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こうじ神父
「今週の説教」
12/02/19(No.576)
‥‥‥†‥‥‥‥
年間第7主日
(マルコ2:1-12)
イエスの前に運ばれた人は、いやされて
‥‥‥†‥‥‥‥
次の日曜日、浦上教会で叙階式が行われます。司祭叙階が1人、助祭叙階が2人です。司祭になるのは、曽根小教区の大水助祭です。わたしは叙階式というのは、教会が自分たちと社会に向けて証しをするとても大きな場だと思います。
何を証しするかと言いますと、ひとことで言えば「イエス・キリストは自分の生涯をかけて信じるに値する方です」という証しです。とくに司祭・助祭叙階は、生涯独身を貫いて、その生き方を全うするわけですから、教会にとって、また社会に対して、決定的な影響を与えることができます。午後3時からですので、あわせてお祈りいただければと思います。
考えてみるとこんな大きな喜びの日に、子どもたちを何とかして叙階式に参加させることができるなら、子どもたちの心に憧れを抱かせる絶好の機会なのになぁと今になって思います。五島の場合は、26日日曜日午後3時の叙階式に参加させて、その日のうちにどうやって帰ってくるのかという問題があります。なかなか実現は難しいのですけれども、叙階式や、誓願式に子どもたちを連れて行くのは、チャンスがあれば実行したいと思います。
今週の中風の人をいやす物語で鍵を握っているのは、病人を運んできた四人の人です。大勢の人が集まっている場所に、四人の男が中風の人を運んできました。この四人は、イエスさまだったら病気を治せると信じて、中風の人を運んできた人たちです。群衆に阻まれていて、ふつうであればあきらめるところを、彼らはイエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろしたとあります。
イエスはこの人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言いました。四人は、病気の治癒のために行動したつもりでした。けれども、イエスは奇跡を、罪を赦す神の子としての権能に結び付けたのです。イエスは神の子であると、人々が神を賛美し、律法学者が神への冒とくだと心の中で考えるようになったきっかけを、病人を運んだ四人の行動で橋渡しをしたことになります。
中風の人は、病気であっただけでなく、何かの罪を抱えていたことになります。どのような罪だったのかは分かりません。運んできた四人は、病気を抱えている人の罪までは分からなかったかも知れません。けれどもイエスによって、罪の赦しと、最終的に病気のいやしまでいただいた様子を見て、イエスは罪を赦し、病気もいやす、この世でただ一人の人だと知りました。
病気の人を四人がイエスの前に運んできて、その様子をすべての人が注目しています。運んできた四人、弟子たち、取り囲んでいる人々、律法学者などです。もっと言うと、今日物語を黙想しているわたしたちも、様子に注目している中に含まれていると言えます。
そして、それぞれにイエスさまに対する思いが湧いてきました。神を賛美する人々も現れましたし、神を冒とくしているとして心の底から憎しみを覚えた人も現れました。同じ場所にわたしたちも立っているわけです。
わたしたちも、自分の信仰を言い表す必要があります。イエスは病気の人を連れてきたときに、連れてきた人に見えていなかった部分、罪の赦しも与えて下さいました。このことでイエスさまは、わたしたちに考えさせようとしていると思います。「わたしは、あなたが気付いていない部分にも力をもっています。あなたはわたしを、信じて受け入れてくれますか。」
この招きに、よく考えて答える。これが今週のわたしたちの宿題です。例えばそれは、司祭・助祭に叙階される人々のように、「生涯をかけて信じるに値する方です」という信仰を表すこともできるでしょうし、「生活の基本、生きる土台です」という信仰の表し方もできるでしょう。ある人は命の危険にさしかかっていて、「最期を委ねることのできるお方です」と答えるかも知れません。
後輩司祭が誕生するこの時期、20年前を振り返って、わたしはどうだったのかなぁとやはり考えてしまいます。「生涯をかけて、信じるに値するお方です」と、たしかに証しをしたと思うのですが、今その証しは曇っているのではないかなぁ、そう反省させられます。
わたしたちは誓いを立てたり、決心を抱いたり、またその誓いからある一定の時間が経っていたりしますが、それが初めのままの純粋な状態で保たれているかなぁと振り返ってみたらよいと思います。もし思う所があれば、何を補えばよいか、考えましょう。わたしたちの生活は、証しの生活であるし、証しを機会あるごとに振り返り、更新していく生活でもあると思います。
