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金森先生のカンボジア日記

金森正臣先生のカンボジアの文化・教育・食べ歩き体験記

第2回スタデーツアーを開催 と 第7回、正臣会のお知らせ

2009年12月15日 | 文化
第2回スタデーツアーを開催    2009.12.15. 金森正臣

 カンボジア国際教育支援基金(CIESF)の主催で、第2回目のカンボジアスタデーツアーを実施した。目的は、派遣される先生たちに現場を知ってもらって、安心して来て頂けるようにするためである。参加下さった先生たちにお話を聞くと、皆さん親戚や知人から、なんで危険なカンボジアなのと言われていると言う。

 日本でのカンボジアの報道は、地雷、犯罪、幼児売春など刺激的な話題が多く、本当の姿はあまり知られていない。確かに現在でもあることではあるが、庶民の日常の生活にはほとんど関係していない。地雷などは、現在でも被害があり、今の除去のペースでは、まだ100年はかかると言われるほど沢山ある。しかし、われわれが活動している場所では、ほとんど問題にならないことである。

 今回も、生活状態を知って頂くために市場の見学(単に私が市場が好きだからかもしれないが。私は新しい場所に行くといつも市場を見学し、生活状況を把握する)と、働いて頂く教員養成学校の見学に主眼を置いた。

 しかしそれだけでは、楽しみがないと思われても大変なので、食事も大いに楽しんでいただいた。写真は、プレイベンのレストランの夕食で、淡水産のオニテナガエビを食べているところである。日本のテナガエビよりも大きくなり、ハサミのある手の肉も結構食べられるほどである。カンボジアは、どこにでも湿地があるから、オニテナガエビはどこでも取れる。しかし、カンボジア人に言わせると、プレイベンとタケオのものが美味しく、季節は11月から1月ごろまでと言う。一般にオニテナガエビは、味が淡白で物足りないから、スープなどにしてココナッツミルクなどで濃厚さを出す。しかし、11月ごろのものは炭火焼にすると、しっかりと味があり絶品である。参加いただいた皆さんからは、カンボジアの食事は美味しく、日本人にはまったく違和感がないと言う感想を頂いて、目論みは大成功。





第7回正臣会を開催して頂くことになりました。
以下に小鹿先生とのメールの往復を貼り付けます。

正臣会の皆様

第7回の正臣会のご案内です。
1月に金森先生がカンボジアのお仕事の関係で一時帰国されます。
この機会に第7回の正臣会をもたせていただきたいと存じます。

日時 2010年1月23日(土) 13:00~
場所 安城市文化センター
内容 金森先生の講演
   他にも一般講演をお願いできればと思います。
   話題提供していただける方は、事務局にご一報をお願いいたします。
   できれば年末までにお知らせください。
その他 例年通り、会の終了後に懇親会を持ちます。
    会場と予算は未定ですが、ぜひこちらもご予定ください。

メールが行き届かない方も少なくなく、皆様それぞれで、知らせられる方にもお伝えいただければ幸いです。

              小鹿亨


上記メールへの返信です。
小鹿亨先生

いつもお手数をおかけいたします。
準備を頂き、有難うございます。

今年はカンボジアの教育政策の変化がありまして、実業高等学校を作ることになりました。途上国は、日本とは全く違う理由で、国が動いて行きます。
そんなお話を皆さんにお伝えしたいと思います。仮題として「カンボジアの教育政策の転換」としておきます。

皆様にお会いできますことを楽しみにしております。

             金森正臣

ご無沙汰いたしております

2009年12月09日 | 文化
ご無沙汰いたしております。   2009.12.09. 金森正臣

昨日、カンボジア国際教育支援基金の第2回スタデーツアーから、9日ぶりにプノンペンに戻りました。

忙しいとは感じておりませんが、なかなか時間がなく、毎日矢のごとく過ぎてゆきます。スタデーツアーは、参加の皆さんも、現地でお会いした皆さんもいろいろの希望を与えて下さいました。時間が取れるようになりましたら、順次報告させて頂きます。

