山口哲弘、情の人

2014-11-06 14:55:28 | 塾あれこれ
山口哲弘先生は「情の人」でした。

公にはそれがマイナスとなることもあったのですが
自分を貫かれた一生だったと思います。


「田中もこの春に辞めたんよ」

家の近くでばったりお会いしました。

「あんたのブログも読んでるよ」

こちらは悪口を書いているだけに恐縮の限りです。

立ち話でしたが、いろいろ話せました。
体調がすぐれない様子でしたので、切り上げましたが
「また、ゆっくり話そうや」

それが最後になりました。


山口塾に勤めているころから、グチが多い方でした。
特に他に誰もいないと、かなり突っ込んだ話も。

「わしも、困っとるんじゃ」

・・・・なるほど。そんな背景が。

情と公とのぶつかりが哲弘先生の中で絶えずあり
悩んでおられるようでしたね。

体調を崩された長期入院の折りには期するところが
あったようで、復帰したら勉強会をしよう、と
ベッドで張りきられていました。

一二度、行いましたか。
私も寄せて頂きました。

ところが、塾内に派閥を作ると誤解され、すぐご破算。

私も叱られました。
心外でしたねえ。

哲弘先生にはこんなことも多かったのかな。

損なクジばかり引かされていました。
意にそわぬ片付け仕事もね。


最後にお会いしたときも「山口塾の最後」について、
特に講師の人たちへの心残りをしきりに口にして
おられました。

私へ言いたいことも、もっとおありだったでしょう。
何しろ厳しいことを口にしましたからね。

私があの世に行ったらお叱りになるかもしれません。


早すぎる死が、悔やまれます。



とても多くの人がお見送りした葬儀でした。


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4 コメント

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Unknown (kim)
2015-08-05 11:30:15
井上先生、ご無沙汰しております

中学の頃、先生のクラスでお世話になりました。(高校は、今はなき工大附属に...)
あたしも、今年で33歳になります

小学生の頃から、山口塾でお世話になり、ふと、哲弘先生のことを思い出しました。今年で70才だなぁと。
それから、山口塾のことを検索して、このブログを見つけて、哲弘先生がお亡くなりになってることを初めて知りました。

怒ったら怖い先生でしたが、それでも優しいところもある先生で、塾生のみんなに声かけてくれる先生だったなぁと。個別に話を聞いてもらったこともあったかと。

まだまだお元気でいてほしかったです。
哲弘先生のご冥福、お祈りします...
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コメント有難うございます (inoue)
2015-08-05 13:37:23
そうですね、あまり仰らなかったとは思いますが、哲弘先生は被爆2世。心の底には健康への不安もあったと思います。
突然と言ってもよいほどの早い死でした。
悪戦苦闘なさった人生のようで、よく愚痴もこぼされていました。「ひとには言えんことじゃが・・」と
私もお世話になりました、お盆には千の風ふうではありますが一献。叱られますか?
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きっと... (kim)
2015-08-06 09:21:21
哲弘先生は優しい方だったので、あちらで優しく笑ってくれると思います。

おそらく、なかなかお話しされることはなかったのかもですが、一度だけお話を聞いたことがあります。
社会も教えてらっしゃったので、8月の授業でその時に話をされてました。
小学生のときですが、あの時の哲弘先生の話は今でも覚えています。

広島に生を受けた人として、今日のこの日のことだけは考えない年はないですね。
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身近に (inoue)
2015-08-06 14:43:39
中高一緒だった親友のお母様が被爆されていた話を、ある日されたことがありました。多くは語られませんでしたが。
私は尾道出身ですが、父母は出征の関係で己斐駅のすぐそばに住んでいたそうです。投下のほんの少し前、朝鮮半島に出征、原爆にはあっていません。が、少しでも歴史の歯車が違っていたら・・・
私が尾道から広島に来たのが小5、戦後十数年たっていましたが、原爆の傷跡も多かったですね。ケロイドを負った方もしばしばお見受けしました。遠い過去のことではなかったですね。
人々の心的傷害もまた生々しかった
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