成績の下位者アップ?

2008-03-19 11:05:16 | 塾あれこれ
下を上げれば、という話はどうでしょう。

これもA(上をあげれば)と同じで根拠はありません。
A,Bともに完全に関係がないとは言えないでしょうが
関連性は薄いと思います。
風が吹けば桶屋が儲かる、程度の薄い関連ではない
でしょうか。
何らかの関連がある、というよりムリヤリ関連付ける
という感覚です。

下を上げれば全体の学力があがるのであれば
「ゆとり教育」で良い結果が出ているはずです。

Bの下位者を上げれば、も成り立ちません。


下位者を上げるのは難しい、力の要ることです。
また目立たないことでもあります。
30点の子を1割引き上げても33点
90点の子なら1割で99点になるのですから。

視点を少し変えます。
教える側の心理としてはどうでしょう。

下の子が気になりますよね。
できる子は放って置いても何とかなりそうですが
できない子はそうはいきません。

生徒本人の心理にも気を配らねばなりません。
できない子は次第に悪い方の「そのつもり」に
なっているのです。
自己規定だけではなくて周りもそう見るのです。

ですから、教える人間はみな「究極の選択」を
言われれば出来ない方に顔を向けるでしょう。

シツコイですがこんな選択は拒否して両方に
顔を向けるのが本来です。

とはいえ、下の子を伸ばすうまい方法がない
ので悩みは深いですね。

訓練だけで反射的な能力を高め、とりあえず
点をあげるやり方は以前から流行っています。
最近では「脳」のなんとか分野活性などと謳う
ものもありますね。

でも、たとえば計算はできても意味が分かっていない
子も多いのです。
訓練と勉強のバランスが悪いのでしょう。

このバランスがどうあるべきか、
人により違うので難しいのですね。

時間や個人の成長にも関係します。

一斉授業をしながらできない子を苦しめていないか?
あとで補習すればよい?
・・なんて神経の持ち主でしょうかねえ。


進学塾に勤めていた頃は
点が出ない子には冷たい視線になりがちでした。

「これだけ教えているのに・・」
金儲け的にもいい話は少ないしね。
こおような恥ずべき次第でした。

ばらばらの話になってきました。

NHKでした。
2択はこの場合成り立たないということです。

答えが無い2択を迫られたのに回答拒否は無かった
ようです。
放送されなかっただけか・・

上を伸ばせば下が伸びる?

2008-03-18 10:25:42 | 塾あれこれ
前回は、上を伸ばせば全体の学力が上がるという話は
保証があるものではないと言ったツモリでしたが
急いで書いてハッキリとしていませんでしたね。

もちろん、上を伸ばすことをしないなどという
ものではありません。
どんどんと伸ばしましょう。

ただ、上を伸ばす理由付けに、下も伸びるなんて
言うから???と思うのです。
まさか平均点が良くなるという話ではないでしょう。
(ジョーダンです)

今の日本の公教育は上を伸ばすことにあまり努力を
していないのは事実でしょう。
悪平等ですね。

日本の国家設計などを持ち出さなくても、伸びる子を
伸ばしてやるのも人間として当然です。
(宣伝ですが個別は思い切り伸ばせますよ)

一部の学校の先生に上記とまったく違う感覚がある事は
たいへんに残念です。

上を伸ばしたいといっても和田中の校長が仰っている事
は説得力に欠けます。
もちろん彼の話の中におかしいところがある「から」
その教育が間違った方を向いているともいえませんが。

行おうとしていることが正しいと思うならば
妙な理屈や言訳は逆効果と考えますが、いかが?

ではBの下を伸ばすはどうでしょう。
難しいし、やりがいのあることですよね。

             TO BE CONTINUED

二択を迫るな

2008-03-17 10:56:30 | 塾あれこれ
TVは2択がお好きですね。

アナタは犬派?ネコ派? みたいにね。

何かを考えるときに古来から存在する2分法は
たしかに簡便でよいものです。
加藤周一先生など未だにAorBばかりでしょ?

