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金森先生のカンボジア日記

金森正臣先生のカンボジアの文化・教育・食べ歩き体験記

エネルギー問題 5 放射能問題の本質

2011年07月26日 | 文化
エネルギー問題 5 放射能問題の本質 2011.7.26. 金森正臣

 テレビを見ていたら、放射能問題について議論をしていたが、何かピントが外れているように感じた。核エネルギーは、多量に発生すると原子爆弾の様な熱と強風による破壊が起こる。熱は出ないまでも、放射能の問題は厄介である。35年ほど前に医学部で、実験動物学なる分野で働いていた。その際に動物用のレントゲン室を作ることになって、放射能の危険性について勉強する羽目になった。昔のことであまりはっきり覚えていないが、レントゲンを使う部屋は、壁を30センチのコンクリートぐらいにしないと漏れる危険性があった。鉛の板を入れる案もあったが、コストが高すぎるためにコンクリートにした。

 さて放射能は、問題が自身の体の細胞の複製に異常が起きる問題である。遺伝子の中のDNAの二重ラセンを繋いでいる塩基の手の部分に放射線が当たると切れる現象が起きる。以降はこの細胞の複製は全て切れていることになる。体細胞であると、複製時に異常が継続されるだけである。しかしこれが精原(精母)細胞などで起こり、それから出来た精子や卵子が受精すると、体中の全ての細胞が異常を持っていることになる。更にその子孫は、全て異常を持っていることになる。異常が有っても、場所によっては問題にならないこともあるが、わずか一か所でも問題が起こる場合もある。

 レントゲン室の設計をしている頃に読んだ、アメリカの疫学的調査の論文があった。レントゲンによって見つける癌の量と、そのレントゲンによって作られる癌の量はほぼ等しいというものであった。これはレントゲン検査を受けていない人たちと、年に一度程度受けている人たちの比較であったが、結局受けることによって作られる病気は、受けなかった人よりかなり多いことになる。政府の担当者の発言では、「レントゲンを受ける程度の放射線量であるから問題はない」という意味であったが、この担当者は放射能問題を担当するにしては、明らかに勉強不足である。

カンボジアでも健康ブーム 

2011年06月30日 | 文化
カンボジアでも健康ブーム 2011.6.29.  金森正臣

 カンボジアでも、経済状況が良くなり、金持ちが増え始めた。まず目立つのが、肥満者が増えたことである。飢えの時代を生き抜いた大人たちは、お金が溜まるとまず食を満喫する。その結果、肥満者が増えることになる。

 最近は、その肥満者が健康を気にするようになり、朝の公園は散歩をする人、グループで踊る人、太極拳と様々な活動がある。私が毎朝散歩をするのは、少々異なり、如何に体力を維持して時間がかかる教育支援を維持して行くかである。

 ある朝太極拳のグループの脇を通ると、何かいつもと変わった感じ。良く見ると見慣れないメンバーが、幾つもの箱を積んでいろいろ説明している。どうも健康のためにサプリメントを売り込んでいるらしい。健康のために運動しているグループにサプリメントを売り込むのは、なかなか優れた発想だと思って見ていた。しかしどうも売れる様子はない。

 写真の右から2番目の白いシャツが売り手。後の4人は、後ろに見えている太極拳を練習している仲間。もう数年は続いているから、そばを通るだけであるが、メンバーは見ると分かる。右手の太めのおばさんは、リーダー格でなかなかの踊り手。多分グループのNo.2である。太めだが身は軽く、かなりの長時間指導していても息が上がらない。このリーダー以外には、あまり太めはいないグループ。売り込む場所が、ちょっと悪かったんではないでしょうか

