私が結婚したのは昭和29年。夫も仕事を始めて間がなく家計のやり繰りは厳しかった。そんな折に沖縄から時々米軍の缶詰が送られてきた。けげんに思って夫に尋ねた。戦時中沖縄から一家で疎開してきた方に実家の倉を貸してあげたが、食糧難だけはどうしようもなかった。戦争が終わって沖縄に帰られてから内地の人もいまだ困っているだろうと心配してくれてとのこと。「沖縄の人は義理堅いからなあ」と言った。私は戦後の沖縄を全く知らなかったし、いまだ世間知らずでその方がどんな苦労をして送って下さったかを思い至ることができなかった。
熊本市中央区 増永陽(88) 2019/4/29 毎日新聞鹿児島版掲載
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