金森正臣先生のカンボジアの文化・教育・食べ歩き体験記
金森先生のカンボジア日記
カンボジアの教員養成 教材発表
カンボジアの教員養成 教材発表
カンボジアでは、1975-1979年の間、ポルポトによって教育の全てが破壊された。教員は殺され、学校は破壊され、本や資料は焼き尽くされた。ポルポト後急速に再生した教育は、組織はできたが、内容は追いつかなかった。1993年以降、私が居るNIE(National Institute of Education)(日本の高等師範学校に当たる。中・小学校の教員養成校の先生と高等学校の先生を養成)が再開され、教育の再生に努めている。
1999年に調査で最初に訪れた時には、理解できなかったが、次第にその全容が分かってみると、その大変さにしばしば絶望的になることもある。しかし、勤め先の人たちは、明るく人柄が良いので、ついつい頑張ってしまう。
今年で5回目ぐらいになる、学生の教材研究の発表風景。以前にプロジェクトがあった時代に、理数科で始められた教材研究は、全学に広がり、講堂で行われている。
写真は化学の学生の出品で、右側はスイカからワインを、左側はパイナップルからの加工。いずれも砂糖を加えてあるが、それなりの味になっていた。カンボジアでは、スイカやパイナップルはいつでもあり一番安い果物。どこのレストランでもデザートに出してくれる。今の教育省の次官が日本に研修に来た2月に、食後に何かデザートはどうかといったら、彼は遠慮がちにスイカを希望した。日本で2月のスイカはことのほか高いが、彼は遠慮して言ったと思うと笑えず、事情を説明をして大笑いをしながらリンゴにした。カンボジアでは、輸入しかないリンゴはいつでも高級な果物なのだ。
カンボジアでは、1975-1979年の間、ポルポトによって教育の全てが破壊された。教員は殺され、学校は破壊され、本や資料は焼き尽くされた。ポルポト後急速に再生した教育は、組織はできたが、内容は追いつかなかった。1993年以降、私が居るNIE(National Institute of Education)(日本の高等師範学校に当たる。中・小学校の教員養成校の先生と高等学校の先生を養成)が再開され、教育の再生に努めている。
1999年に調査で最初に訪れた時には、理解できなかったが、次第にその全容が分かってみると、その大変さにしばしば絶望的になることもある。しかし、勤め先の人たちは、明るく人柄が良いので、ついつい頑張ってしまう。
今年で5回目ぐらいになる、学生の教材研究の発表風景。以前にプロジェクトがあった時代に、理数科で始められた教材研究は、全学に広がり、講堂で行われている。
写真は化学の学生の出品で、右側はスイカからワインを、左側はパイナップルからの加工。いずれも砂糖を加えてあるが、それなりの味になっていた。カンボジアでは、スイカやパイナップルはいつでもあり一番安い果物。どこのレストランでもデザートに出してくれる。今の教育省の次官が日本に研修に来た2月に、食後に何かデザートはどうかといったら、彼は遠慮がちにスイカを希望した。日本で2月のスイカはことのほか高いが、彼は遠慮して言ったと思うと笑えず、事情を説明をして大笑いをしながらリンゴにした。カンボジアでは、輸入しかないリンゴはいつでも高級な果物なのだ。
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