エネルギー問題 4 エネルギーと物質・経済活動

2011年06月23日 | 文化
エネルギー問題 4 エネルギーと物質・経済活動 2011.6.23.  金森正臣

 エネルギー問題のもう一つの重要な側面は、経済活動である。経済活動は、利益を追求して活動が行われ、エネルギーとしてはあまり意識されていない。大阪に勤めていた35年ほど前に、日本環境教育学会を立ち上げようと、10人ほどが集まって話し合ったことがある。当時私は医学部にいたので、環境教育にはあまり熱心ではなかった。しかし45年ほど前に、長野県の美ケ原の開発の問題から「長野県自然保護連合」を作った経緯があり、呼ばれた様である。その席で「環境経済」という概念で活動していた研究者から、非常にラフな話ではあるが、1円を2カロリーぐらいとして計算してみると、全ての経済活動は使ったエネルギーの概念で理解できると聞いたことがある。1円が何キロカロリーかはさておき、あるものを買った場合に、自分がいくらのエネルギーを使っているかと言った概念が生まれて面白かったことを覚えている。

 我々は、経済活動で様々な物を得ているが、それらはすべてエネルギーが伴っている。ところで、お金も物も、沢山得られれば幸せになれるかと言うと、その様には簡単に行かない。経済活動が順調でお金を儲けていても、わずかな狂いで自殺をしてしまう人もいる。大きな邸宅に住んで、優雅な生活をしているように見えても、不安と猜疑心に悩まされている人もいる。戦後の何もない時期に比べれば、現在は全てが豊かで満たされているように見えるが、その様にはなって居ないのが皆さんの実感であろう。沢山エネルギーを使って、豊かに見える生活が保障されていても、人間はそれで幸せが得られるわけではない。若者も戦後すぐに比べると恵まれているにもかかわらず、何をするにも無気力が目立つ。

 エネルギー問題1でも書いたように、沢山のエネルギーを使ったからと言って、健康になるわけではない。多くはエネルギーを使うほど、体に備わった本来の力が落ちるように思われる。また幸福観も、自分の体を自分の意思で自由に使えるほど、満足されるように思われる。これらを組み合わせると、楽をすることや快適なことが幸せにつながらない場合が多い。楽をすることや快適なことは、短期間であればある程度の満足が得られる。しかし人生は長く、いろいろなことに対応しなければならない。日本の教育は、西洋の法則科学に基づく、分かりやすい単純法則に偏り過ぎて、総合して考える力を十分に教えていない。その場で分かりやすく説明できることが、すべてを支配している。エネルギー問題を考えてみる時には、自分の考え方についても再確認する必要がある。今良いからと言って単純に受け入れるのではなく、それが自分の人生にどのような影響を持つかを考えてみる必要がある。

 途上国から見ていると、日本の国民の生活が、明らかに不必要にエネルギーを使い、そのことによって苦しみを生みだしていることが見えてくる。日本にいるとあまり気にならないことでも、途上国から見るとはっきりする。先日理事会で日本に戻った時、空港からの電車が通勤時間帯を過ぎた時間で、やや空いており、車内が見渡せた。驚くことに30人ぐらいの全ての人が、携帯と向き合って何か忙しくしている。かなり異常な光景に見えるが、次第にこのような光景になった日本人には気付くことは少ないのかもしれない。時間をつぶすことはできるが、人生の意義などを考えるプラスにはなりそうもない。皆さんはどのように考えるであろうか。お金やエネルギーをかけて貴重な人生の時間を、無駄に過ごすことは残念なように思えるのであるが。

エネルギー問題 3 食料問題

2011年06月17日 | 文化
エネルギー問題 3 食料問題 2011.6.17.  金森正臣

 エネルギー問題の根本は、食糧問題にある。人が最終的に節約できないぎりぎりのエネルギーは、食糧のエネルギーである。これは直接生命にかかわるエネルギーで、どうすることもできない。その量はかなり幅が有り、生命維持のぎりぎりとなれば、快適な生活の半分ほどでも賄える。

 以前にタンザニアにいた頃、ザイールの難民キャンプで聞いた時に、1人当たりの配分は900キロカロリー程度にしており、多少土地を与えて畑からも得られるようにしているとのことであった。配分する量が1200キロカロリーを超えると、人口が増加する場合が有り、難民キャンプとしては問題が増えるので、注意しているとのことであった。現在の日本人がどの程度のカロリーを取っているかは定かではないが、使っているカロリーとしては調理時や食べ残しの廃棄分も含めると、1人1日あたり3000キロカロリーを超えているように思われる。

