ホテイアオイの花 

ホテイアオイの花   2018.08.30.

我が家のかめのホテイアオイの花が咲いた。日本ではなかなか花を見かけないが、カンボジアではいつも普通に咲いている。

カンボジアでは、温度的にはいつでも咲くが、乾季になると水の面積が少なくなるので、花が少なくなる。市場には常に花の束が売られているが、乾季には量が減少する。
主に鍋物(スープチュナンダイ)に入れたりする具材として使われている。熱を加えてもあまりへたらず、茎の部分はシャリシャリと歯触りがある。

メコン川の周辺には、増水期にあふれ出した水が周辺に湖のようになり、ホテイアオイの畑のようになる。トンレサップ湖などでは、草丈が1メートルを超えており、超大型である。

同じようにスイレンの花の茎も、野菜として売られている。雨期になると、道端の水たまり(主に道路の修理のために土を取ったところ)や水田の脇などにスイレンが増える。その花の茎を採って、野菜として売っている。1-2センチぐらいの太さの茎で、長さは1-2メートルにもなる。30センチメートルぐらいに巻いて、売っている。中はレンコンのように幾つかの空洞になっている。外側の皮をフキのように剥いて、食用にする。徳島県から来たレンコン業者が(徳島県はレンコン生産量日本一だという)、姫レンコンだと言って喜んでいたが、多分スイレンの茎だとは思っていなかったようだ。
世界遺産のアンコールワットの池で、スイレンの茎を採っていたおばさんがいた。普段着のまま水に入り、底の方から茎を引き抜いているので、観光客はだれも気が付いていなかった。

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マンゴーに反応

マンゴーに反応  2013.9.15.   金森正臣

 帰国してしばらくして、スーパーに行った。いろいろな商品にマンゴーが入っていて、なんとなく反応してしまった。今でもマンゴーの味は大好きなのだが、やや飽きが来ていて、カンボジアにいる時には、ほとんどマンゴーに反応しなくなっていた。

 最初にマンゴーに出会ったのは、コロンビアの調査の時だったと思われる。スーパーで買ってきたマンゴーとチーズやハムで、ホテルで夕食にした覚えがある。地方に出ると、いたる所にマンゴーがなっていて、現地のガイドは勝手に取って私に食べろと渡してくれた。人のものを取っても良いのかといささか気になったが、調査基地になった小さな町では、公園でもマンゴーが沢山熟れて落ちており、乞食さえもマンゴーは相手にしなかった。私は、2-3拾って食べてみたが、完熟マンゴーの味は格別旨く、時々拾って食べていた。乾季がないコロンビアの低地の町は、一年中マンゴーがなっている様であった。

 アフリカでは、調査をいつも乾季にしていたので、マンゴーの花に出会う程度で、ほとんど食べることはできなかった。乾季が終わり1-2ケ月経たないとマンゴーは熟してこない。カンボジアに行ってしばらくは、マンゴーを良く買って食べていた。以前のブログにも、朝食にマンゴーを食べている写真を載せたことが有る(写真1:マンゴーの朝食,2006年頃)。市場でもよく写真を撮っていた(写真2:市場にて、2006年頃。アップルマンゴー)。しかし数年が過ぎると、あまりマンゴーに反応しなくなった。地方に出たときに、1ドル買って、多すぎて困ったり(大きなのが10個も来たことが有る)、毎年もらうカウンターパートの家のマンゴーが多すぎたりして困っていた。

 帰国してスーパーでマンゴーの入った食品を見ると、なんとなく反応して買ってしまう。カンボジアでは、マンゴーの品質が安定せず、加工がなかなか難しい。マンゴーピューレやペーストにすると、輸出が可能であると思われるが、品質の問題のクリアーが難しい。自家用で使う分には問題がないのだが。


写真1:マンゴーの朝食。マンゴー、パパイア、スイカ、日本からの栗羊羹。
写真2:市場で見かけたマンゴー。アップルマンゴーも時々ある。
写真3:市場にて。2004年。
写真4:マンゴー味のコンニャク。低カロリー食品?
写真5:マンゴーのカルピス味のジュース
写真6:マンゴーとリンゴのジュース

