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金森先生のカンボジア日記

金森正臣先生のカンボジアの文化・教育・食べ歩き体験記

カンボジア人は親切

2013年04月04日 | 文化
カンボジア人は親切 2013.4.4.  金森正臣

 朝の散歩のときに、公園で何時も中国武道会のTシャツを着て、演武の練習をしているグループがある。もう10年以上見ているような気がする。大体メンバーは決まっている様だが、時に出入りがあり新顔がいることもある。

 ある朝、旅行者らしき白人の10ぐらいのグループが、この演武の練習を見ていた。その中の2-3人が、この演武を見様見まねで、脇で練習を始めた。でもなかなか上手くは真似できない。しばらくしたら、演武のグループの長らしき人の指示で、2人ほどがこの白人のグループに、指導を始めた。写真の手前のグループの右側の2人が、演武のグループのメンバーで、白人たちに教えていた。写真の右奥の手を伸ばしているのは、演武のグループの本隊。

 以前にも、白人の婦人が2週間ほど、このグループの練習に参加していたことがあり、皆さん違和感なく指導していた。このようなカンボジア人の親切さは、よく見られる風景である。多くの外国人が、カンボジアは住みやすい国と感じるのは、この様なホスピタリティーの精神から来るもののように思われる。

 カンボジアは、大陸続きの国で、多くの国の人々が出入りする。人種構成も複雑で、中華系、バングらインド系、マレー系など複雑な民族構成である。また長い年月を、フランスの植民地として過ごさなければならなかった。このために外国人に対する接し方は、日本人などとはかなり異なった文化を持っているように感じる。

いじめ問題 1 本質と対症療法

2012年08月20日 | 文化
いじめ問題 1 本質と対症療法  2012.7.23.   金森正臣

 ご無沙汰しました。
 いじめの問題を書き始めて既に一月が過ぎようとしている。書き始めても、疲れてくると進まなくなり、この間に風邪で2週間ほど体調を落とした。多分十分に書く状態になっていなかったであろうと、自分自身で感じている。これはほんの序章で、まだ書き足さなければならないことが多くあるが、次に何時書けるか不明だから、一応この時点で書けているところまでを載せる。
 この間日本から来られた皆さんからも、日本の教育の現状の問題をよく聞かれるが、多くの方がかなり部分的に見ておられて、返答に窮する。確かに部分だけを見ていると、正しい意見が導き出せて、すっきりすることであろう。部分的には誤りではないが、いじめは全体性の問題であって、部分では問題の解決に近づくことはできない。


 昨日(2012.7.22.)NHKの日曜討論で、いじめ問題が取り上げられていた。いつもあまり本質的なことは話されない番組なので、普段は見ていない。偶然つけた時に、いじめ問題が話されていたので、10分ほど見た。しかし、文部科学大臣の発言も、本質には全く触れず、対症療法に終始していた。

 いじめ問題はしばらく無くなることはない。なぜならば、それを引き起こす社会は、すぐには変われないのであるから。いじめは昔からあったことで、今さら始まったことではない。しかしながら、自殺に至るまでになったことは、最近のことで、最初に大きな話題になったのは愛知県の中学である。今から30年ぐらい前のことであった。その時近くでつぶさに見ていると、報道や社会の動きは、本質とは程遠いところで動いていた。日本人の「半官贔屓」の心情からすれば、自殺した側の問題に迫ることは極めて難しい状況になる。しかしながら、物事の本質を理解するには、そのような心情を抜いて、全体像を見なければならない。その様にして、自殺の本質を考えてみると、幾つかの問題が見えてくる。

 アメリカのFBIの人だったと思うが、自殺の研究者がいて論文を読んだことがある。自殺の現象から分析すると、3タイプがあり、自身が自殺を意識している場合に、2つに分けられる。最初の一つは、自殺の意志は強くないが、自殺と言うメッセージを通じて、自分の窮状を周囲に伝えようとする場合。リストカットや薬物使用など、死ぬ確率の低い方法を選ぶ。第二は、自殺の意志か強く、確実な死の方法を選択する。高いところからの飛び降りや首つり、拳銃自殺など死に至ることが多い。その他に本人は自殺を意識していないが、様々な行動に危険が伴い、ついには死に至るケースである。暴走や危険な冒険などが、これに当たる場合が多い。犯罪捜査を担当していると、自殺をこの様に分析してかからないと、犯罪との境目を見分けられない。

