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金森先生のカンボジア日記

金森正臣先生のカンボジアの文化・教育・食べ歩き体験記

ご無沙汰いたしました     

2009年09月15日 | 文化
ご無沙汰いたしました     2009.9.15. 金森正臣

 皆様ご無沙汰いたしました。カンボジア国際教育支援基金(CIESF)の活動が本格化して来た。9月3日に、第一陣の先生が、カンボジアに来られていよいよ活動が始まりました。とは言っても、カンボジアは仏教歴のために、9月にはプチュンバンと言われるクメールお盆があり、数日休み。数日と言っても、その前後に自主休日が入るから、1週間ぐらいは仕事にならない。来られた先生の生活の準備の買い物などをして、9月9日に日本に戻った。

 日本に戻ってから、東京に出て基金の理事会、次に派遣される先生の面接など、ばたばた。愛知県に戻って、先生の面接。自分の健康診断や歯の治療など。結構時間が詰まって、なかなか移動の疲れが取れない。やはりだいぶ老齢化現象で、回復も遅くなったし、体力も落ちてきている。それでも秋の日本の朝の散歩は、気持ちがよく、黄金色の田んぼを見ながら原風景だと思う。だいぶ老化して来ても、自分が必要だと思えることを、いろいろ心配することなく、自由にできることはこの上なく幸せなことだと思う。

 先生の面接も、素晴らしい先生たちが集まって下さり、この方々と一緒にもう一仕事できることを幸せだと思う。カンボジアでの国際NGOの登録も、思わぬ展開で急速に進んでいる。今までの人生では考えられないスピードで進めるのが、基金の大久保理事長。やはり民間の企業は、違う。

 一人で続けていた支援が、この様に多くの方から支援いただいて、想像できなかったような形が出来上がってくるのは楽しい。数年で確実にカンボジアの教育が改善されると思われる。

基金の理事長の著書「決断」

2009年08月17日 | 文化
基金の理事長の著書「決断」   2009.8.17. 金森正臣

 先日、カンボジア国際教育支援基金の理事長、大久保秀夫氏から著書が送られてきた。「決断」と題した本で、理事長が25歳で会社を興して以来55歳の今日まで、岐路になった様々な場面で下してきた「決断」について分かりやすく書かれている。

 多くの人は、人生で様々な決断を下す時がある。その時に何を考えてするかが、その人の人生を決め、その人の品格を決める。大久保秀夫氏は、「フォーバル」と言う会社の社長をしており、他にも一部上場企業をいくつか持っておられる。私の人生では、まるで縁のなかった世界で有り、ほとんど理解できない世界である。しかしながら、およそ一年前にお会いして以来、信頼を置いて一緒に仕事をしている。最初から意見が同じだったわけでは無く、初日には意見が異なって、お互いにそのまま別れた。理事長は、カンボジアの教育改善には、師範学校をつくるのが最も効果があろうと考えておられた。私は、10年間の経験から、教員養成学校の教官の力量を上げることが、最短の道だと考えていた。最短と言っても10年程度で目が出るかどうか疑問があるところではあるが。

 それから2日ほどして、再びお会いしたとき、教員養成校の教官の支援をすることになって、一緒に組むことになった。私の人生の後半では、だれと組んで仕事をするかは、ほとんど考えていない。この仕事はして良いと思ったら、たとえ難しそうでも躊躇なくする。その背景には、相手を信頼できることが無意識の中で盛り込まれている。ほとんど誤ったことがない。あれこれ分析したり、理屈を考えたり迷ったりはしない。トータルとして良しと感ずれば、動いていると言うのが現状である。あの時も、何かすっきりと分かったのではなく、これは自分がする仕事であると結う判断が、なんとなく決まっていた。今でもどうしてそうなったのかは、分からない部分もあるが、不安や不満はほとんど無い。

 今回著書を読ませて頂いて、なぜあの時に説明のつかないまま一緒に組むことにしたのかが、少し分かって来た。大久保さんの言葉を借りれば、判断には「体」、「心」、「魂」の基準が有ると言う。楽をしたいと言うのは体の基準、人の評価が気になるのは心の基準、自分が本当にしなければならないのが魂の基準。私も言葉は違っても同じ判断基準を持っており、あまり分析して考えることは無く、トータルとして自分がすることと感じれば実行に移すことにしている。その結果は、自分の利益だけでは無く、社会や多くの人たちの利益になることが多い。何か不安な要素があると、躊躇して前に進まないことがある。この様な時は、後から考えてもやはり、しなかったことを後悔しない。