最後に、イエスの前に運んでこられた人は、罪を赦され、病もいやされてどこへ行ったのでしょうか。その続きの物語を、わたしたちが受け継ぎましょう。わたしたちの生き方で、「起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った」その後の物語を「イエスを証しする物語」として、完成させましょう。
‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
四旬節第1主日
(マルコ1:12-15)
‥‥‥†‥‥‥‥
‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥
▼誕生日が近づいてきた。来月の話だが、最近は年に1度だけの特別ご褒美として、誕生日ワインを購入している。1966年生まれなので、1966年のワインを購入するわけだ。最近始めた習慣だが、購入し始めた頃と比べると、購入をためらい始めている。
▼というのは、1966年物というのは、つまり46年物のワインということになる。わたしがネットで調べる限り、数千円のワインは見つからない。1万円をくだらないのである。今回調べた結果、12800円のワインがようやく見つかったので、それを注文することにした。
▼偶然か、あるいはネット大手なのか、去年と同じ店舗からの注文となった。担当者からは「ご注文いただき、ありがとうございます。遠い場所からの注文に、ネットで出会うことのできる縁を大切にしたいと思いました」みたいなメッセージが付いていたが、去年も同じ時期に購入したのに、気付いてくれよと思ったりもした。
▼商品が届いて、味見をしたら、また感想をここに載せようと思っているが、去年からはさらに贅沢なことをしている。誕生日が1週間違いの同級生が同じ新上五島町に赴任してきたので、彼にもプレゼントしようという計画だ。
▼ちょっと彼とは心をゆるせる部分があって、それは彼も、お酒を飲んだら真っ赤になる共通点があるということ。上五島の司祭たちは、ほとんどがお酒に強くて、ちょっとわたしとかとは違う人種だと思う。まぁその点、同席したときに顔が真っ赤になる人がもう一人いるのはほっとする。
‥‥‥†‥‥‥
新企画今週の1枚
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第183回目。中学生がときどき学んでいるカテキズムテキスト。英語。
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===-===-===-=== † 神に感謝 † ===-===-===-===-===
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イエスの前に運ばれた人は、いやされて
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次の日曜日、浦上教会で叙階式が行われます。司祭叙階が1人、助祭叙階が2人です。司祭になるのは、曽根小教区の大水助祭です。わたしは叙階式というのは、教会が自分たちと社会に向けて証しをするとても大きな場だと思います。
何を証しするかと言いますと、ひとことで言えば「イエス・キリストは自分の生涯をかけて信じるに値する方です」という証しです。とくに司祭・助祭叙階は、生涯独身を貫いて、その生き方を全うするわけですから、教会にとって、また社会に対して、決定的な影響を与えることができます。午後3時からですので、あわせてお祈りいただければと思います。
考えてみるとこんな大きな喜びの日に、子どもたちを何とかして叙階式に参加させることができるなら、子どもたちの心に憧れを抱かせる絶好の機会なのになぁと今になって思います。五島の場合は、26日日曜日午後3時の叙階式に参加させて、その日のうちにどうやって帰ってくるのかという問題があります。なかなか実現は難しいのですけれども、叙階式や、誓願式に子どもたちを連れて行くのは、チャンスがあれば実行したいと思います。
今週の中風の人をいやす物語で鍵を握っているのは、病人を運んできた四人の人です。大勢の人が集まっている場所に、四人の男が中風の人を運んできました。この四人は、イエスさまだったら病気を治せると信じて、中風の人を運んできた人たちです。群衆に阻まれていて、ふつうであればあきらめるところを、彼らはイエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろしたとあります。