 いじめによる自殺は、自分が自殺を意識している場合で、確実な死ぬ方法を選ぶ場合である。この場合には、自殺に様々なメッセ-ジが込められている。自殺の場所なども重要なメッセージで、誰に対したメッセージを発信しているかは明らかな場合が多い。前出の愛知県の場合も、その後に起こった新潟県の場合も、ともに自殺の場所は自宅であった。このことは、両親に向けて最も強いメッセージが発せられていると考えられる。即ち、自殺者本人の中で、両親に対して最も分かって欲しかったことが伝わってくる。今回の場合でも、マンションとなっているが、多分自宅のマンションではなかろうか。とすれば、両親は、毎日その現場を通らなければならない。自殺した中学生からは、毎日両親が自分の苦しかった現実を思い出して欲しいと言うメッセージが伝わってくる。両親はいかに理由をつけて、いじめた友達を追求してみても、自分の子どもからのメッセージから逃れることはできない。以前の場合も、親はその後のいじめの問題に取り組み、全国の子どもたちの相談役になって貢献してみても、自分自身の苦しみから抜け出すことはできなかったであろう。以前の場合も今回も、子どもは多額の金を使っており、親も気付いていないはずはない。しかしながら、その子どもからのメッセージに正面から向き合わなかったことに、自殺に至る重要なカギがある。以前に不登校の子どもの野外塾をしていた時に、親御さんの一人が話してくれたことが、印象に残っている。彼は色々いじめられている子どもを調査していたが、いじめのひどさで不登校は起こらないと言っていた。ひどくいじめられていても、親に話せた子どもは、不登校にならずに回復していると言っていた。多分親に話せた段階で、子どもは親との共同作業になり、次第にエネルギーを回復してゆくことができる。今回の場合も以前の場合も、家から多額のお金を持ち出しており、両親も薄々気が付いていたはずである。しかし、子どものこの様なメッセ-ジに、正面から迎え合えなかったことが、禍根を残すこととなったと思われる。

 いじめられている子どもも、いじめている子どもも不思議にそのグループから抜け出すことができない。愛知県の場合など、良い友達もおりそのグループに逃げることもできたように思われるが、実際にはそのように行動ができない。いじめ、いじめられのグループは、強い刺激を求めている場合が多く、いつ自分にいじめが回ってくるかと言う不安におびえながら、そのグループ内に留まる。暴走族でも同じような現象が起きていると、元暴走族から聞いたことがある。いずれの場合も、本来最も安定が得られる家庭において、自分の居場所がなく、そのことに対する不安が大きい。子どもは家庭に居場所が安定していないと、その続きに来る社会にも大きな不安を持っている。抱える不安から意識を遠ざけておくために、強い刺激を求めて徘徊することになる。その結果、良い仲間との良好な関係では、抱えている不安が顔を出すので、より刺激の強い仲間に惹かれて行く。このような不安を取り除くには、親の関与が不可欠であるが、上手く関係が取れないことがある。子どもとの関係が、病気などを通してしか持てない状態などは、要注意である。

 問題を自殺者側が抱えていたからと言って、いじめた側の責任が減るものではない。いじめる側も同じ問題を抱えているから、抜けることもできないし、より刺激の強いいじめ方に進んでゆく。強い刺激によって、自分の問題を見ないで済むようにしているうちに、追い詰めるところまで行ってしまう。罪の意識を持つほど余裕がなく、自分の不安を追い出すのに必死で、行動がどんどんエスカレートする。多くの仲間が、いつ自分にいじめの対象が回ってくるかと言う不安におびえながら、強い刺激を求めて仲間に加わっている。この場合も、親との関係は希薄で、親は自分の社会的評価に敏感であっても、子どものメッセージは受け取る余裕がない。このような親の多くは、自分自身の成長の過程で、家庭から十分な愛情を受けていない。社会的に成功していても、それによって人格が醸成され、子どもに十分な対応が取れるようにはならない場合が多い。学問の世界でも同じであって、いかに専門の世界で優れていても、そのことによって人格ができるものでは無い。私も多くの立派な先生に接する機会があり、つぶさに拝見していると、その陰に偉大なる母親を感じることが多い。決して有名な母親でも特別な母親でもないが、普通のことが普通でき、子どもに十分な愛情を注いでいる。その愛情によって子どもは、自分の専門ばかりではなく、自分の人格を成長させることに自然に向いて行く。植物生態学者の沼田真先生、霊長類学者の河合雅雄先生、弟で心理学者の河合隼男先生、動物生態学の森下正明先生いずれの方も自分の人格を高めるために、小さい時に母親に刷り込まれた生き方があるように思われる。