通常はボタンなど持たされてABどちらかと強制され
るわけですが、本来はABともに○、あるいは共に×
それにAかB片方と4種類の答えが考えられます。

3択になると8種類の答えになるので比較しづらく
なり、2択を採用されるのでしょう。

Aは○でBはその半分などといい始めると
キリがありませんのでそれは除外しましょう。

ただ実は
2択でも上記4つ以外にもう一つ選択肢があります。
論理学では習わないかも。

それは回答拒否、あるいは無視。
なぜネコかイヌかを聞かれるのか?
なぜ答えを強制されるのか・・

究極の選択というのに安易に乗っかると危ないので
回答拒否も重要な選択肢です。


先のNHKの「学力」番組でも2択が登場しました。

(近年NHKが民放のマネをしてなおかつ面白くない
 番組を作るので、金を返せと言いたい)

で、2択とは
A学力を伸ばすには上(できる子)を引張るのがよい
B学力を伸ばすには下を引き上げるのがよい

あなたはABどちらだと思いますか,という物です。

和田中の校長はAを考えて塾に頼んだのですね。
(Bも併行してやっているそうです)

Aを考えても、塾に結びつくかどうかは別モノですが
それはさておきAそのものが成り立つか。

データがあるとか仰っていましたが、部分的なもの
でしょう。
本当にそれを証明しているとは思えません。

証明されていたら少なくとも私立の学校はみな採用し
立派な結果を残しているはずですから。

上が伸びる「から」彼らが下を教えて引っ張ってくれる
などという話をされる人もいます。
これも証明はない話ですね。

塾が上を伸ばすのならば学校は今のままで構いません。
塾で伸びた力を学校で発揮するな、なんていう塾は
ありませんからね。
現実に、塾に通っている生徒は学校で教えています。
ですからその意味では学校で塾というのは意味不明。

学校と塾が違うことを教えるので生徒が混乱する、と
ずいぶん古風な話をする人がいます。
が、少なくとも今の時代にそんな事をする塾があろう
とは思えません。
混乱して伸びなければ塾にも撥ねかえるのですから。

(時間切れです、スミマセン)

ちりとてちん

2008-03-16 10:28:14 | 塾あれこれ
和田中に触れぬままですが明日に回します。

もうすぐ終わるので朝ドラを書いておきたく
『ちりとてちん』

視聴率が良いようですね。
脚本がよく練ってあります。相当力が入ってますね。
話の組み立てを細かく考えているようです。
だらだらと書き続けてはこうはいかないでしょう。
頭がよい方ですね。

もちろん朝ドラですから軽く流してあります。
立ち聞きでスジを進めるとか手抜きも見えますが
全体としては近年にない出来と思います。

『芋たこなんきん』とは違うスゴサがありますね。

けれども
視聴率を考えてか主人公若狭の福井訛がとれないのは
いただけません。
地元に帰るなどした時は別です、
大阪で暮らしていていつまでナマってますの?

言葉をナリワイとする者がそれではダメです。
普段から上方落語を喋るものとしての言葉遣いが
必要なのです。心遣いでもあります。
言葉は文化ですから大切にして欲しいですね。

昨年、4.17に先代正蔵の言葉に対する姿勢に
触れていますが、日常での細かな所にも気をつけて
おかねばならないのです。

「お箸」「おにぎり」・・とんでもない。

言葉が自分の身について初めて噺に説得力が
生まれますから。


唐突ですが
私たちの仕事に関して言えば、方言で話をしなければ
力はでません。

ということは日ごろから方言を使っていなければなら
ないのです。

余所行きで共通語を話しますから面倒ですけれど。
かなり意識して方言を使います。
子供相手には言わないものでもね。
「なめる」ではなく「ねぶる」
「難しい」は「いたしい」「やねこい」


幼稚園くらいの子供に父親が「ここで食べようか」
子供「いいよ」

通りかかった私はそれを聞いて驚いた。

なんていう教育をしてるのでしょう。
小さなうちに言葉を教えねばなりません。

「いいよ、じゃなくてハイというの」

小さなことから文化は崩れるのです。
近頃の大人は言葉を教えないのかなあ。


よく見る光景に子供が親を「えい」とか言って
蹴ったりしています。
結構強くしていてお父さんが「痛い」

これも不愉快ですね。
言葉じゃないけれど。教育が・・

自分の子供だからよいとおっしゃるのでしょうか?

数千年続いた教育法

2008-03-15 10:07:35 | 塾あれこれ
経済学と教育学は共に理論倒れではないでしょうか。
機能していませんよね。
教育では「学力」という定義の共通理解すらあやしく
教育論議が混乱している一因です。

学校教育での右往左往のツケは生徒に、ひいては社会
に回ってきます。
けれども役人の責任は辞めることではないそうです。
新しいものを採用して次の仕事が可能です。
ゴキブリと役人はしぶといものらしいですねえ。

バタバタして良いわけは無い、とは誰でも気づく事で
すが、いつまでも直らないのは結局・・誰のセイ?