現在、教育省から依頼された実業高等学校のコースや授業内容について、報告しなければならないと、チョット時間不足を感じています。

カンボジアもいよいよ本格的乾期で、ほとんど雨が降らなくなりました。各地で新米が出て、おいしいご飯がいただけます。

ブログの更新状況

2009年11月21日 | 文化
ブログの更新状況          2009.11.21. 金森正臣

皆様 
 少しご無沙汰しております。先月から、元日本国カンボジア特命全権大使の、篠原勝弘氏が、私のいるCIESF(カンボジア国際教育支援基金)に合流してくださり、忙しい毎日を送っています。

 政府の高官たちに知人が多く(カンボジアのパリ和平協定のときに参事官で、外国に不慣れなカンボジアの人たちの世話をした)、色々なことが一気に進み、うれしいやら忙しいやら。 

 教育省との活動内容の、文書承認。難しいとされていた国際NGOの登録、すべてが3週間ぐらいの間に進んだため、バタバタ。3ケ月ぐらい前に書類を出し、いろいろ聞かれたりしていたのが、ようやく終わり。同時に10年ぐらい前から良く知っている、教育大臣や長官から相談を持ちかけられて、ついつい支援を約束。資料集めに奔走。それって3年ぐらい前に提案していたものだし。ようやくここまで来たかと感慨深い。

 今月の末から、来年3月に派遣する日本の先たちのスタデーツアー。12月8日までの予定。バッチリ下見も済ませて、後はお待ちするばかり。しばらくブログが、少ないかもしれないが、お許しあれ。

前近代的な造船所

2009年11月08日 | 文化
前近代的な造船所  2009.11.8. 金森正臣

 コンポンソム(シアヌークビルの別名)に遊びに出掛けた。プノンペンは、水祭りで動きが取れなくなるから、海辺の町に脱出。クメール人も、プノンペンの人の中には、結構同じ行動を取る人がいて、海辺の街のホテルは早くからいっぱい。最近は休暇には遊びに出る余裕が出来た人が多くて、格好競争が激しい。

 釣りに出かけるために、朝港に出てみると、漁港兼コッコン(タイとの国境の港町)行きのスピードボート乗り場の脇に、懐かしい感じの造船所があった。日本では私の子どもの頃(約60年前)には、既にこの形の造船所は存在しなかった。もう少し機械化されていた。ここでは土の上に、枕木を置いてその上に色々の木の支えをしながら積み上げてゆく。木を削るのも、斧やカンナ(カンボジアのカンナは押すタイプ。日本は引くタイプ)でほとんど手作業。東アフリカのタンザニアで見ていた、造船作業とほとんど変わらない。タンザニアでは、材料を切り出す際に既に山で、ある形に仕上げてあったのが異なるくらい。

 中々趣があって、良い風景だが、近代化の国作りには中々遠い。

水祭の前夜

2009年11月01日 | 文化
水祭の前夜 2009/11/01 金森正臣

 また今年も水祭の季節がやってきた。水祭は、雨期が明けたことを祝う行事で、例年は、11月中旬。でも今年は、11月1日から3日の間が水祭。プノンペンは各地から集まった人たちで、ごった返し、身動きが取れない。そこで今年は、今日から3日間ほどプノンペンを脱出し、海辺のシアヌークビル(コンポンソム)の街に行くことにした。

 毎年水祭の日が変わるのは、太陽暦ではなく陰暦で仏教歴のせいかナ?元旦だって、毎年変わるのだから。今年は10月27日までかなり雨が降っていて、雨期が明けないうちに水祭かと思ったが、ここ3日ほどはいかにも乾期の気分。

 水祭の呼び物は、ボートレース。2001年ごろまでは、素人集団のボートも参加していたが、ここ数年は、各地の選抜チームが主体で、素人集団は出番なし。各地で3ケ月ぐらいかけて予選が行われ、選り抜かれたチームが集まってくる。さらに国際的になり、同じようなボートレースを持つ、ベトナムやタイ、マレーシアなどのチームも参加して、国の威信をかけて戦う本格レースになってきた。写真は、一昨日に撮ったもの。長くて彩色してある奇麗なボートだ。先端には神を祭る飾りも付けられている。30人以上の漕ぎ手が乗るから、各チームは世話係まで、70人程度。地方から出てきた人は金がないから、付近に簡単なテントで野宿同然。大きな鍋で食事を作り、炊き出し気分。