 インドではカースト制度が存在するから、インド国内にあれだけの国民が生活できている。もしカースト制度が崩れて(やや崩れ始めているが、まだ大きな部分は崩れていない)、皆が平等にエネルギーを使うようになったら、国内で国民の使用エネルギーを賄えないのは明らかである。同じようなことは、中国でも起こっており、皆が平等にエネルギーを使う意識になると、明らかに賄えなくなる。「地球上がもし100人の村であったら」と言う小冊子が有ったが、わずか20%ぐらいの人々が、80%以上のエネルギーを使っているのが現状である。1970年ごろだと思うが、IBPと言うユネスコが支援した地球上の生産量を計算する研究が有った。私も参加して信州大学の志賀高原の実験センターの針葉樹林で、生産量を算出した覚えがある。その時の計算では、地球上で賄える人口は、80―120億程度であった。これには、生命維持のエネルギー以外のことは、計算に入っていなかった。

 現在は既に、世界的に食糧が不足する時代になりつつあり、配分の問題もあって、飢えも起こっている。日本の食料自給率は、政府の発表では37%になっているが、実質は20%以下である。何故ならば、外国から輸入しているトウモロコシなどの家畜の飼料から得られた生産物は、国内生産と計算されているからこの様な違いが起こる。輸入が制限されると、日本はたちまち食糧危機に見舞われる数値である。仮に40%近くが国内で生産されていれば、廃棄部分や食べ過ぎている部分を上手に分配すれば、80-100%飢え死には無い。しかし、国内の本当の生産量が20%程度であると、如何に廃棄部分や配分を考慮し、食べる量を1500キロカロリーぐらいに抑えても(この量で充分飢え死には防げる)、50%の国民にしか配分できない。後は飢え死にに至る、危険な国内生産量である。食料の無い時代になると、お金がいくらあっても役に立たない。戦後の一時期は、いくらお金が有っても食料は手に入らなかった。お金は食べられないし、電力やガソリンなどのエネルギーは、簡単に食糧にはならない。概算であるが、植物が光合成できる割合は、降り注ぐ光のエネルギーの1%程度である。電力などを光に変えて、光合成して食料に得ることは、実際には現実的ではない。我々は原発事故を通して、エネルギーの使い方を改めて基本から見直す必要がある。

エネルギー問題 2 原発はクリーンか?

2011年06月13日 | 文化
エネルギー問題 2 原発はクリーンか? 2011.6.13.  金森正臣

 原子力発電を始めた頃、そしてつい最近まで、取り出せるエネルギーは炭酸ガスを出すこともなく、クリーンであると宣伝されていた。本当にクリーンであったのであろうか。現在も福島県で行われている避難は、何が原因であろうか。原発に付き物は、放射能である。今回の事故によって、世の中の多くの皆さんは、原発が決してクリーンなエネルギーで無いことを理解したと思われる。

 放射能は、目に見えないし、炭酸ガスとは異なった汚染を引き起こすことが明白になった。原子力開発グループは、炭酸ガスの汚染が無い、すなわちクリーンであると言う姑息な理論で問題をすり替えてきた。原子力開発には、最初から放射能問題は付いて回っている。即ち、廃棄物の最終処理を巡って、まだ問題が解決していないのは、この放射能の問題が解決されていないからである。また使用核燃料は、今回の事件で明らかになった様に、常に冷やし続けなければならない。取りだしたエネルギーと、その後冷やし続けるエネルギーとどちらが大きいかは、いまだに知らされていない。専門家は、当然計算できているはずであるが、公表しない。多分、冷やし続けるエネルギーの方が、はるかに大きくなり、取り出したエネルギーでは、間に合わないからであろう。