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アボガド

アボガド   2013.5.29.  金森正臣

 アボガドに最初に出会ったのは、1985年5月のことである。場所は南米の、コロンビア。首都のサンタフェボゴタの市場に行った時である。大柄な混血のおばさんが、市場で売りながら、塩を付けて齧っていた。初めて見る果物に、挑戦して見たかったが、その時は食べられず、後日料理に出て来たのを食べた。この市場では幾つかの思い出がある。無茶苦茶辛い、マーブルチョコレイトの様な扁平・黄色・緑色などの唐辛子。笊に乗っているのを触ったら、手が熱くなった。小さなジャガイモ。ジャガイモの品種が多く、小さな物もいくつか有ったが、味が良いから無くならないと言っていた。日本なら手数がかかるので、直ぐに無くなりそうな品種だ。丸ごと空揚げにしていて、新聞紙に包んでもらって塩を振りかけ、歩きながら食べた。

 カンボジアでもベトナムとの国境の山側に行くと、アボガドが普通に家の庭でなっている。まるで日本でウメの木が有る様に、当たり前の風景である。アボガドは、かなり良くなる果物で、枝がしなるほどなっている。アフリカの調査のころに、アボガド好きが居り、市場に売っていると何時も買っていた。アフリカのものは、大きくて食べるところが沢山あった。カンボジアのものは小ぶりが多く、食べやすい。カンボジアの大きなものは、中身があまり良くないことが多い。大きい品種ではないように思われる。

 アボガドをどの様に食べるのかは、人によって異なる。日本では、マヨネーズと混ぜてドレッシングにしたものを学生から教えてもらったが、今までで一番美味しいと思っている。寿司にも良く使われているが、巻き寿司などでは何だか存在感が薄い。私はカンボジアでは、半分に切ってスプーンですくいながら、パンなどに載せて食べている。一番手抜きの様に思う。でも一緒に生ハムなどを乗せると、結構美味い。朝の忙しい時には助かる。

 アボガドは、収穫して直ぐは結構硬くて味が出ていない。数日置いて、ヘタの部分が直ぐに取れるぐらいになったところが旨い。また皮が簡単に剝けるくらいになっていると旨い。日本のスーパーなどに売っている物を見ると、大体この状態になっている。原産地では、とれたても売っているので、見分ける目が必要になる。


写真1:町の家の庭で見かけたアボガド

写真2:アボガドは、良く実をつける果物だ

写真3:ホテルの庭になっていたアボガド。枝が重さでたわんで居た。
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手延べラーメン

  手延べラーメン  2013.5.23.  金森正臣

 カンボジアには、昔から中国文化が流れ込んでいたと思われる。地図を広げて見ると、中国から海岸沿いに南に移動すると、ベトナムを経てメコン川の川口に出る。大河であるから、川口から奥を探ると、そのままカンボジアに上がってくる。
以前は、メコン川の川口までカンボジアであったから(現在はベトナム領)、特に国の境ははっきりしなかったであろう。それよりも、カンボジアやベトナムの国が成立する以前から、中国文化は流れ込んで来ていたと思われる。

 カンボジア料理の様式を見ると、調理の基本は中国式で、煮込みや炒め物が必ず加わる。
もっとも地方の貧しい農民や漁民は、町で食べる料理と異なり、ご飯に塩漬け魚や炭火で焼いた魚・肉などで、アフリカの焼く調理文化に近い。タイやベトナムと共通の調理文化を持っていることは、多分ずっと昔に、中国人が沿岸沿いに移動して来たことに起源が有るのであろう。

 名字を聞くと明らかに中国名であるが、本人たちは出自が中国だとは認識していない人も多い。この様な現象は、少なくとも数代にわたって、カンボジアに住んでおり、自分の出身が中国であることを確認できなくなっているのであろう。それでも、純粋なクメール人の家庭とは、行事や子どもの躾が異なっていることが多い。