 国民全体が一丸になって、楽しめる良い行事だと思う。しかしながら地方の貧しい村はツンボ桟敷で、ほとんど関係ない。一度招待状をもらったので、見学に出かけたことがあるが、身動きが出来なくなって諦めて帰ってきた。ボートレースそのものは、テレビで見た方がはるかに分かりやすい。最近はテレビでも見ないから、地方の貧しい村の人たちと同じ気分の無関心になってしまった。


カンボジア事情 文化のギャップ

2009年10月25日 | 文化
カンボジア事情 文化のギャップ  2009.2025. 金森正臣

この文章は、カンボジア日本人会の会誌のために書いたものです。  

 文化をどのようにとらえるかは、様々な方法が有り一様では無い。私自身は、動物の生態学が専門であるから、文化を研究する分野では無い。しかしチンパンジーなどと付き合っていると、文化の起源には良く出会う。友人に様々な文化人類学者や自然人類研究者がいて、よく議論していたから、それなりに考えることが有った。文明が形に残る物を含むのに関して、文化と言うとハードを含まないと考えられることが多い。

 文化の起源を考えると、既にサルの時代からある。チンパンジーなどでは、同じものが有っても、食べる、食べないの相違が地域によって存在する。また、様々な食べ方も地域によって異なる。ニホンザルのイモ洗い行動で有名になった幸島のサルは、最初に一匹が始めた「砂を海水で洗う」行動が、群れの他の個体にどのように伝搬したかと言う研究で、注目を集めた。この集団では、他にも次々と新しい技が、出来て行ったことが知られている。私は、この様なことから文化の起源を、「文化とは、生存のために親から子どもに、或いは世代を超えて伝承される、行動様式」と定義している。即ち、遺伝子上に乗ったものでは無く、誕生後に獲得される行動である。文化と言われる行動様式は、様々に分化発展したために、現在の人間行動を見ていると、多様過ぎて簡単に起源が理解できない。ある部族の挨拶の仕方は、他の部族では通用しない。またある部族の通過儀礼は、他の部族では行われない。しかし、上の様に文化を考えると、複雑な人間の文化にも、いくつかの基本的な共通な問題が見えてくる。

 人間は、どの生産様式で生活するかで、行動様式が大きく異なって来る。例えば、定住する、しないは、生命を維持するエネルギーを得るための生産様式に関わる。狩猟採集や遊牧では、いつも移動を必要とするから、定住することはできない。常に移動を伴う生活様式は、多くのものを持てないから、最小限の生活道具になる。「食の文化誌」を書いた友人の石毛直道から、「調理法は調理道具に依存する」、と言われて目から鱗の気分になったことがある。確かに、鍋が無ければ煮込むことは不可能である。臼が発達しなければ、ウドンやソバは、出来ない。彼はアフリカの食文化を、焼く文化だと言っていたが、焚き火に石を入れて熱くし、焼くのは最も初期からあった原始的調理方法であろう。今でも石器や縄文式土器を使っているアフリカの部族を見ていると、妙に納得してしまう。イギリスなどで料理があまり発達しなかったのは、移動する遊牧民起源の文化なのではないかと思っている。大阪の民博の松原毅は、トルコのユルック(歩く人の意味)を研究していて、遊牧民の特徴を詳細に調べた。家畜に餌をより多く食べさせるために、謝らない文化が出来上がっている話に驚いたことがある。草場をめぐって、言い争いながらでも、自分の家畜に餌を食べさせようとすると言う。家具は少なく、調理法も単純である。しかし、観天望気で、自然の法則を読むことは、自分の生活を守ることでもある。これが西洋の法則科学である、自然科学の発達に関係しているであろうと思っている。文化の基底には、自然環境が大きく影響している。農耕が出来ない荒れ地に遊牧が発達し、肥沃な土地には農耕が発達する。遊牧は、薄く広がったエネルギーを、動物に集めさせて利用する方法である。