教育も「民営化」が必要かもしれませんね。

昨日は「緊急の秋こそ抜本改革」とアイロニックな
言い方をしました。
それは塾という存在が可塑性が高いから、学校を
待たなくても取敢えず対応できるからでもあります。

次いで学校が抜本改革をすればよろしい。
すでに文科省では検討だけならかなり突っ込んだこと
を考えているのではありませんか?
実現が大変だから動けずにいるのです。

もし学校がとてもよいものに変身し塾の存在価値が
なくなる時代がくるとしてもそれはやむを得ません。

『大寺学校』のように消えてゆけばよいのです。
新見南吉には『おじいさんのランプ』という作品も
ありましたね。


さて私の考えは「寺子屋に戻れ」です。
何よりも数千年かけて磨かれた教育法であり
効果は時間による検証を受けているのです。

「信念」で思いつきの教育法を掲げ右往左往するより
よほど安定した教育システムです。

古臭いものを持ち出して、と思われますか?

教育の重要性は現代よりも昔の方が高かったのです。
その時代の教育は切実かつ真剣でした。
自分たちが年をとればあとは子供や孫に養ってもらう
必要があるのです。

無責任な役人の居場所はありません。

改めて教育権が誰にあるのか確認しましょう。
親にあって、決して役人にではありません。

教育が右往左往を繰り返し深刻ぶっては責任転嫁

2008-03-14 10:00:31 | 塾あれこれ
昨日はさすがに落ち着きませんでした。
みんな最終的な第一志望に受かってくれました。
とりあえず一年終わりましたね。


さて一昨日の続き。
NHKの先の番組については後ほど触れるとして
まず
「では現状で良いというのか」について。

例によってまず一般論から始めましょう。
(生徒ならここで「え~!!」)

現状がうまく行っていないからといって
闇雲に別を、というのは効率が良くありません。

まず現状を分析しなければいけません。
同じテツを踏まぬようにしなければ。

何をどのようにしてきたか
何がよくないか
何をできなかったか、していないか。

急がば回れといいます。
考えが不十分なまま「新しい試み」をしてみるから
右往左往になるのです。
新しいと思っていても同じ穴のナントヤラなんて
こともよくあるようです。

ゆとり教育への切り替えも
そこからの修正も
わーわーと騒いでいるだけに聞こえます。
「大変だ、急げ!」


分析には時間もかかることでしょう。
けれど、今目の前にいる子をどうするという課題は
緊急を要しますね。

緊急だから修正をしてみるというのは愚策です。
兵力の逐次投入のようなものですから。
急ぎならば抜本的な変革をしなければなりません。
微調整ならやらない方がましです。
(明らかなミスの修正は別ですが)

現在の学校教育が抱える問題や生徒の「学力低下」
これらに直ぐ効く特効薬は学校にはありません。
積年の弊ですから。

百年以上も前の方向付けに問題があったのですが
現代になって問題が深刻になってきたのです。


救いは「全く違うシステム」にあります。
つまり塾での教育です。
(大きく出ましたね)

ただし受験請負専門業ではダメでしょう。
傾向と対策しか能が無いのですから。
(しかし、CMで流すことかねえ・・)

学校の授業をコピーするだけの塾もダメでしょう。

話がデカくなりすぎてしまいました。
突然そんな話を持ち出しても説得力がないですか?

明日はより具体的な話をします。
下手な話ですが多少はご理解いただけると思います。
諦めないでお付き合い下さいますようお願いします。

和田中の試みはどうか

2008-03-12 10:09:14 | 塾あれこれ
珍しく塾のブログらしいことを書きます。

そもそも名前を出すブログはコンプライアンスの
関係もあり、自塾の話ができません。
そうでない一般論は書いてもつまらないし。

それで通常は塾の仕事の周辺ばかりを書いていますが
教育の考えがないと誤解を受けないように
たまにはマジメに書いてみますね。


先週の土曜日にNHKが教育に関する特番を放映して
いました。生放送。
途中から見たのですが、例によってあまりにヒドク
塾の側からひとこと述べたくなりました。

それぞれの方のご意見、とかいってNHKは逃げる
でしょうけれど、責任はありますよ!