 取りだしたエネルギーよりも、冷やす施設や水の循環などに使われるエネルギーが大きければ、当然後の世代に負債を負わせることになる。何時であったか、原子力関係の人に質問した時に、原子力エネルギーは他のエネルギーと異なって、ほとんど無限の可能性があるから大丈夫だと言っていた。それは、放射能を計算に入れなかった場合には、その様になるが、放射能の量が多くなるとどのようなことになるであろうか。現在避難を強要されている方々は、その恐ろしさを実感されていることであろう。原子力関係者はその危険を理解しており、だからこそ各電力会社は、原発立地に多大な補助金を出して説得してきたのである。私も環境問題としてある原発反対運動に参加したことが有るが、十分理論の理解できない住民にお金で物事を解決して行く態度が鮮明であった。

 放射能は、自然状態であれば地球上には、一定の量以上になることは無い。今までにもいろいろな地球上のイベントが有って、放射能量が増えた時代が有ったことは想像される。しかし、原子力発電は、それ以上に地球上に放射能をばらまくことになる。炭酸ガスの汚染が、最初はあまり問題にならなかった様に、放射能も少ないうちは大きな問題にはならない。しかし、量が増大すると生物の進化に問題が起きることは明らかである。遺伝子の中のDNAを構成している4つの塩基を繋いでいる結合は、放射能が通過することによって切断されることが知られている。この結合が切られることによって、遺伝子は以前の状態とは異なった遺伝情報を伝える。癌細胞なども、放射能によっても引き起こされることが知られている。私が35年ぐらい前に勤めていた大阪市立大学医学部時代に、アメリカにおける疫学的研究では、がんを発見するためのレントゲン照射量によって引き起こされる癌の増加は、発見量とほぼ等しくなるという報告を出している。即ち、放射線によって発見される癌の量は、その放射線によって作られているというものである。地球上に降り注いだ放射能の量から、35億年の生命の変化を研究している人たちもいる。もし遺伝子の情報が急激に変化し始めると、生命はその変化について行けない可能性がある。この様な問題は、専門家の間では当然として理解されている事柄であるが、右肩上がりの経済成長を望むエネルギーの要求は、それらの事を隠蔽してきた。

著書を頂く 2

2011年05月30日 | 文化
著書を頂く 2 2011.5.30. 金森正臣

 タンザニアの首都ダルエスサラームに在住の根元利通さんから「タンザニアに生きるー内側から照らす国家と民衆の記録」(昭和堂)を送って頂いた。アフリカで調査をしていた頃に、良くお世話になった。車を預かってもらったり、首都に居る時にはアパートをお借りしたり、お宅でご馳走になったり。特に調査が終わって首都に出た時に、奥様の手料理の日本食は有難かった。根本さんは、多くの日本人の霊長類や文化人類学調査をサポートしておられて、思わぬ方と食事をご一緒したこともある。

 タンザニアに関わって35年になる彼は、タンザニアと日本を繋ぐことを考えておられ、タンザニアの音楽家ザウセを日本に呼んでコンサートを開くなどの交流活動も行っている。奥さまの金山麻美さんも、チビテ(親指ピアノ)を練習され、積極的にアフリカの文化の紹介をしておられる。また、ジャタツアーを言う旅行会社を運営し、タンザニアの田舎に滞在し生活を体験するプログラムなどを始め、若者たちが貴重な体験をしている。毎年、ジョージ・リランガ(マコンデ彫刻の作家で、版画も傑作が多い。故人になってしまった)の版画によるユニークなカレンダーを送って頂いている。この様にタンザニアの芸術家を育てる活動も行っておられ、真の支援とはこの様なものであろうと敬服している。

 根本さんの視点は、外部から見るのではなく、住民としての目線で書かれており、従来のアフリカ観とはかなり異なった印象を受ける。既にタンザニア生活35年を超える人ならではの、タンザニアの紹介である。我々は他国を理解する時に、時間が経つに従って異なった側面が見えてくる。歴史と深く関わっている事情については、理解に時間がかかることが多い。私もカンボジアの場合、数年が過ぎてからようやく分かり始めた感じが有った。