イエスはこの人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言いました。四人は、病気の治癒のために行動したつもりでした。けれども、イエスは奇跡を、罪を赦す神の子としての権能に結び付けたのです。イエスは神の子であると、人々が神を賛美し、律法学者が神への冒とくだと心の中で考えるようになったきっかけを、病人を運んだ四人の行動で橋渡しをしたことになります。
中風の人は、病気であっただけでなく、何かの罪を抱えていたことになります。どのような罪だったのかは分かりません。運んできた四人は、病気を抱えている人の罪までは分からなかったかも知れません。けれどもイエスによって、罪の赦しと、最終的に病気のいやしまでいただいた様子を見て、イエスは罪を赦し、病気もいやす、この世でただ一人の人だと知りました。
病気の人を四人がイエスの前に運んできて、その様子をすべての人が注目しています。運んできた四人、弟子たち、取り囲んでいる人々、律法学者などです。もっと言うと、今日物語を黙想しているわたしたちも、様子に注目している中に含まれていると言えます。
そして、それぞれにイエスさまに対する思いが湧いてきました。神を賛美する人々も現れましたし、神を冒とくしているとして心の底から憎しみを覚えた人も現れました。同じ場所にわたしたちも立っているわけです。
わたしたちも、自分の信仰を言い表す必要があります。イエスは病気の人を連れてきたときに、連れてきた人に見えていなかった部分、罪の赦しも与えて下さいました。このことでイエスさまは、わたしたちに考えさせようとしていると思います。「わたしは、あなたが気付いていない部分にも力をもっています。あなたはわたしを、信じて受け入れてくれますか。」
この招きに、よく考えて答える。これが今週のわたしたちの宿題です。例えばそれは、司祭・助祭に叙階される人々のように、「生涯をかけて信じるに値する方です」という信仰を表すこともできるでしょうし、「生活の基本、生きる土台です」という信仰の表し方もできるでしょう。ある人は命の危険にさしかかっていて、「最期を委ねることのできるお方です」と答えるかも知れません。
後輩司祭が誕生するこの時期、20年前を振り返って、わたしはどうだったのかなぁとやはり考えてしまいます。「生涯をかけて、信じるに値するお方です」と、たしかに証しをしたと思うのですが、今その証しは曇っているのではないかなぁ、そう反省させられます。
わたしたちは誓いを立てたり、決心を抱いたり、またその誓いからある一定の時間が経っていたりしますが、それが初めのままの純粋な状態で保たれているかなぁと振り返ってみたらよいと思います。もし思う所があれば、何を補えばよいか、考えましょう。わたしたちの生活は、証しの生活であるし、証しを機会あるごとに振り返り、更新していく生活でもあると思います。
最後に、イエスの前に運んでこられた人は、罪を赦され、病もいやされてどこへ行ったのでしょうか。その続きの物語を、わたしたちが受け継ぎましょう。わたしたちの生き方で、「起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った」その後の物語を「イエスを証しする物語」として、完成させましょう。
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▼誕生日が近づいてきた。来月の話だが、最近は年に1度だけの特別ご褒美として、誕生日ワインを購入している。1966年生まれなので、1966年のワインを購入するわけだ。最近始めた習慣だが、購入し始めた頃と比べると、購入をためらい始めている。
▼というのは、1966年物というのは、つまり46年物のワインということになる。わたしがネットで調べる限り、数千円のワインは見つからない。1万円をくだらないのである。今回調べた結果、12800円のワインがようやく見つかったので、それを注文することにした。
▼偶然か、あるいはネット大手なのか、去年と同じ店舗からの注文となった。担当者からは「ご注文いただき、ありがとうございます。遠い場所からの注文に、ネットで出会うことのできる縁を大切にしたいと思いました」みたいなメッセージが付いていたが、去年も同じ時期に購入したのに、気付いてくれよと思ったりもした。
▼商品が届いて、味見をしたら、また感想をここに載せようと思っているが、去年からはさらに贅沢なことをしている。誕生日が1週間違いの同級生が同じ新上五島町に赴任してきたので、彼にもプレゼントしようという計画だ。
▼ちょっと彼とは心をゆるせる部分があって、それは彼も、お酒を飲んだら真っ赤になる共通点があるということ。上五島の司祭たちは、ほとんどがお酒に強くて、ちょっとわたしとかとは違う人種だと思う。まぁその点、同席したときに顔が真っ赤になる人がもう一人いるのはほっとする。
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