‥†‥‥‥‥
水曜日に、浜串教会の中学2年生が堅信式前の試験を受けました。筆記試験と祈りの口頭試験です。筆記試験は括弧の穴埋め問題で、108問設定されていまして、1問につき1.5点で満点は150点、祈りの試験は範囲が10問あって、その中から5問をくじで引いて答えます。これが50点。全体で、200点満点、合格点は150点となっていました。
筆記試験は108問ありますから、たとえ8問しくじっても150点満点をもらえます。この少しの余裕で、まぁ中にはギリギリ合格する人もいるのかなぁと思っていました。一週間前に試験問題を配って勉強してこいと言っておいたのですが、わたしは正直、「勉強してこないのもいるだろうなぁ。そいつは主任司祭の憐れみで救ってあげないといけないかなぁ」という覚悟はあったのです。
ところが、いざ蓋を開けますと、みんな猛烈に勉強したらしく、堂々と自分たちの力で合格を勝ち取ってしまいました。わたしが憐れみをかけて、恩を売るという、そういう計画は泡と消えました。残念であります。今年の中学2年生は、勉強すればちゃんと結果を出せる生徒のようです。
今週の福音朗読は、盲人バルティマイのいやしの物語です。マルコ福音記者は、バルティマイの目をどうやって見えるようにしたか、その具体的なことにはあまり関心がなく、むしろイエスと出会うまでの苦悩に多くの表現を割いています。
彼は道端に座り、叫んで、イエスに見つけてもらおうとしています。多くの人々が、バルティマイを黙らせようとしました。これは、バルティマイがイエスに出会うために乗り越えなければならない壁となります。イエスと自分が出会うためには、何としてもイエスに見つけてもらわなければなりません。それで、バルティマイは叫び続けました。
イエスは彼にどのように答えてくださったのでしょうか。イエスは彼を見つけて、ご自分のもとへ呼び、そして最後には「行きなさい」と送り出します。このイエスの一連の動きは、バルティマイだけでなく、わたしたちすべてに深く関わっています。
まずはバルティマイのその後を見届けましょう。彼は目が見えるようになりたいと願いました。イエスは、奇跡を起こすことばさえも言わずに奇跡を行い、「行きなさい」と声を掛けたのです。つまりそれは、いやしのことばよりも、「行きなさい」ということばのほうが、もっと大切な意味を含んでいるということではないでしょうか。
バルティマイは、願い通りすぐに見えるようになりました。もし、見えることだけで彼が満足したなら、次の言葉は物語に加えられなかったことでしょう。「なお道を進まれるイエスに従った。」(10・52)
バルティマイは見えるようになったとき、イエスに従うべきだと理解したのです。バルティマイにとって、見えるようになったのはほんの始まりで、イエスに従ってこれからを生きることのほうが、もっと重大なことだったのです。
ここに、今週わたしたちが学ぶべき点があると思います。悩みを抱え、苦悩しているすべての人に、イエスは足を止め、その人を見つけてくださいます。そしてご自分のもとへ呼び、最後には「行きなさい」と声を掛けてくださいます。
どこへ行くのか。それはバルティマイと同じ道です。バルティマイは「なお道を進むイエスに従った」のでした。イエスがこれから進む道、それは、エルサレムへの道です。つまり、十字架にかかって命をささげ、救いを完成される道のりです。
ですから、イエスに見つけてもらい、「行きなさい」と送り出された人は皆、救いを完成させるための道を歩き始めることになります。バラバラに、好き勝手に歩くのではなく、その速さも、いつから歩き始めるかも人それぞれですが、皆、イエスが歩んだ救いの完成への道を、歩き始めるのです。それも、イエスのあとに従って歩むのです。
堅信式を受ける中学2年生の皆さんは、今年は11月11日に、青方教会に集まって堅信の秘跡を受けます。皆呼び集められ、司教さまに秘跡を授けてもらって、「行きましょう、主の平和のうちに」という呼び声で送り出されます。実はこの日一日はイエスに声を掛けてもらい、なお道を進まれるイエスに従う一日なのです。堅信の秘跡を受けて、さらに歩みを確かなものにして、イエスに従う日なのです。
結婚した人たち、皆さんは教会に呼び集められ、神に結び合わせてもらい、そして祝福のうちに送り出されました。その日から、なお道を歩まれるイエスに従う日を積み重ねてきています。修道者も司祭も、だれもがイエスに呼ばれ、「行きなさい」と送り出されて今を生きているのです。
振り返って、わたしたちは本当に、「なお道を進まれるイエスに」従っているでしょうか。堅信式や、結婚式や、誓願式叙階式で、わたしたちの目は以前よりも見えるようになり、イエスの歩む道を歩み続けているはずなのです。
もしかしたらある人は、歩みを止め、遠ざかっていくイエスの姿を見ても追いつこうとせず、道を逸れようとしているかもしれません。それでもイエスは、またきっといつかあなたを見つけ出し、ご自分のもとに呼び、「行きなさい」と声を掛けてくださいます。