 自然環境と生活の関係も、簡単そうで意外に理解が難しい。文化あるいは生活のどの部分が、どこと関連して居るのか。また長期間における自然現象の変化は、捉えること自体に時間がかかる。菅平に暮らしていた13年間で、一度だけ遅い雪が有り、それが年輪に現れた。また志賀高原において、一度だけ林の中で猛烈な台風に直面した。ねじれても倒れないコメツガ、直ぐに折れるトドマツなど、樹種による違いを体験できた。風に対抗して幹がねじれても倒れなかったコメツガも、次に年には枯れてきた。皮と幹が離れてしまった様だ。タンザニアでも、年間降水量が倍にも半分にもなる年変化の大きさに驚くばかりであった。大陸では、普通のことであるらしい。

大泣き

2011年05月12日 | 文化
大泣き  2011.5.12.  金森正臣

 調査に出かけた時に、休んだ所で、子どもが大泣きしていた。よほど悲しかったのであろうか、カメラを向けても大泣きの続き。この年齢になると、多少は周囲を気にするが、よほど悲しかったのだろう。

 付近の子どもは知らん顔。きっとお母さんにでも怒られた理由が、周囲の子どもも納得していたのであろう。普通カンボジアの子どもは、誰かが泣き出すと、おせっかいなくらい世話を焼くのだが。

カンボジアの道の駅

2011年05月09日 | 文化
カンボジアの道の駅 2011.5.9.  金森正臣

 先週の末に、カンボジアの北西部の町バッタンバンに、柑橘類の調査に行った。その途中の町プルサットに、日本が作った「道の駅」が出来上がっていた。一応開業していたが、まだいろいろな物は揃っておらず、開店休業状態。ただしカンボジアとしては珍しく、綺麗なトイレを提供する休息所としては、立派に役割を果たしていた。

 建物は立派であるし、駐車場も広く、お土産売り場の場所も十分ではあるが、売るものが無い。以前これの建設を担当していた人から、何か良い特産品はありませんかと聞かれていたが、いかんせんプルサットは途中の町で、あまり特産品は無い。水田地帯で、昨年の雨季の終わりには、5千ヘクタールもの水田が冠水し、大被害を被った。その際に、国会議員さんに現地でお会いしたが、特産品は野菜とトンレサップ湖の魚とのことであった。野菜は、時間的に長持ちしないし、収穫できる時期が限られる。何故ならば、ほとんど天水に頼っているから、雨季が過ぎると出荷は難しい。トンレサップ湖の魚は、隣町のコンポンチュナンが有名で、市場に行くと開いた干し魚が、所狭ましと売られている。コンポンチュナンは、川沿いにあり定置網も多くあるので、なんといっても漁獲量が多い。プルサットは、湖が遠く、漁民よりも農民が多いので、やはりコンポンチュナンには太刀打ちできない。話は逸れるが、メコンやトンレサップ湖の魚は種類が多く、いまだ名前の無い種類も多い。毎年のように調査に来ていた鹿児島大学の助教授によると、1か所の定置網の魚を調べているだけで、1週間ぐらいで数種類の新種が出ると言う。

 ちょっと中途半端な場所に出来た「道の駅」は、プノンペンとバッタンバンの大きな町を勘案して、距離によって決められたようだ。水田地帯の真ん中にあるので、のんびりとウシが歩いていたりして、気分は良いのだが、レストランとしては、ハエが多くて落ち着いて居られない。物珍しさで寄ってみるお客さんが、ポツポツと居る程度で、閑散としている。これが立派に機能するまでには、時間がかかりそうだ。

 最近カンボジアでも、長距離バスが頻繁に往き来する様になってきている。プノンペンとバッタンバンは、大型バスで5時間余り。毎日10往復以上が動いている。各地にバスを当て込んだ、サービスエリア的レストランが増えており、競争が激しい。私設のレストランは、バスの運転手に食事や飲み物を提供し、サービスに勤めているので、これに対抗することは採算の面でもなかなか難しい。特に経営者が常駐していないと、カンボジア人のスタッフだけでは、競争の知恵は回らない。