現在、塾の仕事がらみでム?と思うのが東京の和田中
の試みです。
塾の力を借りようという話に塾の側からイチャモンを
言いづらいですけれども。

和田中の取り組みを評価する場合
新しいことに取り組むのはよいことだ、という意見が
あります。
これは???ですよね。

現在学力において困っている状況にあるから、打開
するための挑戦は何はともあれ良いことだ、
という考えです。

これは無条件に良しとできる話でしょうか?
私は違うと思います。

挑戦とは確かに耳に入りやすいものです。
でもリスクに言及が無いことがウサンクサイ。

そのチャレンジが子供にとってはたして良いことか
保証はないのです。
部分的なデータは上げておられましたが、都合のよい
ところを言われているようでしたね。


信念はあるでしょう。モチロン。
でもそれは保証にはなりません。
失敗した多くのケースは信念を持って行われています
から。
ゆとり教育でも「信念」はあった。


現在、閉塞しているからとりあえず何でもよい
とは言えません。
自分自身のことならば保証が無くてもおやりになって
構わないでしょう。

けれども、教育は他人に影響を与えることです。
子供が実験台にされるオソレがあります。

そういうことに言及しないからアヤシ~
万一思い至らないのであればアブナイ!

一人ひとりの子供にとってはたった一度の人生です。
その大事な時期、保証の少ないことにチャレンジさせ
られては堪りません。

高校受験だって人生の岐路になりうることです。

もちろん、取り返しのつく失敗も多いのですが、
そうでない場合のリスクも考えねばならないのです。


学校の先生だってしょせん他人です。
根拠が無いことを教育で行ってはいけません。
他人が最後まで責任をとれますか?

さしせまった必要があって「塾を導入する」のか?
中学生に正確な判断を下せる説明があったのか。
部分的なデータではなかったのか。
必要以上の期待を抱かせることになっていないか。

気に入らなければ参加しなくて良い、だから構わない
というものではありません。
やはり公教育の場ですから。
学外の有志が行うとはいかにも言訳めいていました。


すぐに反論が出そうですね。

「では、あなたは現状でよいのか?」
「上手くいってないことを子供に押し付けるのか!」

これはとても短絡的な反応です。
明日続いて説明します。

ははは、キミ、それはないよ・・

2008-03-10 10:39:07 | 塾あれこれ
落ち目のところへ若い優秀な先生が辞めます。
その人の将来を考えると新たな人生設計もありうると
諦める校長ですが、辛いことです。


ある夜一人で晩酌を始めようとしているところへ
三津田健が訪ねてきます。
「ちょうど良い、一緒に飲(ヤ)りませんか」
遠慮するのを強引に付き合せます。

酔ってゆくところが絶妙ですね。

落語でも八代目可楽の『らくだ』とか次第に酔う
ところが見せ場になっていますが
この舞台はもっと細かくそしてシリアスです。

芝居自体のイメージが大根の煮物風です。
実際に舞台でもそんなものをアテに飲ります。

昆布や魚の出汁で品よく煮た大根は甘みや少しの
苦味がさっぱりして歯ざわりも柔らかくそれでいて
口中でとける、これで燗酒を頂戴するとアアタ・・


厳格だった先生が酔うほどに自慢が出たりグチも
こぼれたり、立派なだけでもない人間味が現れて
きます。

先生と名のつく生き物には御酒が似合います。
誰とは言いませんが塾の先生にも、酔うと恐竜に
変身したり、いろいろおられます。

代用学校の校長も
「さあ、どんどん飲りたまえ。
 え?いや、私に付き合えないの?・・」
それほど品が良い酒でもありません。

そのうち、近所に公立学校ができる話になります。
予定場所を聞いて校長は
「はは、キミ、それはないよ。
 あそこは○○でしょ。あいつは随分私に
 世話になっているんだ。さっきも言ったとおり。

 そんな話になればまず私に言ってこようじゃないか
 それがないんだから、キミ、嘘の噂です」

なんとも哀れな存在が浮かび上がります。
見ているほうには代用学校の暗い未来がはっきりと
想像できるのです。

人間てこんな生き物かもしれませんね。
知らぬはナントカばかり。


この芝居を絵にたとえれば

初めはレトロなデュフイの絵を眺めている気分が
いつのまにか鴨居玲のピエロが浮かび上がってくる
そんな感じ。

計算しつくしてある脚本です。

わずか2時間で一人の一生を表裏描き、
人間に不可避な老いについて考えさせ
酔っ払いの滑稽さを描いて余すところなく
時代というものに抗えない存在であることも
教える。
お説教臭くないのです。

それにしても大矢さん、上手いですね。
小人物が酒を飲むときのあの口元。

考えようによっては暗い話ですがじわりと暖かいのは
役者が上手いから。

最後に酔いつぶれて寝入り、幕が下ります。

せりふに発しない声が聞こえる幕切れが鮮やか。

「あ~あ、仕方ないねえ・・」

人間、明日も生きなければならない

大寺学校

2008-03-08 14:26:43 | 塾あれこれ
久保田万太郎は明治二十二年浅草生まれ。
小説、脚本、俳句など素晴らしい作品が多くあります。
落語などもツウであったようですね。

