従兄からン年ぶりの電話は良い話ではないよね

2011-06-15 20:32:37 | 塾あれこれ
母方のイトコから電話です。
会うのも電話も滅多にありません。

彼はアウトドアの達人、私は「仕事オタク」系
幼いころから上の写真のような釣りとか素潜りとかが
得意な年上に私はついていけませんでした。
(写真は本日、水鳥の浜公園。遠くが似島)

今は、たまに葬式などで会って「やあ、元気ですか?」
お葬式で交わす会話としては多少ナニですがね。
仲が悪いわけじゃないけれど、連絡しあうほどでもない。

その彼が昨夜電話をしてきました。
ま、金をやろうとかいう類の話じゃないよね。

案の定「親戚の誰それを覚えてる?亡くなっちゃった。」
遠い親せきではあるが連絡だけはしてあげようという
ものでした。
あとは関係の深さにより、私のほうでどうするか決めれば
よいという話です。


・・覚えていない。

聞いてみると少しずつ記憶が浮かんできました。

私の母のイトコ(母方)だったそうで、祖母の家のごく近くに
住んでおられました。
歩いて数分ですかね。

「ああ、川を遡って橋んトコの右手に家がありましたね」

(川と言っても幅数mの田舎の小川です。)

「えっとね、その近くにひい祖母さんが住んでおられた・・」

などと聞くと地元でもある彼は頷いてくれます。

祖母の家へ行くと時折その家に遊びに行きました。
主に小学生のころ。
比較的年齢の近い子供もいましたから。

そこはリッチなご家庭なのです。
オモチャもゲームも遊べるものが一杯でね。
祖母さんチには目ぼしいものがないのでヒマだと行きます。

ただ、何の関係からか(あえて書きませんが)そのうち
「あまりMくんチへは行かないように」ということになり
次第に足が遠のいたようです。

ただその家でTVの『シービュー号』を見た覚えがあるのです。
初めて見たのがそこだったか、
見たい番組なので「一緒に見ようよ」となったのか。

ウィキペディアでは『シービュー号』は1964年から放送と
なっています。
すると私は中学生。
中学になってもMくんチに行ったことがあるんだ・・・。

ところで
M君も亡くなられた彼の父親も、顔が浮かんできません。
中学まで行ってたハズなのに。

天国で母が嘆いているかもしれませんね。


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