 カンボジアは、農耕民族であり、水田農耕を主にしている。土地を耕す農耕民族は、土地に縛られて移動が出来ないことに、その特徴がある。遊牧民が、太陽のエネルギーを家畜に集めさせて摂取するのに対し、農耕民は、光合成した植物から直接エネルギーを得る。生態学的に見ると、同じ面積当たりでは、植物食は、動物食よりも100倍のエネルギーが得られる。古い4大文明が、いずれも農耕を生活様式としていたことは、この様な接取エネルギーの差によるところが大きいであろう。集めたエネルギー量が多ければ、余裕のある暮らしが出来る。余裕が出来ると瞑想や妄想も多くなり、様々な思想を生み出す様だ。4大文明はいずれも死後の世界を持っており、墓を作っている。長い時間とエネルギーをかけて、思想が発達したことが伺える。カンボジアの遺跡群も、ほとんどが死後の世界に関連しており、日常の仕事に追われるよりも、ゆったりとした時間を使って、妄想を巡らせた人たちが多かったことであろう。遊牧民の様に、毎日乳を絞って食を得なければならない生活では、妄想を巡らせている時間は無い。しかも動物たんぱく質は、長期間の保存が難しいから、余裕はなかなか生まれない。

 カンボジアは貧乏ではあるが、生産性が高く、豊かな食料に恵まれている。ポルポト時代でも、飢え死には少なかったと言う。日本など温帯に属する場所は、寒い期間が有り、植物の生長が止まる冬には、貯蔵が必要不可欠になる。この寒さを乗り切る冬仕度は、基底に計画性を伴っている。ところがカンボジアでは、温度が高い、湿度も高くなるなど、食物の貯蔵は難しい。日本でも、我々の時代には、皿の上に乗った食物を残すことは罪悪感が有った。カンボジア人は、貧しい人々でも食物を残して捨てることに躊躇が無い。生産性が高い、保存が難しいなどの問題と関連して、発達した文化であろう。お金が入れば、すぐにレクサスやバイクに使ってしまうカンボジア人の感覚に、違和感を持つ人も多いであろう。計画性のなさは、相当なものである。路上の乞食が、トランプなどで賭けているのも、日本人にはなじまない感覚である。無意識を研究した臨床心理学者のユングは、無意識の構造を、個人的無意識(誕生以来の経験による無意識)、文化的無意識(育った文化の影響を受けた無意識)、普遍的無意識などに分けた。人間の行動に影響を与えていながら、意識できない部分が無意識である。文化的無意識は、日本の気候風土の中で育った無意識を指しており、冬を越すための計画性を考えるのは当然のことと思っている。この様な無意識があると、カンボジア人の計画性のなさを嘆いたり、向上心の少なさを嘆いたりすることになる。誰だか分からないほどの極端な厚化粧や、見せかけの豊胸にはなかなかなじめないところがある。これなどは儒教の教え「高言令色鮮矣仁」が、日本の文化に強い影響力を持っていたためと思われる。自分で意識できない文化的こだわりによる、ギャップはなかなか乗り越えることは大変である。

日本人の計画性は、水田農耕と冬によるところが大きいと思われる。カンボジアの計画性のなさは、同じ水田農耕の日本から見たとき、不思議に感じることが多い。日本では、温度に制限されて、代かきや田植えの時期、収穫の時期が決まって来る。カンボジアは、温度はいつでも間に合っていて、作業の制限要因は、水に限られる。この水の要因が、計画性をなくす要因になっているように見受けられる。メコンの水の水位の変化は大きく、人力をはるかに超えている。そのために、基本的に稲作は、水が少なくなり始めてから始まる。毎年増水がどこまで行くのかは、予想がつきかねるからである。メコンデルタは、稲作の始まった地域であると思われるが、技術的には自然に依存せざるを得なかったのであろう。日本の技術から見ると遅れているところが目につく。だからと言って、日本の技術を持ち込めば、使えるかと言うとなかなか難しい自然の条件がある。いまだに稲作が発生して以来変化していないと思われる、浮稲(ウキイネ)などを作っているのは、自然の条件の日本とは異なる厳しさを示しているのであろう。また共同で水や水路を管理する日本の農業と異なり、カンボジアの農業はほとんど人工的には水を管理しきれていない。この共同作業の有無が、社会規範の相違に大きく影響している。仕事をしている人が居ても、すぐ脇で平気で遊んでいる感覚は、日本の従業員には見られない感覚である。