イエスは今日、わたしたち一人一人に、「何をして欲しいのか」と尋ねます。本当に今必要なことを願い、イエスに従ってこれからの道を歩み続けることができるように、ミサの中で声を上げることにしましょう。
‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
年間第31主日
(マルコ12:28b-34)
‥‥‥†‥‥‥‥
‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥
▼心あるかたから血圧計をプレゼントしてもらった。毎日、血圧を測っている。まぁ言ってみれば精神安定剤のようなものだが、自分の体が発している信号をキャッチしてあげなさいという神さまの声に、従おうと思っている。
▼メールアドレスを教えてもらっている上五島病院の先生に「血圧計をもらいました。今計ったところ、上が118で、下が78、脈拍は70です」と、画像を添付して様子をメールでお知らせした。
▼「正常な範囲の値です」と、先生から連絡が入った。ところが自分が送った添付ファイル付きのメールを読み返して、とんでもないことに気がついた。わたしが医師に送った添付ファイルには、プレゼントされた血圧計のパッケージの箱と、中に入っていた本物の血圧計とが写し出されていたが、本物の血圧計には数値が表示されていないではないか。
▼では何を見て、数値を医師に報告したのだろうか。すぐに分かった。パッケージの箱に移し出された血圧計に、報告したそのままの数値が表示されていた。どうやら考えもなしにパッケージの数値を読み上げて、報告していたらしいのである。
▼慌てて、血圧を測り直し、メモにとって、その数値を報告しなおした。先生はどう思っただろうか。慌て者だなぁと思ったかもしれない。そのせいか、やや下の数値が高かったような気がする。
▼こんなドジを踏むなんて、かつては考えられなかったことだが、こんなことを平気でするようになったのは、もはや年齢のなせるわざとしか思えない。こんなヘマをして、笑われたりする年齢になったのだと、受け入れることにした。
‥‥‥†‥‥‥
今週の1枚
‥‥‥†‥‥‥
第223回目。その血圧計。思い返すと穴があったら入りたい気分である。
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===-===-===-=== † 神に感謝 † ===-===-===-===-===
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水曜日に、浜串教会の中学2年生が堅信式前の試験を受けました。筆記試験と祈りの口頭試験です。筆記試験は括弧の穴埋め問題で、108問設定されていまして、1問につき1.5点で満点は150点、祈りの試験は範囲が10問あって、その中から5問をくじで引いて答えます。これが50点。全体で、200点満点、合格点は150点となっていました。
筆記試験は108問ありますから、たとえ8問しくじっても150点満点をもらえます。この少しの余裕で、まぁ中にはギリギリ合格する人もいるのかなぁと思っていました。一週間前に試験問題を配って勉強してこいと言っておいたのですが、わたしは正直、「勉強してこないのもいるだろうなぁ。そいつは主任司祭の憐れみで救ってあげないといけないかなぁ」という覚悟はあったのです。
ところが、いざ蓋を開けますと、みんな猛烈に勉強したらしく、堂々と自分たちの力で合格を勝ち取ってしまいました。わたしが憐れみをかけて、恩を売るという、そういう計画は泡と消えました。残念であります。今年の中学2年生は、勉強すればちゃんと結果を出せる生徒のようです。
今週の福音朗読は、盲人バルティマイのいやしの物語です。マルコ福音記者は、バルティマイの目をどうやって見えるようにしたか、その具体的なことにはあまり関心がなく、むしろイエスと出会うまでの苦悩に多くの表現を割いています。
彼は道端に座り、叫んで、イエスに見つけてもらおうとしています。多くの人々が、バルティマイを黙らせようとしました。これは、バルティマイがイエスに出会うために乗り越えなければならない壁となります。イエスと自分が出会うためには、何としてもイエスに見つけてもらわなければなりません。それで、バルティマイは叫び続けました。
イエスは彼にどのように答えてくださったのでしょうか。イエスは彼を見つけて、ご自分のもとへ呼び、そして最後には「行きなさい」と送り出します。このイエスの一連の動きは、バルティマイだけでなく、わたしたちすべてに深く関わっています。