 最近移動して来た中国人(華僑と認識している人たちもいる)のレストランでは、手延べラーメンが良く見られる。カンボジアの人たちは、当たり前のように思っているが、日本であったらこれだけで、店が繁盛すること間違えなし。店頭で青年が麺を注文ごとに伸ばしている様は、なかなか見応えがある。
手延べの他には、刀削り麺もある。でもカンボジアに来ている中華料理は、基本的に庶民料理で、宮廷料理などの高級料理はほとんど来ていない。
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アオビユ

アオビユ   2013.5.15.   金森正臣

 熱帯では、アオビユは普通に雑草として見られる。原産地は、熱帯アメリカであると言うが、どの辺かはっきりしない。
カンボジアでは、ここ2-3年市場で野菜として売っている。まだ花の咲かない茎と葉が、揃えて摘まれて並んでいる。中には道端で採ったのか、茎も揃っていないし、硬いものが含まれている物もある。
 東アフリカのタンザニアでは、普通の野菜で、「ムチィチャ」と呼ばれていた。いつも乾季に出かけて行くので、あまり青い葉物の野菜は無く、青いのはムチィチャぐらいであった。首都のダルエスサラームでは、道路わきの水道の漏れた水を使って、チャッカリ栽培をしている人がいて、勤め帰りの市民に売りさばいていた。同じように白菜なども作っているが(日本の様に葉が巻いているわけではなく、コマツナやホウレンソウの様に葉は独立している)、かなり硬いのでいつもムチチャを買っていた。

 カンボジアに来て間もなく、道路脇や植木鉢の中に、アオビユ(ムチィチャ)が有るのを見たが、野菜として売られているのは見かけなかった。最近になって、良く市場で見かけるようになった。多分どこかで野菜として使うことが入って来て、売れるようになって栽培もされるようになったのであろう。カンボジア人のスタッフに聞いても、この野菜を知っている人は少ない。

 アオビユは、かなり個性の強い野菜で、茹でて水にさらしてアクを抜く。その後に、酢の入ったドレッシングを使うか、胡麻和えなどにすると、美味しく食べられる。インターネットで調べてみても、日本でも野菜としては認知されていない様で、農研機構などで、アオビユ(ホナガイヌビユ)Amaranthaus viridis L.として雑草扱いである。また他の研究機関にも、飼料畑の邪魔な雑草として紹介されている。かなり栄養が有りそうであるが、成分はどこでも探せなかった。成長は早い様であるし、日本でも年間2回ぐらい世代が交代している様であるから、野菜としても有望と思われるが、全く使われていない様である。日本の自宅近くでも散歩道の脇で、良く見かける。ちなみに熱帯では、水分さえあればいつでも生育する(タンザニアなど)、有用な野菜である。

写真:1、市場で売られているアオビユ(中央)。手前はウリ科のツル。野菜として食べる。
写真:2、ビルの前の植え込みに生えていたアオビユ。
写真:3、ホテルの庭の端に生えていたアオビユ。
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危険な食べ物

危険な食べ物  2012.1.25. 金森正臣

 久しぶりに国道一号線に沿って、ベトナム方面に向かった。目的地はベトナムに隣接したスバイリエン州の首都、スバイリエン。国境からは40分ぐらいの場所になる。平坦地の真ん中で、見渡す限りの田んぼの中を走る。すでに乾季に入っているが、所々でポンプを使って地下水を水揚げし、二期作が始まっている。

 プノンペンから国道一号線は、メコン川に沿って下降し、一時間ほどでメコンを渡る。ここには日本の援助で、橋を架ける工事が始まっているが、完成は2015年ごろであろうか。渡しの両側には、フェリー待ちの車が待機している。当然その人たちを目当てにした、商売人がたむろしている。川の岸であるから、売り物の一つに写真の「シジミ」がある。

 このシジミは、生ではないのだが、十分に料理されているわけではない。写真でも分かるように、貝の殻は閉じていて開いていない。水から揚げられた貝は、簡単に湯通しされるだけで、ほとんど生の状態である。塩をまぶして、戸板のようなトタンの上に乗せられて、天日干しにされながら売られている。貝殻をこじ開けると、中はほとんど刺身状態で滅菌は進んでいない。確かに貝は、火をあまり通さない方が、柔らかいし味が良い。日本でのシジミの味噌汁は、結構火が通っており、貝は死んで殻の口は開いている。