 今後・先生や学校の問題、教育委員会の問題、社会の変遷の問題などについて書きたいと思っている。

第9回正臣会御礼

2012年02月10日 | 文化
第9回正臣会御礼  2012.2.10. 金森正臣

 ご無沙汰いたしておりました。先月末には、上記の会を開いていただきましてありがとうございました。今回で9回目、退職してから10年が過ぎたことになります。皆さんお顔を拝見していると、急に若返った気持ちになったり、当時のことを鮮明に思い出したりします。私も、今年は6回目の年男です。

 話し合いの中で、学校と支援センターのカウンセラーの関係が、安城市の場合が特殊であることが出ました。そのことから私が、安城市に関わり出した頃のことを思い出しました。私と安城市の関わりの最初は、「生活科」の教材開発でした。何時もこの会の世話をして下さっている、小鹿先生が、卒業して桜林小学校に勤務しておられました。小鹿先生からの話で、桜林小学校に出かけ、当時1年生の担任であった先生たちと「生活科」の教材の開発に関わったのが最初です。実際に「生活科」が実施されるよりも、10年ぐらい以前の話で、試験的に実施する段階だったと思います。考えてみますと、桜林小学校のスタッフの皆さんと共鳴するところがあり、しばらく学校に通いました。特に野畑校長先生の人柄が、関わって行く上で、重要な要素だったと思います。自由にさせて下さり、すべての責任は持つから、最も効果的に出来るようにして下さいと言うご意向であったことが大きかったと思います。天気が良くて外に出るのが良いと思えたら、計画提出は後でもよいから、行動して下さいと言われ、いい加減な私のやり方を全て支持してくださいました。この学校との出会いが、安城市との出会いでした。その後この学校の先生方の移動に伴い、あちこちの学校に行く機会が増えました。この頃、名古屋の先生たちともお会いする機会が多くありました。その頃考えたこととして、組織を作って関わるのではなく、個人として一緒にするのであれば、大きな組織は動かすことが不可能であろう。しかし、安城市くらいの規模で、多くの先生と知り合うことができれば、それなりの効果が上がるのかと考えました。その後、植物採集の会や中学校の自然教室などに参加させていただき、より多くの先生と知り合うことができました。

 その後学校において、不登校の児童の問題が大きくなった頃、友人を頼んでこの問題に取り組むことになりました。この時も、安城市ぐらいの規模であれば、10年ぐらいで多くの先生に関心を持って頂き、学校と支援センターの関係が構築できるのではないかと考えた覚えがあります。この関係を構築するために、友人を頼んで講演会や講習会、定期的な先生たちの話し合いの会を持ちました。先日もこの会の中で、いまでも勉強会が続いていることを伺い、継続が力になっていることを実感しました。この様な先生たちの努力により、安城市では学校と支援センターの連携の理解が進み、様々な方法がつかわれるようになってきていると思います。定形的になるのではなく、それぞれの関係者が、自分のできることで協力することによって、連携がスムーズに行われるようになっていると思われます。

 安城市のように、多くの皆さんと協力することは目的とすることはありませんでしたが、学生の教育のために、豊橋市の学校でも20年を超して協力頂きました。児童をお借りして、学生の勉強の機会を作ってきました。もちろん児童の皆さんにも、自然を体験する機会が提供できます。生物教室の20名の学生の75%が参加し、4年生目でにリピーターになる学生は70%に上がっていました。学生にとって、魅力的な体験であったろうと思います。児童に自然の中で接し、自分の体験も増えることで、教室での勉強とは異質の勉強ができたのであろうと思います。私自身のエネルギーは小さくても、皆さんに協力して頂くことによって、少しずつ全体が動く体制ができて行ったように思います。自分ですぐに結果を見ることができなくても、動き出した方向はその後も動いてゆくように思います。今のカンボジアの支援も、同じような方法でやっています。

