いまさら6日のことを記事化してすみません。
今月5日の夕方から6日の朝まで、敦賀市内の某ホテルで過ごした。
6日の朝、朝食をとり、出発の準備をしてチェックアウトした。
そして、8時頃、敦賀駅へ到着。
駅のコインロッカーに大きな荷物を預けて、わたしは、駅の改札を通った。
父は、駅前から市内観光に行った。
敦賀駅から、普通列車4893Mに乗車した。
列車は、北陸本線では最新型の521系電車だった。2両編成である。
8時54分、敦賀駅を発車した4893M列車は、次は、南今庄駅に停車する。
発車してまもなく、左手には、敦賀港へ向かっていた貨物線が見えた。
レールには、車止め代わりの古枕木が置かれていた。
列車は、敦賀駅を出てしばらくすると、北陸トンネルに入った。長大なトンネルである。
地上へ出るのに10分近くかかった。
トンネルを抜けると、まもなく南今庄駅である。
駅は、2面2線のホームと待合室だけの無人駅。
駅周辺は、雪で真っ白だった。
ここは、ネットでは有名な鉄道撮影地の一つだった。
土曜日のせいか、カメラを持った人たちが多数いた。
ただし、わたしのように列車で来た者だけではなく、車で来ていた人もいたようだ。
下車すると、下りホームを福井方面へあるいた。
そして、福井寄りの端から、上り列車を対象に撮影することにした。
まず、475系のローカル列車を撮影した。
そのあとも、特急列車を多数撮影した。
ただし、その日は、雪でダイヤが乱れていたうえ、新潟県の大雪の影響で、一番撮りたかった寝台特急「トワイライトエクスプレス」の運転は取りやめになったので、撮影できなかった。
撮影したのは、「サンダーバード」「しらさぎ」「雷鳥」など。
その場所は、雪が吹雪いたりやんだりを繰り返した。
また、特急列車が高速で通過するたびに、地吹雪が降りかかってきた。
わたしは、「雷鳥16号」の撮影をもって、その場所での列車撮影は終了したが、そのころには、何十人もの人がいた。
おそらく、485系「雷鳥」の撮影が目的なのであろう。
そこは、幅2m足らずのホームの駅である。そのホームに三脚を立てている人もいて、そこは歩きにくかった。
駅は、列車に乗り降りする人が出入りする場所であって、撮影場ではない。
駅で列車を撮影すること自体は悪いことではないが、ホームを通行する人への迷惑にならないように配慮してほしいと思った。
わたしは、228М列車で、敦賀駅に戻った。その列車も、521系の2両編成だった。
敦賀駅に着くと、土産物を買ったり、喫茶店で時間をつぶしたあと、父親と合流した。
それから昼食をとった。
昼食後、コインロッカーの荷物を持って、駅の改札に入った。
本来は、13時23分発の新快速3263Мに乗車する予定だったが、雪で遅れていた12時20分発の3255Мに乗車した。列車は、40分ほど遅れていた。
列車は、新疋田、近江塩津の順に停車した。
強風で湖西線のダイヤが乱れていた影響で、その列車は、近江今津で運転を打ち切るということが知らされた。
そのため、近江塩津で乗り換えになった。
近江塩津駅で、長浜行きの列車を待った。
そのとき、その場所は、かなり吹雪いていて、屋根つきホームにいても、雪が降りかかってきた。
近江塩津からは、長浜行きの普通列車に乗車。列車は、521系の2両編成だった。
2両編成の短い列車の車内は、すぐに人でいっぱいになった。
わたしと父は、座席に座ることができた。
車窓から外を眺めると、沿線の田畑は、厚い雪で覆われていた。
列車は、北陸本線を南下していった。
徐々に雪の量は少なくなっていった。
長浜駅に到着すると、新快速電車の姫路行きに乗り換えた。
能登川を出たあたりからは、雪はほとんど見えなくなった。
列車は、定刻どおりに走っていた。
京都では、多数の乗車があり、車内がかなり混雑していた。
そこから姫路までは、立ち客も多い。
新快速が姫路に着くと、別のホームに移動して、3267М新快速・播州赤穂行きに乗り換えた。
その列車は、相生で、山陽本線・岡山方面行きに接続している。
相生で、1331М新見行きに乗り換えた。
列車は、相生を発車すると、有年、上郡に停車し、船坂トンネルを抜けると、岡山県に入った。
そして、三石駅に停車。
そのあと、列車は、吉永、和気に停車し、その次の熊山駅に止まると、下車した。
そして、マイカーで帰宅した。
こうして、1泊2日の敦賀旅行を終えることができた。
時間の都合により、記事化が大幅に遅くなりましたことをお詫び申し上げます。