 私の予定では、今年10月には日本に帰る予定であった。資金も体力も尽きてきたから、そろそろ潮時だと思っていた。再び巨大プロジェクト(日本のリタア組の先生を数十人もカンボジアに送り込もうと言うのだから、今までに聞いたことのない大きさである)に取り組むことになって、体力が落ちないように気をつけながら、基礎を築くことが、私の役目であると思っている。私の人生を振り返ってみると、時々予想もしなかった方向に走り出すことがある。やはりチョット物見高い、オッチョコチョイなのだろうか。それでも、大いに満足しているのだが。

 カンボジアの2-3人の仲間に紹介したら、あちこちに本が亘り歩いている。読んだ方からの推薦で、次の人に手渡されて行く。最近では珍しい本である。皆さんにも、是非一読をおお勧めしたい。

大久保秀夫著 「The決断」 ワンプルーフ発行 本体1400円 
ISBN978-4-88759-999-4
Fax.03-3237-8323に注文可能(株式会社ディスカヴァー・トウエンティワン)

タレントたちの薬物汚染

2009年08月14日 | 文化
タレントたちの薬物汚染   2009.8.14.  金森正臣

 最近も有名なタレントが、薬物所持で逮捕されたニュースが、インターネット上で走り回っている。マスコミはこの様な世界を作り出しておきながら、あたかも部外者かの様に、正義の味方の様に、公平な第三者の様に振舞っている。今回ばかりでは無く、今までも同じような問題が起きている。薬物検査をして、厳しく取り締まれば良いといった論調も目立つ。しかしそのような論は、問題の基本を見誤っている。なるべく様にして、なったのである。

 そもそもマスコミが取り扱う内容は、普通のことが普通の様にでは、基本的に売れない。普通のことでも、あたかも特別な様に扱う。人間に必要な真の価値観を追及するのではなく、いかに目立つか、いかに興味を持たれるかを常に念頭に置いている。そのマスコミ上で活躍するタレントたちは、当然ながらいかに目立つか、どの様に見られているかが最重要課題になる。これらの基準は、自分がどの様に生きるかでは無く、人の基準で人生をしていることに問題の基本がある。そこには、自分の人生が存在しない。これはマスコミが作り出した、マスコミ社会の問題である。マスコミはそこには目を向けない。巨大化した、マスコミ社会は、あたかも自分たちが社会のスタンダードであるかのように錯覚している。多くの庶民も、その価値に振り回される傾向がある。皆さんの価値観は、マスコミに振り回されていませんか。

 本質を見誤ると、人生はいくら努力しても、良い結果にはならない。人生は自分のものであって、人に見せるためのものでは無い。他人から褒められても、けなされても、人生の価値は変わらない。しかし普段からこのことを深く考えておかないと、死ぬ間際になってはじめて気が付き、ジタバタと恐怖と不満の中で終わることになる。

 人は必ず死ぬ。その死に向かって歩いている。最後まで自分が満足いく人生が送れるように、日々努力するのは、生きた様にしか死ねないからである。人の価値観に振り回されていたら、まともな人生にはならない。現在社会は自然に、マスコミの価値観に振り回されている。マスコミの価値観に振り回されていないか、いつも振り返ってみる必要がある。厄介な時代になったものだ。

カンボジアの交通標識 

2009年08月11日 | 文化
カンボジアの交通標識    2009.8.11. 金森正臣

 カンボジアの交通標識の一覧が、この写真。ある自動車学校で撮影したもの。見ていると意味の分かるものもあるが、じっと見ていても意味不明なものもある。カンボジアの自動車学校は、極めて簡単な施設で、通りに面して普通の人家があるだけ。練習車も数台程度が家の前に止めてあって、教習はすぐに路上から始められる。坂道発進もなければ、標識で停車する練習もなし。車庫入れ駐車を、路上でポールを立てて練習しているのを見たことはある。