アンコールワット遺跡の環境汚染や破壊

2009年10月16日 | 文化
 カンボジアの現状:アンコールワット遺跡の環境汚染や破壊

 カンボジアに来るようになってから、よくお会いする金沢大学の塚脇先生から、以下のようなメールが届きました。皆さん興味をお持ちの方は参加して下さい。10月31日の時間は、午後1時半からです。場所は日本大学文理学部図書館3階オーバルホール(参加費無料)
(きれいな写真のついたpdfファイルが付いていますが、私の技術では、ブログに掲載できませんでした。申し訳ない)


アンコールに興味をおもちのみなさまへ(BCCでお送りしています)

 秋もますます深まり過ごしやすい季節となってまいりました.みなさまにおかれましてはますますご清祥のことと拝察いたします.
 
 さて,きたる10月31日に世田谷の日本大学文理学部で開催する海外学術研究報告会「アンコール遺跡における環境汚染と環境破壊の現状と影響評価」について案内いたしたくこのメールを差し上げています.ポスターを添付いたします.
 
 世界遺産の白眉として名高いアンコール遺跡群ですが,観光産業の爆発的な発展のためその自然環境の悪化には目を覆いたくなるものがあります.今月初めにもシェムリアプ市がこれまでになかったような洪水に見舞われました.この遠因として自然環境や都市環境の全般的な劣化があると捉えています.
 
 このような環境汚染や破壊の現状を早急に把握し,それへの対処法を考えるため,アンコール遺跡整備機構とともに2005年6月から2009年3月まで科学研究費補助金などによる学術調査を実施してまいりました.この成果は2009年3月にシェムリアプにて国際シンポジウムとして公表いたしましたが,その概要を日本のみなさまにもお知らせいたしたくこの報告会の開催を企画いたしました.それぞれの研究グループの代表者が各分野での成果をかいつまんで報告する予定です.

 当日のプログラムとしては以下を予定しています.

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大気環境分野
 シェムリアプ市ならびにアンコール遺跡公園における大気汚染
 プノンペン市における大気汚染と夜間温度分布
 
水環境分野
 シェムリアプ市における気象特性と観測ネットワーク構想
 シェムリアプ川における水質の年間変動
 アンコール遺跡区域における水の濁りと植物プランクトン

水資源分野
 アンコール遺跡公園における水資源管理

森林環境分野
 プラカーン遺跡に残された巨木林の再調査
 プラカーン遺跡巨木林の現状とエコマネージメント
 プラカーン遺跡巨木林の森林生態評価
 
地盤/河川環境分野
 アンコールワット環壕における魚類相
 シェムリアプ川の河川変動
 アンコール遺跡区域における地盤強度
 カンボジアにおける伝統的ホームガーデン

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 ご多用の時節とは存じますが,どなたにでもご出席いただけますので,どうぞお誘い合わせのうえご来聴いただければ幸いです.
 
 
塚脇真二(研究代表者)
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〒920-1192 石川県金沢市角間町
金沢大学環日本海域環境研究センター
Tel. 076-264-5814
Fax. 076-264-5990
Email. tukawaki@t.kanazawa-u.ac.jp
Web. http://mekong.ge.kanazawa-u.ac.jp
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クリーンエネルギーの目的

2009年10月16日 | 文化
クリーンエネルギーの目的 2009.10.16.  金森正臣

 今朝のテレビを見ていたら、クリーンエネルギーの開発で、太陽光発電のソーラーパネルの研究が紹介されていた。そのこと自身は、素晴らしい研究であると思われるのだが、マスコミの取り上げ方や話題として、適当かどうかが疑問になった。