大芸術家ではないかもしれませんが、日本の良さを
教えてくれる人物でした。

彼の戯曲『大寺学校』をNHKが放映しました。
新派から大矢市次郎を主役に招き文学座が公演した
もので、たしか昭和42年の舞台です。
戯曲そのものは昭和2年に発表されています。

大矢市次郎の名優振りがよくわかるビデオですが
相手役の三津田健もなかなか。
といってもご存知の方は少ないかなあ。
カミサンは私より十歳下ですのでこれらの名前に
あまりなじみが無いそうです。

昔はNHKで新派をよく放送しましたから
大矢市次郎は好きな俳優として記憶にあります。
改めて名優と思いました。

以下脚本の内容に触れますのでネタバレという
ことになるかもしれません。
改めてご覧になる方もいないでしょうから
たまにはスジの話もしてみたくなりました。

もっとも現代の目から見ると地味な作品ですから
上手く伝えられるか確信はもてません。


現在は欧米風に「熱演」しないとダメらしいですね。
髪フリ乱し、わーわーと。
転げまわって大泣きする風なのが受けるようです。
△メソドとか○○ステューディオとかね。

それもよろしいのですが、それだけでは伝えられない
世界もあり、これは表現が難しい。
見る側も頭や心のテンションを上げねばなりません。

客に受けないのであれば余計に希少な世界になりそう
ですね。
ふっと見せるまなざしだけで芝居をするスゴザが
昔はあったという話です。


舞台は明治。
代用学校というものがあったそうです。
公立の学校が整備されるまでの間、私立の学校で
代用することを認められていたようです。

現在の塾に近い経営形態ではなかったでしょうか。
というか江戸時代の寺子屋の生き残りかな?

舞台では大矢校長の代用学校が一時の勢いがなくなり
経営が傾きかけています。
そのうえ近々公立の学校が出来そうだというウワサで、
知らないのは人の良い校長ばかり。
新しい流れに乗れないため、若い先生もあきれている
老校長が、ガンコ一徹に頑張っているのです。
けれども公立の学校ができればそれで終り=確実に。

(すみません。時間切れ)

汚ったねー

2008-03-06 09:51:03 | 塾あれこれ

ネコの春とかいうらしいですな。
チマタには「若者」が仰山出没しておいでの様です。
みんな汚ったない顔してますな。
目だけはギラついとります。

考えてることはヒ・ト・ツ

ん~ 哀しいような うらやましいような。


汚いとゆーても吾らネコ族はきれい好きですな。
人間に付き合っている動物で一番臭わないですぞ。
家の中にトイレがあっても大丈夫。

病気で目ヤニなど出しておるのもいますがナ、
概してキレイ好きと思いますが、どうです?


ノラを人間が見ると汚いと思うらしいですが
写真家の岩合さんなどきれいに撮りますぞ。
目線をどこにおくか、じゃないですか。

ネコ同士でも「お前、キタネー」とか言いますが
人間同士のいわれのないサベツよりはましでしょう。

人間はなかなか差別意識から離れられないようで
我が家のオッサン=井上も口では生意気を言うて
おるようですが、なかなか中身は未熟のようですな。
いろいろシッポをひきずっております。


オッサンによると日本の町はキレイでいい、と
外国も知らないくせに知ったかぶりしてますが
その日本も農薬やら住宅地でも撒いてあるようで
どこがキレイなんだか。
安心して外へ出られないですな。

体や足に何かついたら舐めてきれいにせにゃならん
身としては危険千万じゃ。

日本人は最近外国へ行ってキッタネーとか大騒ぎを
するらしいですな。
なに、日本もちょいと前までは似たようなものだった
とオッサンは言うておりますぞ。

他国をあしざまにどこか経済先進国の優越感を感じさ
せるもの言いですが、サベツでしょうなあ。

勿論、科学的にバイキンが何個の話になれば彼我の差
は歴然としているようですがね。


オッサンはパスポートを持たず生涯外国へ行かない
つもりらしいですナ。

体が弱い、とか言うてますが、どうも
未熟な心からサベツが滲むのを恐れているのかな。

無神経な自分の感覚で人をキタネーとか遅れてるとか
少なくとも物価を見て「まー安い」とか
いずれもサベツなのだが日本人は意識していないらしく
その振る舞いが日本嫌いを増やしていると聞きますぞ。

「いや、感じよかった、日本人は嫌われていないよ」
なんてノーテンキな人も多いらしいですがナ。

外国旅行は暫くやめてみてもよいか、などと
ネコの小さな脳で考えておりますぞ、
・・眠い。