まずはバルティマイのその後を見届けましょう。彼は目が見えるようになりたいと願いました。イエスは、奇跡を起こすことばさえも言わずに奇跡を行い、「行きなさい」と声を掛けたのです。つまりそれは、いやしのことばよりも、「行きなさい」ということばのほうが、もっと大切な意味を含んでいるということではないでしょうか。
バルティマイは、願い通りすぐに見えるようになりました。もし、見えることだけで彼が満足したなら、次の言葉は物語に加えられなかったことでしょう。「なお道を進まれるイエスに従った。」(10・52)
バルティマイは見えるようになったとき、イエスに従うべきだと理解したのです。バルティマイにとって、見えるようになったのはほんの始まりで、イエスに従ってこれからを生きることのほうが、もっと重大なことだったのです。
ここに、今週わたしたちが学ぶべき点があると思います。悩みを抱え、苦悩しているすべての人に、イエスは足を止め、その人を見つけてくださいます。そしてご自分のもとへ呼び、最後には「行きなさい」と声を掛けてくださいます。
どこへ行くのか。それはバルティマイと同じ道です。バルティマイは「なお道を進むイエスに従った」のでした。イエスがこれから進む道、それは、エルサレムへの道です。つまり、十字架にかかって命をささげ、救いを完成される道のりです。
ですから、イエスに見つけてもらい、「行きなさい」と送り出された人は皆、救いを完成させるための道を歩き始めることになります。バラバラに、好き勝手に歩くのではなく、その速さも、いつから歩き始めるかも人それぞれですが、皆、イエスが歩んだ救いの完成への道を、歩き始めるのです。それも、イエスのあとに従って歩むのです。
堅信式を受ける中学2年生の皆さんは、今年は11月11日に、青方教会に集まって堅信の秘跡を受けます。皆呼び集められ、司教さまに秘跡を授けてもらって、「行きましょう、主の平和のうちに」という呼び声で送り出されます。実はこの日一日はイエスに声を掛けてもらい、なお道を進まれるイエスに従う一日なのです。堅信の秘跡を受けて、さらに歩みを確かなものにして、イエスに従う日なのです。
結婚した人たち、皆さんは教会に呼び集められ、神に結び合わせてもらい、そして祝福のうちに送り出されました。その日から、なお道を歩まれるイエスに従う日を積み重ねてきています。修道者も司祭も、だれもがイエスに呼ばれ、「行きなさい」と送り出されて今を生きているのです。
振り返って、わたしたちは本当に、「なお道を進まれるイエスに」従っているでしょうか。堅信式や、結婚式や、誓願式叙階式で、わたしたちの目は以前よりも見えるようになり、イエスの歩む道を歩み続けているはずなのです。
もしかしたらある人は、歩みを止め、遠ざかっていくイエスの姿を見ても追いつこうとせず、道を逸れようとしているかもしれません。それでもイエスは、またきっといつかあなたを見つけ出し、ご自分のもとに呼び、「行きなさい」と声を掛けてくださいます。
イエスは今日、わたしたち一人一人に、「何をして欲しいのか」と尋ねます。本当に今必要なことを願い、イエスに従ってこれからの道を歩み続けることができるように、ミサの中で声を上げることにしましょう。
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▼心あるかたから血圧計をプレゼントしてもらった。毎日、血圧を測っている。まぁ言ってみれば精神安定剤のようなものだが、自分の体が発している信号をキャッチしてあげなさいという神さまの声に、従おうと思っている。
▼メールアドレスを教えてもらっている上五島病院の先生に「血圧計をもらいました。今計ったところ、上が118で、下が78、脈拍は70です」と、画像を添付して様子をメールでお知らせした。
▼「正常な範囲の値です」と、先生から連絡が入った。ところが自分が送った添付ファイル付きのメールを読み返して、とんでもないことに気がついた。わたしが医師に送った添付ファイルには、プレゼントされた血圧計のパッケージの箱と、中に入っていた本物の血圧計とが写し出されていたが、本物の血圧計には数値が表示されていないではないか。
▼では何を見て、数値を医師に報告したのだろうか。すぐに分かった。パッケージの箱に移し出された血圧計に、報告したそのままの数値が表示されていた。どうやら考えもなしにパッケージの数値を読み上げて、報告していたらしいのである。
▼慌てて、血圧を測り直し、メモにとって、その数値を報告しなおした。先生はどう思っただろうか。慌て者だなぁと思ったかもしれない。そのせいか、やや下の数値が高かったような気がする。
▼こんなドジを踏むなんて、かつては考えられなかったことだが、こんなことを平気でするようになったのは、もはや年齢のなせるわざとしか思えない。こんなヘマをして、笑われたりする年齢になったのだと、受け入れることにした。
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