乾期の終わりの結婚式

2011年04月29日 | 文化
乾期の終わりの結婚式 2011.4.29.  金森正臣

 うちのスタッフが、昨日(4月28日)結婚した。日本に留学して、日本語も流暢。英語も中国語も堪能だと言う才媛。旦那さんも日本留学生で、現在はカンボジアの技術工科大学で講師をしている。カンボジアでは、必ず結婚の儀式で、お坊さんを呼ぶので、「雨季の安居」に入ると結婚式が出来なくなる。乾期の終わりの今は、今結婚シーズンに結婚したい人の駆け込みが多い。カンボジアでは、結婚に付きものなのが占い。名前や年齢、生まれた日、相手の年齢などで占ってもらい、来年に延期する人もいるくらい。

 うちのスタッフも今年にする駆け込み組。朝のうちに家でお坊さんを呼んで儀式を済ませ、夕方から披露宴会場で友人たちを呼んで披露宴。カンボジアの披露宴は、何人来るか予想がつかない。招待状をたくさん出しても、返事をもらうことはしないから、本番が終わって初めて状況が分かる。

 披露宴が始まっても、直ぐにお客さんが揃うわけではない。開始時間から30分遅れぐらいで、ぼつぼつとお客さんが来始める。1-2時間遅れぐらいでお客さんのピークになる。早く来たお客さんは、既に帰っている場合もある。来た順に10人ぐらいが座れる丸テーブルに、係が誘導する。10人そろうとテーブルに、ご馳走や酒が運ばれて来て、テーブルごとに宴会が始まる。コース料理のように前菜やメインディッシュが運ばれ、最後はご飯類やデザートが出ると終わり。ビールやウイスキーは飲み放題。お客さんは帰りにご祝儀を、出口近くの係に置いて行く。

 今回の結婚式は、出席者は700人ぐらいもいたであろうか。広い会場で数えることは不可能。今回のお嫁さんの妹さんも日本留学組。既に同じ留学組と結婚しており、二人でいくつかの事業を行っている実業家。結構成功組の、上流社会の結婚式のように思えた。

事故のあった橋 

2011年02月17日 | 文化
事故のあった橋   2011.2.17.  金森正臣

 昨年の水祭りの最終日である11月22日に、カンボジアでは大きな事故が有った。祭りを締めくくるコンサートが終わったころに、橋の上で370人ぐらいの若者が将棋倒しになり亡くなった。この橋は、メコン川の分流であるバサック川の中島にかけられた橋で、コンサートはこの島で行われていた。

 そもそもこの中島は、数年前まで誰のものか分からない状態であったが、政府の高官が目を付け、奥さんが開発に関わって、新たな街を作り売り出していた。日本でも、信濃川の下流で、どこかの政治家が自分の土地として開発したことが有ったが、どこの国の政治家も同じような金儲けを企むものである。まだ完成していない状態であったが、かなり広い地域で、住宅や各種イベント会場、遊園地などが作られ始めていた。

 事故が有ったことで、中島は亡霊が出ると言う噂も立ち、嫌われ始めている。結婚式場も繁盛していたようであるが、事故後は誰も使っていない。このまま行くと、土地も建物も暴落する危険が有る。事故の調査もそこそこに、亡くなった方には見舞金が支払われ、調査は打ち切りになった。その後、直ぐに事故のあった橋のすぐ隣に、二つの橋を作り始めた(写真:奥に見える橋が事故のあった橋)。事故の反省から、一方通行にする予定だと言う。

橋が出来上がる頃には、皆少しずつ忘れて、土地も再び高値になって行くことであろう。 金持ちはますます金持ちになり、貧乏なものはいつまでたっても貧乏のまま。いかにも発展途上国を代表する橋の工事だ。