おせらしゅうなって

2008-10-21 11:11:09 | 塾あれこれ
高島俊男著文春文庫『お言葉ですが…⑨』に

『小生(=高島先生)が子供のころ、「おせらしい」
 という言葉があった』と書かれています。

(おせ)・・なんと懐かしい言葉でしょう。

上記の文に続けて引用したいところですが叱られる
といけませんから、大意だけ申します。

『方言である。
 各地に似た言葉はあるのではないか。
 子供が大人びてゆくことを褒めるときに使う。』

そうして次に、現代は反対に子供であることの優位な
社会であり、それに疑問を呈されるのです。


ここでは懐かしさだけに触れておきます。

(おせらしい)という文字を目にしたとたんに
子供の頃の思い出がぱっと浮かんできました。

どれも瞬間的断片ですが、あるときは近所の大人が
あるときは親戚のオジサン、オバサンが使って
おられました。

その顔、声音、言われた人物の面映そうな表情など。

「ずいぶん大人に成長したね」そんな感じでしょうか。
現在では死語になりつつあります。
・・なってる?

(忘却の河)に沈みますか。

そのうち特殊な辞書にだけ残るのでしょう。


辞書に残っても(言葉の剥製)です。
命はありません。
どう働いていたかは分らないでしょう。

どのような音であったのか。
使い方はどうであったか。
映像は浮かんでこないでしょう。

体格が大人になった?
立ち居振る舞いが子供を脱した?
考え方がしっかりしてきた?
社会的に認知される存在になった?

どれくらい肯定的か?否定的にも使うのか?
皮肉で使うことはありえたか?

(大人っぽい)と同じか、違いがあるか?
(立派になった)(ませた)(ひねた)
などと、同じか違うのか?

しかもデータは豊富に必要です。
言葉と言うものは個人差や地域差が大きいから。

言葉が生きて使われている間は個人差は問題に
なりませんが、いったん死語になると言葉を
甦らせるには一定の量が必要でしょうから。


高島先生は同じ本で、語源探しは難しいと
書いておられます。
それで触れておられないのでしょう。

何かと悩んでいたらカミサンがさっと辞書を
引いてくれました。

大背=オーセだろうと。
(大兄?「吾がせこの」のセです。
 背中じゃないでしょう。)

色々な説があるかもしれませんけれども
何かピッタリくる感じですね。
(感じだけで納得するのはアブナイのですが)

方言は「河に沈みかけ」ても力があります。
私がオセラシイに反応したように。

聞けば懐かしくても私達はすでに使わない言葉が
沢山ありますね。

大人たちが方言を使わなければそこで途切れます。
今の子供達は言葉が弱くなるに違いありません。

方言で育つから日本語が豊かになります。

立派な詩人をみれば分ります。
そのほとんどは日本語でも方言とのバイリンガル!

中也、賢治、茂吉、まどみちお、山頭火、山之口獏
ああ、きりがありませんね。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