カンボジア版アウトドアー 

2011年11月21日 | 文化
カンボジア版アウトドアー 2011.11.21.  金森正臣

 またまた時間が空いて、皆様にご心配をおかけ致しました。元気に遊びに出掛けて、真っ黒に日焼けしています。11月は、9-11日が水祭りでお休み。そこで、シアヌークビルと言う港に、友人と二人で釣りに出かけた。1日ゆっくりと海の上で過ごし、釣った魚をレストランで調理してもらって、ビール。たまたま出会った友人夫妻にも、刺身や天婦羅をご馳走して盛り上がった。

 帰って来てから直ぐに、北西の町バッタンバンに、ミカンの病気の調査に出かけ、15日にプノンペンに戻り。昨日の日曜日は、疲れて一休み。2週間動き回ってだいぶ疲れたが、体力を回復してきたのも実感した。そして、久し振りにメコン川の岸まで散歩したら、水位はすっかり下がって、今年の増水が嘘の様。

 岸辺には写真の一家がごろ寝。子どもが7人と夫婦。日本ではホームレス扱いされるが、カンボジアでは誰も問題にしない。本人たちもさして悲惨さもなく、極めて普通。子どもたちは起きて遊んでいるが、親二人はまだ熟眠。鍋釜は持って居そうもないから、食事はどうしているのだろう。因みに以前に見かけた路上生活者一家は5人、立派な鍋釜が有り、コンロまで持っていた。

 なんだか自由で楽しそう。寒くないからねー。実際に家がないのか、一時的に街に出て来て泊る所がないか、金が無いから野宿か?これだけ子どもがいるのだから、家ぐらいは有るのかとも思うが、路上で子どもを産み、育てているのは時々見る光景なので、家の有無は、にわかに判断は付かない。カンボジアは、如何にも熱帯ののんびりした国である。きっと幸福度高いよな。

 

カンボジア日本人会の盆踊り大会 2

2011年10月24日 | 文化
カンボジア日本人会の盆踊り大会 2 2011.10.24. 金森正臣

 食べ物屋台やゲームなど、40を超える店が出て、どこも列が出来る盛況。私の関係している店が二つ。猛虎会(阪神タイガースフアンの集まり。因みに、タイガーウイングと言う靴会社の社長もそのネーミングから参加)は、初回からの伝統の猛虎焼き(関西のお好み焼き)。毎年300食ぐらいは用意するが、焼くのが間に合わない評判の伝統店。今年も3時間ほどで売り切れ。厚い鉄板は、4人がかりで無いと持ち上がらない代物。移動が大変。温めるのに30分ぐらいを要する。最初の時に、建設会社の社員さんが、ブルドーザーでも乗れる鉄板を加工して作ってくれた。

 もう一店は、東海賢人会の店。三重・岐阜・愛知に静岡の西の方のメンバーが集まって昨年から始めたお店。出し物は名古屋名物、味噌串カツ。前日から準備して、当日揚げる。昨年は、250食を用意したが、1時間ほどで売り切れて、周囲から文句が出たので、今年は大反省で約3倍を用意。昨年も今年も、準備には日本語学校に関係しているメンバーが、生徒さんを10人ほど頼んで、くし刺し、揚げるなどをお応援頂く。昨年は十分利益が出て、生徒さんには10ドルほどアルバイト料が払えた。今年もその見通し。10ドルと言えば、カンボジアでは、月給が200ドルあれば、一人前のサラリーマンだから、かなり良いアルバイトで、生徒さんにも喜んでもらえる。昨年は、あっという間に全部売り切れて、試食をしてもらえなかったが、今年は、多少余裕が有り、お土産付きに出来た。味噌だれは、岡崎の八丁味噌、角久を使う凝りよう。皆さんそれぞれの思いが有って、日本に帰国した人が買って来る。

