ぼたもち

2012-05-04 17:07:47 | 塾あれこれ
成瀬巳喜男監督の映画をビデオで見ました。
『鰯雲』と『あにいもうと』

昔見たかもしれませんがすっかり忘れています。

この歳になって改めて見ると・・良いですねえ。
成瀬監督の超有名な作品とまではいかなくても
このレベルの高さはどうでしょう。

日本の伝統芸の名人みたいです。
お話の内容よりも語り口がまず味わい深い。

志ん生好きが、あの開口の「え~」だけでうなるように
私が、彦六の正蔵の震え声「バカやろう~」でニヤリと
するように。

成瀬監督の(語り口=声)を味わうだけで堪能できます。

成瀬、小津、溝口、黒澤・・みなさん「良い声」をして
おられました。木下恵介は七色の声だったけれど。

私の勉強不足もあり今の映画は誰の声かが分かりにくい。
河瀬監督などは声=文体があるほうかもしれません。

時代は変わりましたね。

五代目小さんも先代と言わなきゃならないし、
正蔵といえば脱税のコブちゃんのほうが今では馴染だろうし。
不便な世の中になったものです。

「先代が良かった」などは嫌われ爺の決め台詞ですよね。

今の噺家ってのは声のコントロールも出来ていません。
歌い手と同じで「まず声」なのに。

そこで下手糞な常盤津語りのような現コブ正蔵の声でも
ナレーションをやってますね。(梅ちゃん先生)
カツゼツも悪い。脚本の悪さと相まってヒドイ出来です。

「コブ脱税」正蔵に比べ、志ん朝はナレーションも名人芸でした。
噺家がナレーションするのならあの声&芸が欲しいよね。
雨上がりの宮迫のほうがよほど上手いぞ。
噺家が負けてどうする・・・

・・古き時代は急速に遠ざかります。


成瀬の話でした。

いつの頃からか食卓を囲んでの団欒というのが
家庭のシーンとして定番になってきました。
さすがに昔の監督はそんな安易なことはしません。

それだから、物を食べるシーンが生きるのです。

例えば七人の侍、滝の上の握り飯。

昔は「食べる」ということ自体が大切な行為でした。
手を合わせて感謝して「戴く」

いまはただ食欲をみたすだけの作業になりはてたか
グルメとかで妙な満足感を得るための儀式か。


『あにいもうと』は室生犀星原作の映画化。53年
『鰯雲』も58年の社会派的作品。成瀬らしくない?

京マチ子、淡島千影の圧倒的な存在感が光る佳作でした。
監督の手腕が秀逸ですね。

たまたま、この2本を続けて見たのですが
戦争の影、時代や文化の変容、庶民が生きることの大変さ
などなどテーマが似ていました。
成瀬監督のある種のホンネかなあ。

当時としてドラマ性を出す素材ではあったのでしょうが。

とはいえ最大の焦点は「人間描写」です。


今回の投稿は二本の成瀬映画にふれ、両作に共通して出てくる
ボタモチから、個人的な思い出に行こうと思っていました。

が、例によっての書きなぐりで話が飛びました。

ボタモチが御馳走だったあの頃、人々は今より仕合せだった
かもしれません。

今の50代未満の人が上記の映画を分からない如く
ボタモチの味も分からなくなっているのでしょうね。
和菓子屋の画一的な味。

昔は家家で味が違いました。
お祖母さんの味は記憶に残ります。
父方の祖母のあのボタモチ、母方の祖母のあのボタモチ・・

○○屋のボタモチじゃ、そうはいかないでしょ?


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