浜崎ヒカル交通館ブログ

浜崎ヒカルの独り言などを載せています。

三江線乗り鉄旅行(その2)

2016年06月13日 22時55分06秒 | Weblog
今さら3月のことを記事化してすみません。

3月23日の朝は、路線バスで岡山駅へ向かった。
午前7時半頃、岡山駅に到着した。
岡山駅の改札を通ると、2番ホームへ行った。山陽本線下り列車が止まるホームである。伯備線乗り入れの列車も停車する。
岡山駅の2番ホームでしばらく待つと、8時5分発の特急「やくも3号」、出雲市行きが入線してきた。
その列車は、381系電車が使用されていて、通常は4両編成だが、その日は、6両編成だった。
わたしは、6両編成時に自由席の5号車に乗車した。車番は、モハ380-75だった。
なお、その日、その列車には、女性の車掌が乗務していた。
特急「やくも3号」は、岡山駅を出発すると、車内放送が始まり、停車駅と到着時刻、車両などの案内がされた。また、車内販売などがないことも知らせていた。
岡山を発車後、最初の停車駅は、倉敷である。倉敷までは、山陽本線を走るため、普通列車の本数が比較的多いにも関わらず、倉敷で下車した客もいた。
倉敷の次の停車駅は、備中高梁である。
列車が伯備線に入り、清音駅を通過した頃、女性の車掌が車内改札を開始した。米子車掌区の乗務員である。
車内改札時、出雲市から先の接続列車について案内があった。
特急「やくも3号」は、総社、豪渓、日羽、美袋、備中広瀬の各駅を通過し、備中高梁駅に停車した。
備中高梁を発車すると、高梁川の眺めが素晴らしいところを通った。
備中高梁の次の停車駅は、新見である。
新見駅でも若干の下車客がいて、6両編成の列車の車内は空いていた。
新見からは、車窓の風景は山深くなり、中国山地の中を走る。
途中、対向列車と行き違いのための停車はあったが、それ以外は、根雨まで無停車である。
新郷駅を通過し、しばらくすると、トンネルに入り、トンネルを抜けると、鳥取県に入った。
それからまもなく、上石見駅を通過した。
その付近の車窓の景色は、山間の農村風景である。
そのあとも、生山、上菅、黒坂の各駅を通過し、しばらく走ると、根雨駅に停車した。
山間の小さな町の駅で、乗降客はそれほど多くなかった。
根雨の次の停車駅は、米子である。
その辺りから、列車が若干遅れだした。
線路沿いには、田園が広がっている個所が多い。
車掌の案内放送も、列車の停車などの案内のほか、米子市などの観光案内もあった。
貨物ホームのある伯耆大山駅を通過すると、山陰本線に入り、東山公園駅を通過すると、次は、米子駅である。
米子には2分か3分ほど遅れて停車した。
下車した乗客が比較的多かった。乗車してきた客もいたが、混雑はしなかった。
米子を出発すると、島根県に入り、次は、安来に停車した。
安来駅を出発して、しばらくすると、右手に中海が見えた。
また、その付近を走行中、車掌による松江市の観光案内があった。
それからしばらくして、松江駅に停車した。
松江の次の停車駅は、宍道である。
松江駅出発後は、車窓から宍道湖が見えた。ただし、そのときは、曇りだった。
宍道湖付近を走行中も、車掌による出雲市などの観光案内があった。
車内改札や巡回や駅到着などの放送だけではなく、観光案内の放送もあるので、車掌は大忙しだろう。
宍道駅を発車すると、次は、終点の出雲市である。
先行列車や対向列車の遅れなどで、特急「やくも3号」は、定時より、約7分遅れで、出雲市駅に到着した。
出雲市駅に着くと、下車して、いったん改札の外に出た。

そして、出雲市駅の駅舎内にあるそば店へ行き、昼食をとった。



昼食後は、駅にある売店で間食などを購入したり、コンコースの展示物などを見て時間をつぶした。



旧大社駅や山陰本線の列車やの模型などが展示されていた。



また、しまねっこのパネルなどが置かれていて、旅行者などを歓迎していた。

そのあと、改札を通り、12時19分発の327D列車、浜田行き普通列車が発車するホームへ向かった。
発車までかなり時間があったが、既に列車が停車していた。



キハ120の単行で、車番はキハ120-316だった。
車内にボックス席は4ボックスある以外は、ロングシートである。
既にボックス席の1組は、ご年配の夫婦と思われる方たちが座っていたが、それ以外の席は空いていた。
わたしは、進行方向右側のボックス席に腰を下ろした。
しばらくすると、ほかの番線にほかの列車が停車し、327Dの乗客が増えていった。
ほとんどの座席が埋まった。
わたしが座っていたボックスも、向かいの座席と隣に1人ずつ座った。
そして、12時19分、浜田行きの普通列車の327Dは、出雲市駅を発車した。
その列車は、ワンマン運転である。
出雲市駅を出発して、少し経つと、右手に、大社線の線路跡と思われる遊歩道が見えた。
それから少し経つと、高架橋から地上へ降りた。
次の停車駅は、西出雲である。
西出雲駅は、電車の車両基地が隣接している。
西出雲駅までは、架線下を通ったが、西出雲からは、非電化区間に入る。
その付近は、車窓の風景は田畑が多く、人家はまばらになった。
そのあとも、列車は、各駅に停車した。
風景も山間の田園の中を走る箇所だけではなく、海沿いを走る箇所もあった。
途中の大田市駅で多数の下車客がいたため、車内は閑散とした。
また、大田市からは、ボックス席が貸し切り状態になった。
そのあとも、山の中を走ったり、海沿いを走ったりして、風景は変化に富んでいた。
そして、13時51分、列車が江津駅に止まると、下車した。
江津駅は、三江線の分岐駅である。
わたしは、廃止が検討されている三江線に往復乗車するため、こうして、江津まで行ったのである。



改札口付近には、地元の高校生が作ったと思われる木製の看板が置かれていた。



駅構内の乗り換え案内の表示板には、「石見川本、三次方面」の文字があり、三江線の存在を知らせていた。



そのとき、改札口付近の電光掲示板を見ると、15時17分発の三次行きの列車の案内がされていた。
そのときの時刻は午後2時を少し過ぎたばかりだった。
それも、閑散ローカル線ならではであろう。

それからしばらくして、三江線の列車が発着するホームへ行った。
その旅行の一番の目的の路線である。

都合により、今回はここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
コメント
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