JA8MEMのつれづれ日誌

趣味のアマチュア無線での出会いやカメラ片手の散策の出来事を写真とともに綴るブログです。

深まりゆく秋.....

2008-10-21 23:39:26 | 乙部町・厚沢部町
 今朝は少しだけひんやり感を覚えた。しかし、例年に比べるとまだまだ暖かい。ところが、天気予報では今週末に「雨」、雨が上がった来週からは一気に寒さが押し寄せてくるそうだ.....、当たるかな?

 せたな町への所用があり、熊石経由で車を走らせた。何のことはない、先日知人から「厚沢部町共和山中の紅葉も綺麗だよ。」との話を聞いて、それほど遠回りにならないので通ってみよう...、ということ。


 話の通り素晴らしい紅葉を眺めさせてもらった。時間があれば、コーヒーでもすすりながらもう少しのんびりしたいところだが....。この道路は厚沢部町鶉から清水に抜ける農業用道路で、もちろん舗装はされているが車の通行はほとんどなく、この日も途中2,3台とすれちがった程度だ。少し道草をしたので、ちょっぴりスピードを上げて目的地へ急ごう....。


 ところで、中山峠を登る途中に小さな滝がある。滝の名前も知らなかったが、「出会いの滝」というそうで、幅7m、高さ12mで水量も多く年中枯れることもない。いつもは木の葉に隠れ滝の流を見ることは難しいのだが、さすがに秋も深まって木の葉も落ち流も顔を出している。

 これまで気が付かなかったが、道路沿いに滝のいわれを知らせる旧大野町教育委員会が設置した看板があった。
 「この道路は安政元年(1854)に開削され、初めて挑んだのは市渡大悲庵(円通寺の前名)の庵主道仙で、木間内の旅籠屋の主人長吉と話し合い、小滝の沢で落ち合う約束で、中山峠をはさみ東と西から工事を始めたところから“出会いの滝”とも言われている。市渡の檀家の人々が参加したが、資金難と人手不足のため残念ながら途中で挫折してしまった。」

 当時から函館と江差を結ぶ重要な道路であったこともあり、その後安政5年(1858)に鈴鹿甚右衛門らが総工費800両(現在の金額で2億4千万円)で完成させたとのこと。

コメント
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