瞬間、分かります。
「これだ!この味」
そうだった、この味、懐かしいなあ。
それにしても旨いものを食ってたんだなあ。
○
シツコク書いておりますが、貧乏家に生まれた私ですから
お値段が高いとか珍味とかそういう類の話ではありません。
第一、有名な料理家の多くが幼いころは貧しい生活を
しておられたとか。(魯山人、道場六三郎、井上梅・・)
小さいころに味覚は決まってしまうそうですから
お金で決まる話ではなく小さいうちに良いものを食べていたか
どうかに因る様です。
良いものとは、水がよいとか野菜や魚の鮮度など、
子供にとって美味しくなくても良いものを食べさせたいもので
かえって貧乏な方が味覚を磨けるかもしれません。
○
懐メロで一辺に昔を思い出す、古い写真に思い出があふれる
それと同じことが味覚にもあるのです。
人間の記憶って何十年も失せないものなんですね。
記憶も美化されることがあります。
人間は「昔は良かった」と発想する動物ですから。
人の一生で、いつが一番幸せでしょうか。
何も分からない無垢な幼児のときだと思いますね。
それと相似の発想。
昔食べた味も実態より美化されている恐れは大です。
あるいは当時の感動を現在にあてはめることができるか
どうかこれも疑問です。
甘いものに飢えていた時代は、甘いだけで美味しいと
思っていたのではないか。
今それを食べて、果して美味しいと思うか。
工業製品は昔通りの味、あるいはそれに近い味を
現在でも保っていることがあるでしょうね。
それを食べてみたら、昔を美化していたかの推測が
できるでしょう。
福島ラーメン、きゅうりのQちゃん、粉末ジュース
インスタントコーヒー・・
いずれも当時の感動は湧きません。
こんなもの食べてたか、というものもあります。
チョコレート、バナナ、なども今は当時ほどは美味しく
ありません。
子供だったから、でしょうか。
それよりも、今は昔より美味しいものを頂いているから
と考える方がよいのではと思われます。
○
じゃあ、最初の「これこれ!」というのは錯覚に近い
ことでしょうか。
どうもそうではない、のではないか。
確かに今では食べる可能性が小さくなってしまっただけで
本当に美味しいものは存在していた。
では、本当にそう言えるのかどうか。
アヤシゲなる結論はまた明日・・
「これだ!この味」
そうだった、この味、懐かしいなあ。
それにしても旨いものを食ってたんだなあ。
○
シツコク書いておりますが、貧乏家に生まれた私ですから
お値段が高いとか珍味とかそういう類の話ではありません。
第一、有名な料理家の多くが幼いころは貧しい生活を
しておられたとか。(魯山人、道場六三郎、井上梅・・)
小さいころに味覚は決まってしまうそうですから
お金で決まる話ではなく小さいうちに良いものを食べていたか
どうかに因る様です。
良いものとは、水がよいとか野菜や魚の鮮度など、
子供にとって美味しくなくても良いものを食べさせたいもので
かえって貧乏な方が味覚を磨けるかもしれません。
○
懐メロで一辺に昔を思い出す、古い写真に思い出があふれる
それと同じことが味覚にもあるのです。
人間の記憶って何十年も失せないものなんですね。
記憶も美化されることがあります。
人間は「昔は良かった」と発想する動物ですから。
人の一生で、いつが一番幸せでしょうか。
何も分からない無垢な幼児のときだと思いますね。
それと相似の発想。
昔食べた味も実態より美化されている恐れは大です。
あるいは当時の感動を現在にあてはめることができるか
どうかこれも疑問です。
甘いものに飢えていた時代は、甘いだけで美味しいと
思っていたのではないか。
今それを食べて、果して美味しいと思うか。
工業製品は昔通りの味、あるいはそれに近い味を
現在でも保っていることがあるでしょうね。
それを食べてみたら、昔を美化していたかの推測が
できるでしょう。
福島ラーメン、きゅうりのQちゃん、粉末ジュース
インスタントコーヒー・・
いずれも当時の感動は湧きません。
こんなもの食べてたか、というものもあります。
チョコレート、バナナ、なども今は当時ほどは美味しく
ありません。
子供だったから、でしょうか。
それよりも、今は昔より美味しいものを頂いているから
と考える方がよいのではと思われます。
○
じゃあ、最初の「これこれ!」というのは錯覚に近い
ことでしょうか。
どうもそうではない、のではないか。
確かに今では食べる可能性が小さくなってしまっただけで
本当に美味しいものは存在していた。
では、本当にそう言えるのかどうか。
アヤシゲなる結論はまた明日・・