 この写真は、部屋の奥に飾ってあって、一応標識について勉強するようだ。テストがあるかどうか確かめなかったが、多分学科試験はあるが簡単。当然自動車の構造の試験も無い。中央左側の円の中は、いろいろな禁止事項があるようだが、意味の分からないものが多い。中央右側の円の中には、馬に乗った絵が、禁止と通行可と両方あるようだ。あまり見かけたことはないけれども。その下にあるのは交差点の注意。ロータリーが多いのでその入り方かと思われる。

 カンボジアの人たちは、交通ルールがあることをあまり理解していないので、ルールは教習所で教えたものとはかなり異なっているようだ。バイクは一昨年あたりから免許制になったが、無免許者の方が多いと思われる。バイクが有れば小学生でも乗っているから、かなり危ない。お巡りさんは、道端で取り締まりを行っていても、以前は拳銃の所持者から取り上げることが仕事で、交通ルールについてはほとんど関与していなかった。今年の正月から、ヘルメットの着用が制度化され、運転者は良く取り締まられている。振り切って逃げてしまうツワモノモもいて、思うようには行かない。バイクはナンバーがついていないから、逃げ得。お巡りさんも小遣い稼ぎになるからかなり力を入れているが。

 ルールが無いかと言えば、暗黙のルールが有り、ズルズルとゆっくり移動する。どこの交差点も、スクランブル状態になるから、乗り切るのはなかなか大変。歩いている時も急がず、大胆に、ズルズル移動。スクランブルが咬み合って、渋滞になるが、カンボジア人は、決して怒ったりしない。エライ。

カンボジア葬儀事情 4 

2009年08月07日 | 文化
カンボジア葬儀事情 4  2009.8.7. 金森正臣

 誰も死んだら天国に行きたい。死んでからまで苦労する、地獄に行きたくないのが本音であろう。送る人たちも同じで、死者が天国に行けるように、いろいろと努力をする。見えない天国がどこにあるか分からないし、実際に行ったことのある人もいないのだから、勢い迷信も横行する。

 だいたい天国、地獄が彼の世のものであると言うのは、だれが考え付いたのであろうか。日本では江戸時代の高僧(決して高い地位にあったのでもないし、有名な大きな寺にいたのでもないが、深い悟りを得、庶民に分かりやすく説いた人と言う意味で高僧である)、静岡県の白隠禅師は、地獄極楽は、彼の世のことでは無く、今のことだと教えている。「怒り」それこそが地獄であると。

 カンボジアの上座部仏教には、悟りは無いのではないかと私は思っている。従って、天国も地獄の現実のものでは無く、空想上の物事になる。朝早くから町を練り歩く葬儀は、皆さん白い上下に、肩から白い布をかける。葬儀の正装が、白黒であることは日本と共通していて分かり易いが、やはりあまり華々しいものではないだろう(写真は、朝街を練り歩く葬儀の行列。おばあさんたちは剃髪して、哀悼の意を表している)。しかし、棺を載せる台の色彩豊かなのは何であろうか(前回、前々回の写真)。棺の中に入るともう天国なのだろうか。

 カンボジアのお寺の壁画には、仏教の様々な場面が描かれている。地獄極楽があることは、その壁画からも分かる。地獄には閻魔大王がいて、ウソをついた人は舌を抜かれるのも、日本と同じ話だ。しかし、死者はどの段階から彼の世になるのかは、良く分からない。さまよえる魂が有るのだろうか。カンボジア人は、オカルト映画を大好きな様だが、何か関係あるのだろうか。

カンボジア葬儀事情 3

2009年08月03日 | 文化
カンボジア葬儀事情 3  2009.8.3. 金森正臣

 先日、プレイビヒアの州の知事が亡くなった。プレイビヒアは、昨年ユネスコの世界遺産に登録されて、一躍注目を集めた。その上、登録がカンボジアの遺産として登録されたので、タイ側からクレームが付き、軍事的衝突まで起きたから、ますます注目を集めた。