今月5日の夕方から6日の朝まで、敦賀市内の某ホテルで過ごした。
6日の朝、朝食をとり、出発の準備をしてチェックアウトした。
そして、8時頃、敦賀駅へ到着。
駅のコインロッカーに大きな荷物を預けて、わたしは、駅の改札を通った。
父は、駅前から市内観光に行った。
敦賀駅から、普通列車4893Mに乗車した。
列車は、北陸本線では最新型の521系電車だった。2両編成である。
8時54分、敦賀駅を発車した4893M列車は、次は、南今庄駅に停車する。
発車してまもなく、左手には、敦賀港へ向かっていた貨物線が見えた。
レールには、車止め代わりの古枕木が置かれていた。
列車は、敦賀駅を出てしばらくすると、北陸トンネルに入った。長大なトンネルである。
地上へ出るのに10分近くかかった。
トンネルを抜けると、まもなく南今庄駅である。
駅は、2面2線のホームと待合室だけの無人駅。
駅周辺は、雪で真っ白だった。
ここは、ネットでは有名な鉄道撮影地の一つだった。
土曜日のせいか、カメラを持った人たちが多数いた。
ただし、わたしのように列車で来た者だけではなく、車で来ていた人もいたようだ。
下車すると、下りホームを福井方面へあるいた。
そして、福井寄りの端から、上り列車を対象に撮影することにした。
まず、475系のローカル列車を撮影した。
そのあとも、特急列車を多数撮影した。
ただし、その日は、雪でダイヤが乱れていたうえ、新潟県の大雪の影響で、一番撮りたかった寝台特急「トワイライトエクスプレス」の運転は取りやめになったので、撮影できなかった。
撮影したのは、「サンダーバード」「しらさぎ」「雷鳥」など。
その場所は、雪が吹雪いたりやんだりを繰り返した。
また、特急列車が高速で通過するたびに、地吹雪が降りかかってきた。
わたしは、「雷鳥16号」の撮影をもって、その場所での列車撮影は終了したが、そのころには、何十人もの人がいた。
おそらく、485系「雷鳥」の撮影が目的なのであろう。
そこは、幅2m足らずのホームの駅である。そのホームに三脚を立てている人もいて、そこは歩きにくかった。
駅は、列車に乗り降りする人が出入りする場所であって、撮影場ではない。
駅で列車を撮影すること自体は悪いことではないが、ホームを通行する人への迷惑にならないように配慮してほしいと思った。
わたしは、228М列車で、敦賀駅に戻った。その列車も、521系の2両編成だった。
敦賀駅に着くと、土産物を買ったり、喫茶店で時間をつぶしたあと、父親と合流した。
それから昼食をとった。
昼食後、コインロッカーの荷物を持って、駅の改札に入った。
本来は、13時23分発の新快速3263Мに乗車する予定だったが、雪で遅れていた12時20分発の3255Мに乗車した。列車は、40分ほど遅れていた。
列車は、新疋田、近江塩津の順に停車した。
強風で湖西線のダイヤが乱れていた影響で、その列車は、近江今津で運転を打ち切るということが知らされた。
そのため、近江塩津で乗り換えになった。
近江塩津駅で、長浜行きの列車を待った。
そのとき、その場所は、かなり吹雪いていて、屋根つきホームにいても、雪が降りかかってきた。
近江塩津からは、長浜行きの普通列車に乗車。列車は、521系の2両編成だった。
2両編成の短い列車の車内は、すぐに人でいっぱいになった。
わたしと父は、座席に座ることができた。
車窓から外を眺めると、沿線の田畑は、厚い雪で覆われていた。
列車は、北陸本線を南下していった。
徐々に雪の量は少なくなっていった。
長浜駅に到着すると、新快速電車の姫路行きに乗り換えた。
能登川を出たあたりからは、雪はほとんど見えなくなった。
列車は、定刻どおりに走っていた。
京都では、多数の乗車があり、車内がかなり混雑していた。
そこから姫路までは、立ち客も多い。
新快速が姫路に着くと、別のホームに移動して、3267М新快速・播州赤穂行きに乗り換えた。
その列車は、相生で、山陽本線・岡山方面行きに接続している。
相生で、1331М新見行きに乗り換えた。
列車は、相生を発車すると、有年、上郡に停車し、船坂トンネルを抜けると、岡山県に入った。
そして、三石駅に停車。
そのあと、列車は、吉永、和気に停車し、その次の熊山駅に止まると、下車した。
そして、マイカーで帰宅した。
こうして、1泊2日の敦賀旅行を終えることができた。
時間の都合により、記事化が大幅に遅くなりましたことをお詫び申し上げます。
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