40代で障害者となり、不自由な生活を強いられた母、父亡き後、長年1人の生活を頑張ってきた。高齢な上に車椅子での生活を続行することが困難になり、入院生活を余儀なくされた。心なしか体も小さくなり子供のように身を委ね質問してくる。そんな時「大丈夫だよ。お母さん、心配しないで」と答えるのが口癖。花好きの母を外に連れ出しランチを食べ、他愛もない会話に笑って帰るのが常である。親子が逆転したかのような関係を楽しむことでストレスも軽減し続けられた。母が祖母を見舞ったように、いつしか私も同様なことをしている。
鹿屋市 中鶴裕子 2013/3/20 毎日新聞鹿児島版掲載
鹿屋市 中鶴裕子 2013/3/20 毎日新聞鹿児島版掲載