マスコミと人生について 2

マスコミと人生について 2                   金森正臣

 マスコミでは、よく人道的問題が取り上げられる。人権や貧困などとして、多くの人から賛同を得られるからであろう。

 しかし、本当にどこまで真剣にものを考えているかは、定かではない。ユニセフなどによるキャンペーンなどで、よく見かけるのは「働かなければならない子どもたちがいる・・」と言った言葉である。写真付きであったりすると、その貧乏な様子がすぐに理解でき、これは大変なことだと理解できる。生活に追われて働かなければならないから、学校にも行けず、今後の見通しは暗い。そのことに特に反対をする気持ちは毛頭ない。しかし、あまりにも一面的な見方だと思うことは多い。

 例えば、インドなどでこの問題を解決しようとすると、ほとんど不可能に近い。なぜならば、インドの面積であれだけの人口を維持しようとすると、皆が十分なエネルギーを使うことはできない。「世界がもし百人の村だったら」と言う本が出ている(題名は正確ではないかもしれない)。読んだことがありますか。80人は標準以下の生活をしていると記されている。地球全体でも、およそ8割は貧困層であるから、インドは更に凄まじい。人口を減らさないと、人並みの生活を全体がすることはできない。もちろん貧困の人がいても良いと思っているわけではないが、不可能なことをあたかも人道主義で行うように言うのは偽善ではなかろうか。
 
 異なる観点として、日本では、働く場所がないために成長していない子どもが多い。人間は成長に応じて、それなりの役割を果たしながら、家庭あるいは地域の仲間に加わって行く。この点を見落として、学校の教育だけに集中しても、子どもの成長は困難を極める。勿論生まれて間もなくの親子関係も重要である。その後お手伝いをしながら、自分の位置を確立して行く。ところが、自分の仕事の場がないから、いつまで経っても、周囲との関係で自分の位置を確認できない。成人して仕事についても、この現象を引きずっている人は多い。根が深いと家庭内暴力、ニートや親殺しにまで発展する。また、その結果が、様々な問題として表面化している。教育再生会議などの議論は、的が外れていると思われる。人間そのものや子どもの成長に関する理解が低い。人の成長だけではなく、動物の成長も併せて考えると、進化の過程で背負っている、抜けがたい特性も知ることができる。気力の発達しない日本の若者たちを見ていると、経済的に恵まれていることが良い人生を保証していないことは明らかである。

 物事の評価の軸を変えると、様々な現象が複雑に絡み合いながら、人生が成り立っていることが理解できる。
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仏頂面のイヌ               

プノンペンのイヌ事情 仏頂面のイヌ               金森正臣

 最近は怪我のために朝の散歩ができないが、写真は以前に散歩をしていた頃。毎朝会うガレージに飼われているイヌ。ガレージには若い人が数人働いている。お寺の裏にあるガレージは、狭いのでほとんど道路で修理をしている。ほとんど自動車など乗ったことがない人たちが修理している。多分構造なども勉強したことは無く、現場でのたたき上げ。朝6時ころから働いている。アフリカでも、ほとんど自動車など動かしたことがない工員が、修理しているのは同じ。でもアフリカより良いのは、修理している場所がアスファルトの上で、砂地でないこと。砂地だと燃料パイプなど分解すると、自分で持っていたくなる。毎朝数台の車が有り、次の日には無くなっているから、それぞれ動くようになっているのだろう。
 
 写真のイヌは、このガレージの所属。若い工員たちにも、毎朝会う人達にも一切愛嬌は振りまかない。尻尾も振らない。毎朝道路に出てうろうろし、ただ立っている。一度だけ主人にしっぽを振ったことを見たことがあるが、それだけ。普段は主人にも挨拶も無い。こんなお母さんだと、子イヌはどんなになるのだろう。

 カンボジア人に聞くと、カンボジアでは最近イヌ狩りをする人がいると言う。1頭当たり10-15ドルで売れると言う。朝の早い時間にバイクで町内を回り、袋の中に詰め込んで行くと言う。プノンペンでも外国人は、イヌを繋いだり、屋敷の中で飼ったりしている。しかしカンボジア人は基本的に放し飼い。どこのイヌか分からないのもいるが、ほとんどはご飯を食べる家があり、あとは自由生活。イヌもうかうか暮せなくなっているかも。
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