カンボジア日本人会の盆踊り大会 1

2011年10月24日 | 文化
カンボジア日本人会の盆踊り大会 1 2011.10.24. 金森正臣

 カンボジアの日本人会主催の、第7回盆踊り大会が10月23日に開かれた。毎回参加者が増えていたので、今回は第6回よりかなり広い会場が準備された。前回までは、1500人規模を想定したいたが、日本人会会員も、商工会会員も急増しているので、今回は4000人規模を想定して、会場が準備された。盆踊り大会が開始された目的は、カンボジアの人々に日本の文化を知って欲しいことと、交流を深めようと言うことであった。

 今回は、会場が広がったこともあって、参加した人の9割以上はカンボジアの方々。しっかり目的を果たしている。写真は、プノンペン補習授業校幼稚部によるヨサコイソーラン踊り。踊り手が小さいのに、取り巻きが多いので見るのだけでも大変。参加者がどれだけいたかは、まだ定かではないが、3000人は優に超え、どこも超満員。しっかりと当初の目的を達している。

震災チャリティーイベント2

2011年09月14日 | 文化
震災チャリティーイベント2 2011.9.14.  金森正臣

 チャリティーイベントの呼び物は、歌謡ショー。日本人会メンバーで、東京ののど自慢大会で準優勝者と言うツワモノ。カンボジアのテレビ番組で、超人気者の歌手。歌は前者の方がはるかに上手いと思われるが、やはり人気は現役歌手。

 チャリティーイベントの最大の呼び物は、家電製品やヤマハのバイクなど、大人気の日本商品のオークション。最初に行われた家電製品は、ほとんどの日本人が競り負けて、カンボジアの方々が落札。

 写真左端に見えるヤマハのバイクは、1200ドルの高値でまだ決着がつかず(時価は、1600ドルぐらい)。結局2台ともカンボジアの方々が落札。総収益は、1万ドルを超えて日本への義援金になった。カンボジアの方々の、日本を支援したいと言う暑い思いを直に感じたイベントだった。

震災チャリティーイベント1

2011年09月14日 | 文化
震災チャリティーイベント1 2011.9.14.  金森正臣

 東日本大震災から丁度半年目の9月11日に、カンボジア日本人会によるチャリティーイベントが開催された。場所は、プノンペン大学にあるJICAの、カンボジア日本人材開発センター。以前から日本人が経営しているレストランなどに、義援金の募金箱が置かれたりしていたが、半年を持って一区切りとするために、今回のイベントが計画された。

 約1000枚(1枚5ドル)のチケットが用意されたが、ほぼ完売。会場の飲食物もほとんど完売。収益は全て、東日本大震災に対する義援金になった。入場者の8割は、カンボジアの方々でその関心の高さが伺えた。

 写真は、開会式。左端のスーツ姿のお二人は、日本人会の会長・副会長さん。地震の時間に合わせて、1分間の黙とうの後に、メコン太鼓(芽魂太鼓:日本人会の有志による日本文化を伝える芸能集団)の鎮魂のための演奏。皆さんほとんど手弁当で、本当に頑張ってくださっている。

エネルギー問題 7 競争社会を超えて 

2011年08月24日 | 文化
エネルギー問題 7 競争社会を超えて 2011.8.12. 金森正臣

 原発に始まったエネルギーの議論を聞いていると、競争社会に特徴的な単純思考が目立つ。競争は、争う項目を単純化し、争う軸を決めないと競争にならない。この様な思考を二元対立呼ぶが、西洋科学や競争社会はこの思考方法で成り立っている。即ち、白か黒かをはっきりしないと良非がはっきりしないから曖昧になり、競争は成立しない。