 しかし、メコン川から上がった水を十分殺菌しないで飲んでいるような趣があり、肝炎やコレラになる可能性はありそうだ。以前に、カウンターパートがシジミを調理してくれた時にも、タッパにシジミを沢山入れ、熱湯を注いだだけで20分ぐらい置いて食べて良いと言う。食べると確かに美味いのだが、一抹の不安はあった。戸板の上に載っていたシジミも買ってきてくれたことがあり、食べてみたが確かに美味しかった。唐辛子をまぶしてあるものもあり、食べるときにどこかで唐辛子が混じって(殻の中には味は浸み込んでいない)、異なった旨味があった。もう数年したが、いまだに異常はないから、まあ大丈夫なのかな?
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うどん三昧

うどん三昧   2010.10.2.  金森正臣

 先日、香川大学の農学部に、カンボジアの大学の農学部支援をお願いしに伺った。30年ぐらい前に、高松に行ったことが有るが久しぶりである。高松と言えば、讃岐うどん。行く前から楽しみで、やはり日本の秋はうどんだろうと勝手に決めていた。

 昼少し過ぎに高松に着いて、まずは昼食にうどんを探す。駅前で今夜のホテルを確かめ、うろうろするとさすが高松、うどん屋が数件ある。どうしたものかと迷ったが、通りかかった中年のご婦人に、どこのうどん屋がお勧めか伺ってみた。ご親切に見えるところまで行ってくださって、あのコンビニの隣の店が良いと言う。チエン店であるが、と言うことであったが、さっそく行ってみる。半分セルフサービスで、注文して作ってもらった上に各種トッピングは勝手に乗せて、会計。何と300円程度。食べてみると確かに美味い。

 その後農学部長さんといろいろ話し込む。7時ごろになって夕食となり、副学長さんや農学部長さんの案内で街に繰り出す。高松の町には、アーケード通りが広い範囲にあり、飲み屋の多さにびっくり。生簀のある料理屋さんで、ビールを飲みながら素晴らしい海の幸を堪能。町のすぐ前が海であるから、名古屋あたりの生簀とは異なり、魚も疲れていない。イセエビやハマチ、トビウオにサワラなど珍しい瀬戸内の魚を楽しむ。更に兜炊きなどで満腹。

 飲んだ後は、高松ではうどんで締めると言う。高松でも有名な店で、釜揚げうどんをいただく。讃岐では、うどんは別腹と言う。その際色々な話が出て、香川が一番高血圧の率が高いと言う。原因は、釜揚げうどんの塩分。水で洗うと塩分は少なくなるが、味が変わると言う。でも釜揚げはやはり美味い。香川では小麦の栽培が少なく、年間4000トン程度。実際に使うメリケン粉は、40000トンも使っており、自給率が低いそうだ。さすが農学部の先生達で、いろいろな話が聞ける。次の朝は、ホテルから散歩に出て、また昨日の昼の店で、うどんを食べる。ついでに名古屋に午後2時ころに帰り着き、新幹線側の地下街のいつもの店で、キシメン。写真は、その時の描き揚げキシメン。でも値段は、讃岐の倍以上にちょっとびっくり。次の人生は、やはり讃岐がいいかな。
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茹で卵

茹で卵   2010.2.27. 金森正臣

 前回、「正臣会」のお礼と共に、年を重ねることにより、色々と思い出や考えることが多くなり、年をとるのも良いものだと云う事を書きました。会の折に、卒業生のある方から「ウコッケイ」の卵を頂きました。写真の様に右手の通常の卵よりやや小さいようですが、味はなかなかしっかりしておいしい卵です。

 私は小さいときには卵が大好きで、母親と旅行するときには、いつも茹で卵を楽しみにしていました。大戦後の直ぐには、卵は貴重品で、病気の時か、何か特別な時でないとなかなか食べられませんでした。大学を卒業して直ぐに、山の中の実験所の助手になり、人里を離れたところで生活することになりました。このころには東京オリンピックが開かれる頃で、日本も景気が良くなり、卵は普通の食材になっていました。店まで4kmもあり、買い物も不便な実験所は、賄いのおばさんが、朝食は毎日、卵に海苔と沢庵で、2年間したら、すっかり卵が食べられなくなっていました。

