式の意味が分かっていない生徒が多いと報道されています。
(全国学力調査)
☆「8mで4kgの棒があります。1mの重さは?」
はい2kgです
☆そうですねえ、どうやって答えが出ました?
ん~、なんとなく
☆でも何か計算して分かったんじゃないかな、
元の重さは何キロでしたっけ
4キロ
☆で、君の答えが2キロってことは元の重さの?
半分
☆半分だから式で言うと、どうやって2になった?
6÷3
☆おや?問題にそんな数字があったかな、8と4でしょ。
8×4
☆ん~、九々で「はち・し・・・いくつ?・・2かな」
32
☆そうそう、ククはできるね、えらい!
でも答えが2じゃないね。32キロは重すぎない?
なんで掛けちゃったんだろ
8÷4だ!
☆それだ、それで2になるね、
きっとそういう計算をしたんだ
たぶん、ね
☆君の答えは1m2キロだったね、じゃ2mで何キロ?
2mだから重さも2倍になるね。2キロを2倍すると・・
4キロ
☆問題文は8mでしょ、君の答えだと2mでもう4キロじゃん
(・・・)
☆(図を描いて)こんな風に8mの棒があるね
この半分だと4m
もともと4キロの重さも?
・・そう半分、これが今言った数字ですね
ということは・・
君のやりかた、8÷4ではよくないみたいだね。
{かなり強引ですが、書くスペースから端折りました}
じゃあ、8×4
☆あれ?さっきやってみて、どうだったっけ
そうか・・もう分からん・・
☆掛け算は違ったね(・・強引になってきた)
割り算は8÷4だけでしたっけ
じゃあ4÷8
☆えらい、できるじゃん。8mと1mを比べるから・・
{このあとの説明は聞いてる子供はヤハリよく分からない、
しかしともかく済んだスンダ、と思っています}
○
あとは4÷8の計算をさせ、場合によって確かめ算もすまし
途中何回も誉めて「できた!」
機嫌良く帰途につかせるのが「今の教育」らしい。
丁寧に付き合う気があれば、上の通り、気は楽な仕事です。
けれども上記で分かるように式は適当に口走っているのです。
何を意味しているかなど彼の意識にはありません。
私に言わせれば「無責任」
そうして上記の対応をしていた教員はその無責任を放置して
いるようにしか思えないのです。
問題は学校や塾の教員だけにあるのではありません。
親も社会も、みんな甘やかしているから、無責任が野放しに
なっているのです。
出来るまで手とり足とり丁寧に、これが主眼であって
本当に分かっているか、次はできるか、などは二の次。
上記の対応はごく分からない時期だけのものであるべきで
少しずつ進むにつれ、やっていることに責任を持たせなきゃ。
そうしないと式の意味など考えないでしょう。
個別形式で「教えない」が有力である所以です。
(全国学力調査)
☆「8mで4kgの棒があります。1mの重さは?」
はい2kgです
☆そうですねえ、どうやって答えが出ました?
ん~、なんとなく
☆でも何か計算して分かったんじゃないかな、
元の重さは何キロでしたっけ
4キロ
☆で、君の答えが2キロってことは元の重さの?
半分
☆半分だから式で言うと、どうやって2になった?
6÷3
☆おや?問題にそんな数字があったかな、8と4でしょ。
8×4
☆ん~、九々で「はち・し・・・いくつ?・・2かな」
32
☆そうそう、ククはできるね、えらい!
でも答えが2じゃないね。32キロは重すぎない?
なんで掛けちゃったんだろ
8÷4だ!
☆それだ、それで2になるね、
きっとそういう計算をしたんだ
たぶん、ね
☆君の答えは1m2キロだったね、じゃ2mで何キロ?
2mだから重さも2倍になるね。2キロを2倍すると・・
4キロ
☆問題文は8mでしょ、君の答えだと2mでもう4キロじゃん
(・・・)
☆(図を描いて)こんな風に8mの棒があるね
この半分だと4m
もともと4キロの重さも?
・・そう半分、これが今言った数字ですね
ということは・・
君のやりかた、8÷4ではよくないみたいだね。
{かなり強引ですが、書くスペースから端折りました}
じゃあ、8×4
☆あれ?さっきやってみて、どうだったっけ
そうか・・もう分からん・・
☆掛け算は違ったね(・・強引になってきた)
割り算は8÷4だけでしたっけ
じゃあ4÷8
☆えらい、できるじゃん。8mと1mを比べるから・・
{このあとの説明は聞いてる子供はヤハリよく分からない、
しかしともかく済んだスンダ、と思っています}
○
あとは4÷8の計算をさせ、場合によって確かめ算もすまし
途中何回も誉めて「できた!」
機嫌良く帰途につかせるのが「今の教育」らしい。
丁寧に付き合う気があれば、上の通り、気は楽な仕事です。
けれども上記で分かるように式は適当に口走っているのです。
何を意味しているかなど彼の意識にはありません。
私に言わせれば「無責任」
そうして上記の対応をしていた教員はその無責任を放置して
いるようにしか思えないのです。
問題は学校や塾の教員だけにあるのではありません。
親も社会も、みんな甘やかしているから、無責任が野放しに
なっているのです。
出来るまで手とり足とり丁寧に、これが主眼であって
本当に分かっているか、次はできるか、などは二の次。
上記の対応はごく分からない時期だけのものであるべきで
少しずつ進むにつれ、やっていることに責任を持たせなきゃ。
そうしないと式の意味など考えないでしょう。
個別形式で「教えない」が有力である所以です。
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