当メルマガをご購読いただき、ありがとうございます。
(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://hanashi-no-mori.news-site.net/voice/81224.mp3
(音声ファイルは、MP3形式です。再生ソフトをを用意してください。)
‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
08/12/24(No.391)
‥‥‥†‥‥‥‥
主の降誕(夜半)
(ルカ2:1-14)
私たちは神の家族に登録されています
‥‥‥†‥‥‥‥
主の降誕、おめでとうございます。すでに、ご承知かも知れませんが、この説教の後に、1人のお子さんが洗礼をお受けになります。ずっと聖歌隊の席にいて、知っている歌は元気に歌い、司祭の招きにも答えることができるまでになっていました。今日は、洗礼式のことを少し意識して、説教したいと思います。
今日の出来事は、全世界にとって大きな出来事です。救い主である幼子は、ベツレヘムで生まれました。ベツレヘムで歴史が始まりました。ただし、人間の世界での歴史です。そこには必ず人間の働きが見え隠れします。
ヨセフとマリアがベツレヘムに向かったのは、自分たちがお産の場所としてベツレヘムを選んだからではなく、人口登録をせよとの皇帝の勅令があったので、ヨセフも、いいなずけのマリアと一緒にベツレヘムに向かったのでした。彼らがベツレヘムに行ったきっかけは、お産のためではなく、登録のためだったのです。
ところが、人間のこのような介入があったとしても、神さまの計画が妨げられるわけではありません。神さまは、ご自身のご計画に沿って、独り子をこの世にお遣わしになりました。ベツレヘムで救い主が生まれることは、ずっと前に聖書の中で預言されていたのです。
「ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである」(マタイ2・6)。
きっかけは人間に過ぎない皇帝の勅令でしたが、その皇帝の命令も含めて、神さまのご計画の中で出来事は動いていたのです。このヨセフとマリアが、ベツレヘムで登録に来たことを、クリスマスのメッセージとしてまずは取り上げたいと思います。
私たちはみな、出生のルーツがあります。そのルーツを知っている人もいれば、知らない人もいるでしょう。また、知ることのできる人もいれば、知り得ない人もいるかも知れません。いずれにしても、私が今存在しているのは、何かのルーツがあるからだということです。そして私たちは、そのルーツをたどっていく中で、神さまと出会うのです。
ヨセフとマリアは、この事実を私たちに教えてくれます。ヨセフは、皇帝の勅令という強制がきっかけではありましたが、自分のルーツであるベツレヘムというダビデの町に上っていきました。ルーツをたどっていく旅の中で、いいなずけのマリアは月が満ちて、初めての子を産みました。幼子イエスは、天使ガブリエルのお告げで示された「救い主」なのですから、彼らは幼子イエスを通して神に出会ったということになります。
今日洗礼を受けるお子さんも、洗礼の恵みによって登録されることになります。神の家族、教会の一員として登録に来たのです。登録されていなくても、神さまの胸の中に記憶されているかも知れませんが、目に見える形で登録することは大事なことです。ヨセフとマリアも登録に行きましたし、幼子イエスも、のちに神殿奉献を通して、人としては登録に出かけたわけです。
今日洗礼を受けるお子さんの様子を、私たちは目の当たりにします。私たちはすでに登録を済ませている者ですが、今日の洗礼式を通して、あらためて自分が神の家族、教会の一員に登録されていることを確認するとよいと思います。
ただ単に、自分が教会に結ばれているということを思い出すだけではなくて、私がこの世にいるのは、神さまの家族に登録されているからなんだなぁということをしみじみと味わってほしいのです。
教会に滅多に顔を出さない人であっても、もしかしたらクリスマスの日にしか教会に来ないという人であっても、神さまの心の中に、私が登録されているおかげで今生きている。そのことをもう一度思い出して、感謝をささげてほしいなぁと思います。
これから、伊王島幼児園の年長さんである○○○○君が洗礼を受けます。神さまの家族の仲間入りをします。私たちも喜んで迎えることにいたしましょう。
‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥
▼クリスマスにお子さんの洗礼を祝うことができました。救い主である幼子イエスを迎えた喜びが2倍になった気持ちです。この子の将来に乾杯。ということでこっそりミサ用のワインを失敬してきて、クリスマスケーキをほおばりつつ、祝杯を挙げようと思います。ただし、ひとりぼっちですが。
▼年末年始に向けて、説教案は快調に書き続けています。この分だと、「めろんぱん」を発行スタンドにして当メルマガを読んでおられる方は、12月28日に来年1月1日号と1月4日号を受け取ることができるでしょう。やはり、遅いよりも早いほうが読者のためには意味があると思います。
▼今、沸々とわき上がっているのは、「今週の○○」は、やはりいまいちなのでどこかで切り替えようかなということです。「今週のワンショット」というのは私も興味があるので、デジカメ片手にもう一度いろんな写真を撮ってみようと思っています。前もそんなことをしたのですが、続きませんでした。はてさて、今度はどうなりますやら。
▼11月に彫刻家舟越保武展を見学に行った。彫刻はある意味私の中に血が流れていると思う。決して威張っているわけではないが、血統には工房を構えて教会の聖像を作ったり修復したりしている人がいるので、まったくゼロではないと思う。加えて、自分も興味があるのでどこかでトライしてみたいという気はある。
▼ただし、彫刻も元になるのはデッサンである。私はデッサンはまったくできない。興味もない。だから、やはりまともな彫刻は無理だと思う。しっかりしたデッサンがなければ、作品は根拠のないものになるからだ。根拠は要らないが、ちょっとは「へぇ。こんなことができるんだね」という所は見せたい。あー、そう言っていたら、ケーキのクリームをナイフでいじって彫塑したくなった。
‥‥‥†‥‥‥
今週のワンショット
‥‥‥†‥‥‥
第63回目。しばらく新調した馬小屋の御像を紹介しておきます。
詳細は、ホームページ:http://hanashi-no-mori.news-site.net/にて。
‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
主の降誕(日中)
(ヨハネ1:1-18)
‥‥‥†‥‥‥‥
===-===-===-=== † 神に感謝 † ===-===-===-===-===
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こうじ神父
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08/12/24(No.391)
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主の降誕(夜半)
(ルカ2:1-14)
私たちは神の家族に登録されています
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主の降誕、おめでとうございます。すでに、ご承知かも知れませんが、この説教の後に、1人のお子さんが洗礼をお受けになります。ずっと聖歌隊の席にいて、知っている歌は元気に歌い、司祭の招きにも答えることができるまでになっていました。今日は、洗礼式のことを少し意識して、説教したいと思います。
今日の出来事は、全世界にとって大きな出来事です。救い主である幼子は、ベツレヘムで生まれました。ベツレヘムで歴史が始まりました。ただし、人間の世界での歴史です。そこには必ず人間の働きが見え隠れします。
ヨセフとマリアがベツレヘムに向かったのは、自分たちがお産の場所としてベツレヘムを選んだからではなく、人口登録をせよとの皇帝の勅令があったので、ヨセフも、いいなずけのマリアと一緒にベツレヘムに向かったのでした。彼らがベツレヘムに行ったきっかけは、お産のためではなく、登録のためだったのです。
ところが、人間のこのような介入があったとしても、神さまの計画が妨げられるわけではありません。神さまは、ご自身のご計画に沿って、独り子をこの世にお遣わしになりました。ベツレヘムで救い主が生まれることは、ずっと前に聖書の中で預言されていたのです。
「ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである」(マタイ2・6)。
