まいど、日本機関紙出版です。

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40年前の住処と光州事件

2022年01月10日 | 丸ちゃんの私的時間

3連休最後の朝。天気もまずまずなのでウォーキングへ出た。吹田駅に向かう途中の住宅前で、振袖姿の女性を囲んで写真を撮っている家族に遭遇、おお、今日は成人の日なのだと気が付く。さて駅地下道をくぐって片山町商店街をしばらく歩いて交差点を北上、藤が丘方面へ坂道を登りきると吹田市の片山浄水場だ。けっこう高い場所にあるので、ここからは梅田の高層ビル群が望める。さらに北上して名神高速道を渡って吹田市の総合運動場から片山中学校前を通過し、東方面へ下っていく。
横断報道を南へ。名神高速道をくぐって今度は原町方面へ。

第2中学校や吹田高校前を通って古い住宅地へつながる細い脇道へ入り、記憶を頼りに確かこの辺だったなあと思いながら入り組んでる道をうろうろして、結婚当初暮らした借家が今も残っているのを確認する。大家さんの家の敷地内に建つ3軒の木造平屋の一つだ。広さはわずか2Kで、ぽっとんトイレ。あの頃の吹田市はまだ下水道がそれほどは整備されていなかったのだ。この家で長男が生まれ、保育園通いが始まったのだが、大家さんから「こんな小さい子を他所に預けて働くなんて、子どもがかわいそうやわ~」と言われたのを鮮明に覚えている。当時の大家さん世代としては当然の感覚であったのだろうし、毎朝子どもをバギーに乗せて保育園に向かっていると、行き交う人たちから好奇の目で見られていたように感じたこともあり、まあそういう時代だったんだなあと思う。

南に向かって歩き府道京都高槻線に出て交差点を渡ると、今度は結婚前に住んでいたアパートがあった辺りだが、アパートは跡形もなく消え駐車場になっている。40年も前だからね。こうして歩くと本当に町の移り変わりが早いのに驚かされる。

ということでJR京都線沿いの遊歩道まで出て吹田駅方面へと引き揚げ、本日の歩行距離6.3キロ、歩行数10051歩の周遊散歩は終わりとする。

帰宅後は朝風呂とストレッチ、そしてようやく遅めの朝ごはん。一服して、原稿仕事にしばし没頭。昼ごはんは例のごとく定期頒布のラーメンとビール。食事のお供は映画「光州 5・18」。以前見た映画「タクシー運転手 約束は海を越えて」と同様に、この映画も主人公はタクシー運転手。というか、こっちの映画がもっと以前に作られている。実際の出来事に沿った内容の映画で、この事件が起きたのは1980年5月。その時私はまだ就職したばかりのときで、仕事に慣れるのに精いっぱいの状態だったのだろう、ほとんど事件のことは知らなかったと思う。あとで新聞報道で知ったのではないか。事件以後、韓国の民主化運動は広がり、大統領直接選挙制を実現へとつながっていった。現在韓国では、光州事件の起きた日は韓国の民主化運動を記念する国家記念日として制定されている。


さて今週は、新刊も出来してくるので忙しくなりそうだ。

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