 日本の本来の文化は、土地に縛られた耕作農業であり、農民は移動が出来ない。そのために一度生まれた所には、いやな隣人が居ても我慢しなければ、生活が出来なくなる。その我慢の方法として生み出されたのがあいまいな論理であり、多神教であろう。多神教は、いろいろな神が居るから、いろいろな理論が考えられ、簡単には結論が出ない。例えば、教育の中でも、価値観の軸をいくつも持つと、いろいろの評価が出来、簡単に白黒が付けられない。子どもの喧嘩を考えてみよう。現在の学校では、危険だという理由で一切の喧嘩がかなり厳しく禁止されている。しかし小学生低学年の喧嘩などは、大事になることは少なく、また長時間にわたりこだわることが出来ないから、いずれ思いが薄くなり仲直りする。この仲直りが重要な成長のプログラムで、成長に従って仲直りの方法が発達する。チンパンジーの行動を研究した、フランス・ドバールは、「仲直り戦略」という本を書いているが、チンパンジーは本来持っている自己を維持するための本能的闘争心は持っているが、争って後で、仲直りをする方法を開拓したために、大きな群れで生活できるようになったことを見つけ出している。それには、騙しや曖昧さが入っており、そのことによって時間を稼ぐと、次第に仲直りが出来るようになっている。子どもたちの喧嘩を厳しく管理すると、仲直りの方法が手に入らない。その結果現在の若者たちは、自分の主張をする方法が分からず、ストレスがたまるし、社会性が低くなる。喧嘩をしないと、仲直りの方法も手に入らない。

 この様に、子どもの喧嘩一つを取ってみても、危険だけに目を向けるか(実際に学校現場では、親から訴えられる場合もあるので仕方がないかもしれないが)、子どもたちの成長に目を向けるかで、判断は大きく異なって来る。西洋に発達した近代科学は(私は法則科学と定義している)、分かりやすく合理性があるが、曖昧な価値観にはうまく適合しない。日本は、近年の100年の間に、西洋科学を学んで大きな物質的成果を得たが、精神的貧しさも受け取ってしまった。最近ラオスの調査で、ラオス国民の持っておる多神教的あいまいさと、精神的豊かさに接した時に、地球上で後500年して、一神教の世界が崩壊した折に、この包容力のある多神教の世界が、共存を可能にするであろうと強く感じた。

 我々も、単純な価値観に縛られてきた日本の価値観をもう一度見つめ直し、複雑な人生の価値観を持たなければならないであろう。人生は生きたようにしか死ねない。成功も、失敗も存在しない。人生の最後の死ぬ時に満足できる人生こそが、豊かな人生であろう。


追加
 最近、忙しさにまぎれて、なかなか書く時間が有りません。でも、カンボジア人の思考の過程を分析し、論理的思考をするための基礎トレーニングなどを試みて楽しんでいます。どうやら日本の小学校でしてきた、生活科の手法を使えば、彼らの頭の中に論理的思考をするためのマップが作れそうです。成功すれば、教育に大きな成果が得られそうですが。現在は順調に進んでいます。

エネルギー問題 6 原発に関する矛盾あれこれ

2011年08月11日 | 文化
エネルギー問題 6 原発に関する矛盾あれこれ 2011.8.11. 金森正臣

 はっきり記憶がないが、かなり以前に、三重県で原発を建設するためのアセスメントが行われた。その際に反対運動をしている方々からの依頼で出かけた時に、いろいろと事情を伺った。町は二分されて、選挙も壮絶なものだったようである。

 アセスメントが不十分なもので有った覚えがあるが、受け入れることによって自治体に多額のお金が流れ込む仕組みになっており、結局はお金の力で動いたように覚えている。今回も福島県には、多額の原発見返り資金が、長年に亘って流れ込んでいるはずである。とはいえ、事故が起こってみると、渡された金額では見合わないほどの被害を被っているであろうと想像される。

 ところが周辺の県にしてみれば、何の保証金もなく、突然に被害だけが及んできたのでは、なんとも不合理な話である。もちろん福島県が被害を受けても良いわけではないが、何のメリットもなく、被害だけを受けた県はやりきれない。

 大体放射能汚染は、その期間の長さと範囲の広さにおいて想像を超えるところが有り、電力会社がある町や県に多額の金を払って建設を認めさせながら、周辺に交渉が無いのは無責任の極みである。今回も住民への補償を優先するために、国の公的資金援助を行い、一企業の尻拭いをするのはいかがなものかと思われる。電力会社全体が、右肩上がりの社会では成り立つが、今後の様に必ずしも成長を続けられない時期が訪れると、必ずしも経営が成り立つとは限らない。最近まで電力会社は優良企業と思っていた皆さん、再考を要するのではないであろうか。そろそろマスコミに振り回されて、自己を見失っている現代社会を改めて、自分の人生を地道に歩く時代が来るのではないであろうか。