きっかけは人間に過ぎない皇帝の勅令でしたが、その皇帝の命令も含めて、神さまのご計画の中で出来事は動いていたのです。このヨセフとマリアが、ベツレヘムで登録に来たことを、クリスマスのメッセージとしてまずは取り上げたいと思います。
私たちはみな、出生のルーツがあります。そのルーツを知っている人もいれば、知らない人もいるでしょう。また、知ることのできる人もいれば、知り得ない人もいるかも知れません。いずれにしても、私が今存在しているのは、何かのルーツがあるからだということです。そして私たちは、そのルーツをたどっていく中で、神さまと出会うのです。
ヨセフとマリアは、この事実を私たちに教えてくれます。ヨセフは、皇帝の勅令という強制がきっかけではありましたが、自分のルーツであるベツレヘムというダビデの町に上っていきました。ルーツをたどっていく旅の中で、いいなずけのマリアは月が満ちて、初めての子を産みました。幼子イエスは、天使ガブリエルのお告げで示された「救い主」なのですから、彼らは幼子イエスを通して神に出会ったということになります。
今日洗礼を受けるお子さんも、洗礼の恵みによって登録されることになります。神の家族、教会の一員として登録に来たのです。登録されていなくても、神さまの胸の中に記憶されているかも知れませんが、目に見える形で登録することは大事なことです。ヨセフとマリアも登録に行きましたし、幼子イエスも、のちに神殿奉献を通して、人としては登録に出かけたわけです。
今日洗礼を受けるお子さんの様子を、私たちは目の当たりにします。私たちはすでに登録を済ませている者ですが、今日の洗礼式を通して、あらためて自分が神の家族、教会の一員に登録されていることを確認するとよいと思います。
ただ単に、自分が教会に結ばれているということを思い出すだけではなくて、私がこの世にいるのは、神さまの家族に登録されているからなんだなぁということをしみじみと味わってほしいのです。
教会に滅多に顔を出さない人であっても、もしかしたらクリスマスの日にしか教会に来ないという人であっても、神さまの心の中に、私が登録されているおかげで今生きている。そのことをもう一度思い出して、感謝をささげてほしいなぁと思います。
これから、伊王島幼児園の年長さんである○○○○君が洗礼を受けます。神さまの家族の仲間入りをします。私たちも喜んで迎えることにいたしましょう。
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ちょっとひとやすみ
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▼クリスマスにお子さんの洗礼を祝うことができました。救い主である幼子イエスを迎えた喜びが2倍になった気持ちです。この子の将来に乾杯。ということでこっそりミサ用のワインを失敬してきて、クリスマスケーキをほおばりつつ、祝杯を挙げようと思います。ただし、ひとりぼっちですが。
▼年末年始に向けて、説教案は快調に書き続けています。この分だと、「めろんぱん」を発行スタンドにして当メルマガを読んでおられる方は、12月28日に来年1月1日号と1月4日号を受け取ることができるでしょう。やはり、遅いよりも早いほうが読者のためには意味があると思います。
▼今、沸々とわき上がっているのは、「今週の○○」は、やはりいまいちなのでどこかで切り替えようかなということです。「今週のワンショット」というのは私も興味があるので、デジカメ片手にもう一度いろんな写真を撮ってみようと思っています。前もそんなことをしたのですが、続きませんでした。はてさて、今度はどうなりますやら。
▼11月に彫刻家舟越保武展を見学に行った。彫刻はある意味私の中に血が流れていると思う。決して威張っているわけではないが、血統には工房を構えて教会の聖像を作ったり修復したりしている人がいるので、まったくゼロではないと思う。加えて、自分も興味があるのでどこかでトライしてみたいという気はある。
▼ただし、彫刻も元になるのはデッサンである。私はデッサンはまったくできない。興味もない。だから、やはりまともな彫刻は無理だと思う。しっかりしたデッサンがなければ、作品は根拠のないものになるからだ。根拠は要らないが、ちょっとは「へぇ。こんなことができるんだね」という所は見せたい。あー、そう言っていたら、ケーキのクリームをナイフでいじって彫塑したくなった。
‥‥‥†‥‥‥
今週のワンショット
‥‥‥†‥‥‥
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