 その難局を担当し、功績が有ったからであろうか、かの州の知事の葬儀は、プノンペンでも金持ちしか葬儀が出来ないと言われている、ワットランカーで執り行われた。プレイビヒアの衝突で戦死した3名の葬儀も、ワットランカーで行われた。軍や政府の威信をかけて、高いところで行ったのであろうが、金持ちたちもここでするところを見ると、やはりお金をかけた方が、天国に行く確率は高いのであろうか。日本では、地獄の沙汰も金次第と言うけれども、カンボジアでも同じなのであろうか。

 写真は、州知事の葬儀の朝、ワットランカーに、棺を乗せる塔が建っていたものを撮影した。田舎のものよりも装飾にもお金がかかっているようだし、高さも一段と高い。

でも一遍上人は、「貴賎高下の隔てなく・・・」、皆浄土に行かれると説いておられますが・・・・。また親鸞聖人は、悪人も、いや極悪人のために、阿弥陀仏は済度されるとノタマワクなのだが・・・。だから、金持ちでもいいか。どっちも同じなのだから。

カンボジア葬儀事情 2

2009年08月02日 | 文化
カンボジア葬儀事情 2  2009.8.2. 金森正臣

 カンボジアでも、死者を天国に送りたいと言う、遺族の願いがあることは、前回の報告でも了解されるであろう。カンボジアの天国は、高いところにある様で、死者の遺体を置く所としては、高い安置場所が作られる。

 写真に見られる、高い塔は、葬儀を行っているすぐ脇に作られていた。全体の高さは、10メートルくらいもあり、遺体は、4メートルぐらいに設けられた、祭壇に安置されている。中段にある箱が棺で、その上に黄色の花が飾られている。祭壇も日本よりは、かなりカラフルに感じられる。日本では、棺をこの様に高い場所に置く習慣は見られない。

 カンボジアでは、高いところは尊い場所で、低い場所は、地獄に繋がっていると考えられている。アンコールワットの第三回廊には、雨水をためるプールが有る。雨水は天国に由来し、脇水は地獄に由来すると考えられていた。第三回廊より上に登る王は、雨水で身を清めてから、上部の清浄な場所に行かなければならないと、考えられていた。この様な雨水を溜めるプールは、9世紀のヒンズー教寺院、プレービヒア遺跡(昨年世界遺産に登録された)にも見られ、現代の葬儀にも古くからの考えが伝わっていることが伺える。

カンボジア葬儀事情 1

2009年07月28日 | 文化
カンボジア葬儀事情 1  2009.7.28. 金森正臣

 先月の中旬、カウンターパートの一人が突然電話してきて、化学の先生の家に行くからついて来いと言う。7時30頃に迎えに来てくれ、プノンペン郊外のやや田舎の地域の家に行った。着いて見ると葬儀の準備がなされており、何方か亡くなったらしい。化学の先生の奥さんのお祖父さんだと言う。何回か訪れたことのある家であるが、お祖父さんに逢ったことはなかった。

 家の脇にテントが張られ、盛装した大勢のお年寄りたちが集まっている。やはり亡くなったのがお祖父さんだからであろうか。ひときわ目に着いたのが、写真の天国への階段。前に写っているのは、化学の先生。頭を丸めて、弔辞の意を表している。一番奥に極楽に居られる阿弥陀仏らしきお姿が有り、そこに至る階段が、花道になって飾られている。迷わずに天国に行けそうだが、右にも左にも阿弥陀様がおられて、どこに行ったら良いのか迷いそう。日本にも死して後は天国に行く思想があるが、こんな形で明確に示されたのは初めて。分かり易くて良い。


カンボジアの明日を創る シンポジューム 

2009年07月08日 | 文化
カンボジアの明日を創る シンポジューム   2009.7.8. 金森正臣

 新しくできた「カンボジア国際教育基金」(CIESF)による、シンポジュームが、7月4日にプノンペンで開催された。CIESFの目的は、カンボジアの内戦後の国の復興にある。多くのドナー(支援団体)が入っているが、基金では、教育によってカンボジアの基礎を造ろうとしている。第1は、日本のリタイア組の先生による、教員養成所の教員の質の向上。第2は、実践的経営学を指導することによる、カンボジアにおける産業の育成と雇用の拡大。第3に、教育制度の全体を見渡せる人材の育成(教育行政のための大学院の設立)。