 結婚して20年ほどして、卵も普通に食べられるようになりましたが、頂いた卵を見ていて、突然小さかったころのことを思い出して、カンボジアに行くときには、茹で卵にして持ってゆくことを思いつきました。それと同時に、小さかったころに母親にわがままを言って困らせたことを思い出し、なんとも申し訳なかったと思いました。

 男は、いや人は、幾つになっても、母親に助けられて生きています。薬師寺の管長をされていた高田好胤師に、「母」と言う講演テープがあります。高田さんは貧しい家に生まれで、母親とは5歳の時までしか一緒にいられなかったようです。70歳を過ぎたころの公演ですが、今でも母親に後押しされて、修業をしているとしみじみと語っておられます。また、頓知の一休さんのモデルで有名な、一休宗純和尚の句に、「おんなおば、法の御蔵というぞげに、釈迦も達磨もひょいと生み出す」と言うのがあります。すべてのことは、女の人から始まる、母親が原点だと云うのです。卵を見ながら、色々な感慨に浸りました。

 年をとることはなかなか楽しいものですが、体力はだんだん無くなり、ゆっくりやるしかなくなります。ちょっと困ったものです。忙しくなると、つい書く間隔が空いてしまいます。カンボジアの教育支援が、軌道に乗り始め、今までの人生で2度目の忙しさです。
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大家さんからのプレゼント  

大家さんからのプレゼント  2009/12/30  金森正臣

 今朝、キッチンに上ったら、大家さんからのプレゼントが置いてあった(写真)。我が家は、日本流に言えば、大家さんが1階にいて、2階をわたくしが借りていて、3階(実際には建物の屋上)に、プレハブのようなキッチンがある。屋上は、大部分にトタン屋根が付いているが、一部は雨ざらし。その部分にはいろいろと鉢植えが置いてある。カンボジアの階の数え方は、グランドフローワーがあってから、その上(日本の2階部分)が1階になるから、日本とは数字が1つづれる。

 かれこれ2週間ぐらい前から、駐車場の隅に、割れて使えなくなった青い洗面器様プラスチック容器に土が入れられ、さまざまな植物が挿し木されていたのは知っていた。今朝、キッチンに上がってみたら、その容器が置いてあった。挿してある植物は、右手に最も多いのがシソ科の香草、ノコギリコリアンダー(ドクダミに近い香り)、ネギ、ドクダミ、ハッカなど7種ほど。

 以前にもノコギリコリアンダーの鉢植えをもらったことがあって、時々摘まんで食べていた。この草を食べていると、匂いがするのでカに刺されないと、カンボジア人は信じている。ノコギリコリアンダーもドクダミも、かなり強い匂いで、日本人はちょっと敬遠する傾向にある。しかし玉ねぎのスライスや甘酢とよく合い、慣れると時々楽しみたくなる。日本に送った留学生たちに、大学にあるドクダミの生育場所を教えたら、彼らは大いに喜んでいた。小さい時から親しんでいる香りは、異国の日本に行って安らぎを与えるものであったろう。

 きっと2週間もすると、植物がよく伸びて、時々摘まんで食べられるようになる。料理した時に、ちょっと香草があると、ずいぶん楽しむことができる。大家さんの心使いが、嬉しい年末になった。


 来年が皆様にとりまして、良い年でありますように!
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ある朝の朝食

ある朝の朝食  2009.10.9.  金森正臣

 最近基金の仕事が始り、朝の時間がなくなってきた。散歩の帰りに、市場によって、蒸かしサツマイモと里芋を買ってきた。こうすると随分と時間の節約になる。今日の朝食は、右の手前の容器のオレンジ色のパパイアにライムをかけたもの。右上は、バナナ、マンゴー半分、アボガド半分。左手のコップは、パイナップルとパッションフルーツなど混合のジュース。サトイモは、見た目には日本と同じだが、全く粘りがないところは日本産と異なる。ヤマイモは、日本産よりはるかに粘りがあるのに、ちょっと残念。ビタミンや糖分、繊維は十分だが、タンパク質が足りないかな。

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