 当然のように、使えるエネルギーは、どんどん増やさなければならないと言った姿勢が見えている。地球温暖化防止で、クリーンエネルギーが注目されているが、その場で汚染物質を出さないことは良いことであるが、それだけが全てではない。人生の全体に関する思考が全く抜けている。我々はより良い人生のために、日々を生きているのであって、便利であれば良いといった単純なものではない。最近、児童が正座できなかったり、しゃがみ込むことができなかったりで、日本式のトイレが使えないことも話題になっていた。直接エネルギーの使い方とは関係ないように見えるが、どこかでつながっている人生上の重要な問題である。

 ヒトは、親から引き継いだ遺伝子の能力を、使うことによって発達させ、使えるようにして行く。多くのエネルギーを使って、自分の体を使わなくなると、遺伝子上の能力は発達しない。運動と言うとスポーツで競争させて、鍛えさせるのが学校教育の主流であるが、この様に限定された能力の開発だけでは、遺伝子の能力は円満には発達しない。その事が子どもたちの不安を増大させ、自殺が多くなっていることにも注目しなければならない。ゆっくりと沢山遊んで、疲れてぐっすりと眠ることを経験しないと、精神は安定しない。競走の勝ち負けで疲れさせられると、夢にまで見るほど精神は疲れる。これでは、健全な精神の発達は望めない。

 この50年ぐらいの間に、日本人は宗教心を無くし、人生について考えることが少なくなったように思われる。教育に宗教は持ち込まなくても良いが、だからと言って各個人が、自分の人生を考えることを無くしたら、何のために人生をしているか分からなくなる。最近、知識は人格を作らないことを痛感している。日本人の思考は、分かり易いことに走りすぎ、難解不明な問題に取り組むことが少なくなった。生きることが苦しいと、何のために生きているかを常に考えるようになる。戦後に比べれば、多くの人が物質的には豊かな生活をしている。しかし生き生きとしている人は少ないし、幸せそうな人も少ない。人間の人生の豊かさは、精神的な豊かさではなかろうか。幸せはそれに比例するように思われる。

クメールの古典的薬

2009年09月29日 | 文化
クメールの古典的薬   2009.9.29. 金森正臣

 先日地方に行った時に、市場によってみた。入り口近くに民間薬を扱う店があって、サルの干物が売られていた。カンボジアでは古くから民間薬として、サルの干物が使われていた。おもに煎じ薬かアルコールに漬けて飲まれている。写真のサルは、夜行性で眼の大きいスローロリスで、結構貴重種である。内臓は取り除かれ、開きにして燻製にしている。かなり個体数が多いのか、捕獲しやすいのか各地で売られている。以前には、山の中のお寺の参道で売られているのを見ていたら、生きたのもいるよと言って進められた。

 サルは途上国では、薬として使われていることが多い。しかしその使い方は様々で、東アフリカのタンザニアでは、シャーマンがその革を炭で燻して、その煙を病人などに吸わせながら使う。サルよりもチンパンジー、チンパンジーよりもヒトの生きた革がより効果があるとされている。そのために生きた子どもの皮を剥いだという事件も起こっている。

 数年前までは、この様な薬屋には、大麻の乾燥した葉を1Kg単位のブロックにして、売っていた。大体1ブロックは、1ドル程度で、非常に安い野菜であった。これは主に食用で、スープに入れて使われていた。さまざまなクメールスープには、必需品であった。特に幻覚は起こらない様である。数年前に麻薬の仲間入りしてしまったので、ほとんど売られていない。クメールの伝統的な調理法が無くなるのは、ちょっと疑問に思う。乾燥大麻を、スープではなく、吸うからこのような問題が起こるのであろう。

不毛の托鉢

2009年09月20日 | 文化
不毛の托鉢     2009.9.20.  金森正臣

 最近はカンボジアの首都も次第に都会化して、ビルデングが多くなってきた。写真の様に、女性のファッション店の発展は凄まじい。どこでも女性は、奇麗に見せたいのであろう。

 托鉢僧にとっては、女性のファッション店などはやっかいものである。店頭に立っていても誰も出てこないし、誰も関心も持たない。この日も3分ほど待っていたが、仕方なく他の場所に移動していった。托鉢のお坊さんとしては、全ての人が布施をする機会を得るように、全ての家を回らなくてはならない。