 今回のシンポジュームは、第2の目的の「実践的経営学講座」の開設に伴う、学生への説明。国立経済大学、私立2大学、労働省労働訓練局の4か所で、10月からコースが開設される。日本、タイ、カンボジアで実際に会社を経営している若手が、経営する上での注意事項や心掛けを説明した。また、早稲田大学の大江教授からコースの説明、各大学からどのような学生が望ましいかやコースに入るための条件などを説明。基金では、卒業後レポートを書き、実践的であると判断された者には、マイクロファイナンスも用意されている。学生は熱心で400名ほども集まり、朝8時から夕方5時まで、熱気に包まれていた。

 来賓として副首相が見える予定であったが、パリの会議に出る様に首相からの指示で、数日前に上級大臣に変更になり、プログラムの印刷に大慌て。他に篠原日本国全権大使も出席頂いて、盛況に開幕。写真は、オープニングセレモニーで、国歌斉唱の場面。カンボジアの学生は、全員きちんと起立していた。以前にJICAのイベントに出た時に、協力隊員が国家斉唱で、起立しない人がいたのに驚いた。まだ日本人は、国際人にはなっていない。君が代について、国家として反対する意見もあるが、他国の国歌に対して敬意を払わないのは、外国で働くには基礎的な教養が不足していると言わざるを得ない。

 結構短期間に、様々な準備が入り、やや疲れた。それでも、いよいよCIESFの仕事が始まることに、充実感もある。9月からは、先生たちも日本から来られるので、こちらも楽しみ。

アリマシ爺さん              

2009年07月01日 | 文化
アリマシ爺さん              2009.7.1. 金森正臣

 最近アフリカのタンザニアやザイールから便りがきた。なんだか乾いたサバンナが懐かしくなった。若手の研究者が、私の調査していたタンザニアの奥地にいるらしい。昔トラッカー(道案内や荷物運び、動物追跡などの手伝いをする)に雇っていた、アリマシ老人のことが気になっていて、問い合わせたらすぐに返事が返って来た。まだ健在であると言う。

 アリマシ老人は、私が初めて雇った1995年ごろ、既に60歳ぐらいであった。その後63歳になったと聞いたことがあるが、未だに63歳だと言う。あれから年を取っていない様だ。若者たちに、ムゼー・アリマシ(アリマシ爺さん)と呼ばれており、慕われていた。彼は字も書けないし、数字も分からないので、給料を渡すと、若者たちが確認して、大丈夫だと言って渡していた。やはりアリマシは、数が分からない様だ。なんだかいつまでも若くて、「ジャンボ、ジャンボ、ジャンボブアナ」(コンニチワ、コンニチワ、旦那さん)と元気な姿を見せそうで幸せな気分になる。

 彼は、森の中でハチミツを取って、村に出て売り、生活をしていた男で、もちろん学校とは無縁な男である。従って計算はほとんど出来ないが、彼が仕掛けているムニンガ(ハチに巣を作らせる空洞の丸太)の数はきちんとわかっており、135本仕掛けていると言っていた。雇った時には、もう力は衰えていたが、森で生きる知恵は抜群で、テント場に夜間に来たゾウの大群やサファリアリ(正式にはリョコウアリ?、移動性のアリで大群をなす)の窮地から逃れられたのは、彼の経験である。若者たちも、木の利用の仕方などは、アリマシに聞いていた。

 タンザニアの平均寿命は、50歳ぐらいだったと思うが、結構長寿の老人が多い。いつも世話になった、ムゼー・ジェームスも93歳だと言っていたし、聞き込み調査をした時には、100歳になる老人から話を聞いた。孫か非孫か分からないが、小学生ぐらいの子どもが来て、牛糞の乾いたのを拾い集め、火を付けて暖を取らせ、乾いたタバコの葉を取って来て、巻いて吸わせていた。南の2度ぐらいの赤道直下でも、海抜標高が1600mぐらいあると、朝の冷え込みは激しい。この老人も全くボケは無く、確かな記憶を持っていた。ジェームス爺さんは、トウジンビエの酒を仕込んでおいて、夜には飲ませてくれた。年寄りたちは皆大切にされ、元気で、ほとんどボケていない。日本はどこかおかしく、先進国とは何なんだろうと思っている。