いま直面している教育課題は何か?
これからの教育はいかにあるべきか?
・・・いつまでこんな問いかけを続けるのでしょうね。
戦後だけでも、偉い方がよってたかって「文殊の知恵」を
お出しになり、現場は、つど血のにじむような改革をされ、
そうして不毛の結果を生んできました。
いや成果は揚がっているという反論もあるでしょう。
ただし、「改革」があったから成果がもたらされたのか、
そのあたりは不明です。
先生が駄目でもしっかり育つのが人間だから。
(成果)の半面、これでよいのかという不安も常に存在し
さまざまな教育論が排出されたのですね。
カメラを引いて全体を俯瞰したら、皆がみんなノーベル賞を
獲れるわけではないのにね。
不安がもとで目の前の不満を教育にぶつけるわけです。
「若者がなっとらんのは教育の所為だ」
その気分で右翼も左翼も、革新派も保守派もみんなが
自分に都合のよいことを言いたてます。
そうして醸成された社会の空気に国の教育方針も動き
やれ欧米風教育だのゆとり教育だのが登場しました。
内容を検証できないという意味で「功罪半ば」
現在の下村改革も復古主義の大枠から逃れられません。
明治期、一斉授業教育が始まって以来、二つの方針の間で
揺れ動いてきた教育界です。
出来る子を伸ばすのか、全体の底上げを図るのか。
これに各種の思想、政治的思惑、経済的要求などが
乗っかってきます。
(子供が置き去りになったのは個別教育を捨てたから)
○
話が突然、小さくなりますが、塾業界は学校教育が
割合サヨク的だった時期、多少意識してウヨク的な
発信をしていました。
それは信条・心情だから自由だとして、結果
自民党系の政治家にすりよった人が少なくありません。
まるで土建屋のような空気がありましたね。
こちらは金儲け主義がぷんぷんと臭います。
○
朝日新聞の記事に政治家が教育に言及していました。
教育を改革し、新しい時代に対応すべきだ、と。
けれどそこにある子供への眼差しは経済界のものと
一緒なのです。
引用しましょう。朝日新聞1/4
『「均一の金太郎アメをつくる教育は大量生産・
大量消費時代のもの」と樋渡啓祐・武雄市長は言う。
「今後は多様性がカギ。・・デジタルは、その
有効な手段だ。」』
出来る1%にだけ「投資」しましょう。
九九もまともにできない子に数学はムリ。
人間、勉強ばかりじゃないんだから
自助努力でがんばれ、オンリーワンだよ。
人を育てることが教育であったはずなのに
企業戦士や国防戦士を育成するという明治以来の
旧態依然とした発想から抜け出せていません。
(一見新しそうにみせていますが)
そこを無反省なまま、英語教育、IT活用、道徳
ディベート、学び合い・・
目先の比較的小さなことばかりでお茶を濁しますが
それらを活用することさえできません。
良いものは取り入れるべきですが、そればかりに
目が行くと、従来の「改革」と同じ轍を踏むでしょう。
まず大きな視点を確立しなければならないのに。
結局「最新やってるよ、頑張ってます」というポーズかなあ。
大げさだけれど、それって子供を喰い物にしてません?
○
身の丈に合わない大きなことを言ってしまいました。
ついでにもうひとこと。
今こそ個別教育の時代です。
真の個別こそが教育の機会均等を保障するのです。
教える方も教わる方も人間を取り戻したいですね。
これからの教育はいかにあるべきか?
・・・いつまでこんな問いかけを続けるのでしょうね。
戦後だけでも、偉い方がよってたかって「文殊の知恵」を
お出しになり、現場は、つど血のにじむような改革をされ、
そうして不毛の結果を生んできました。
いや成果は揚がっているという反論もあるでしょう。
ただし、「改革」があったから成果がもたらされたのか、
そのあたりは不明です。
先生が駄目でもしっかり育つのが人間だから。
(成果)の半面、これでよいのかという不安も常に存在し
さまざまな教育論が排出されたのですね。
カメラを引いて全体を俯瞰したら、皆がみんなノーベル賞を
獲れるわけではないのにね。
不安がもとで目の前の不満を教育にぶつけるわけです。
「若者がなっとらんのは教育の所為だ」
その気分で右翼も左翼も、革新派も保守派もみんなが
自分に都合のよいことを言いたてます。
そうして醸成された社会の空気に国の教育方針も動き
やれ欧米風教育だのゆとり教育だのが登場しました。
内容を検証できないという意味で「功罪半ば」
現在の下村改革も復古主義の大枠から逃れられません。
明治期、一斉授業教育が始まって以来、二つの方針の間で
揺れ動いてきた教育界です。
出来る子を伸ばすのか、全体の底上げを図るのか。
これに各種の思想、政治的思惑、経済的要求などが
乗っかってきます。
(子供が置き去りになったのは個別教育を捨てたから)
○
話が突然、小さくなりますが、塾業界は学校教育が
割合サヨク的だった時期、多少意識してウヨク的な
発信をしていました。
それは信条・心情だから自由だとして、結果
自民党系の政治家にすりよった人が少なくありません。
まるで土建屋のような空気がありましたね。
こちらは金儲け主義がぷんぷんと臭います。
○
朝日新聞の記事に政治家が教育に言及していました。
教育を改革し、新しい時代に対応すべきだ、と。
けれどそこにある子供への眼差しは経済界のものと
一緒なのです。
引用しましょう。朝日新聞1/4
『「均一の金太郎アメをつくる教育は大量生産・
大量消費時代のもの」と樋渡啓祐・武雄市長は言う。
「今後は多様性がカギ。・・デジタルは、その
有効な手段だ。」』
出来る1%にだけ「投資」しましょう。
九九もまともにできない子に数学はムリ。
人間、勉強ばかりじゃないんだから
自助努力でがんばれ、オンリーワンだよ。
人を育てることが教育であったはずなのに
企業戦士や国防戦士を育成するという明治以来の
旧態依然とした発想から抜け出せていません。
(一見新しそうにみせていますが)
そこを無反省なまま、英語教育、IT活用、道徳
ディベート、学び合い・・
目先の比較的小さなことばかりでお茶を濁しますが
それらを活用することさえできません。
良いものは取り入れるべきですが、そればかりに
目が行くと、従来の「改革」と同じ轍を踏むでしょう。
まず大きな視点を確立しなければならないのに。
結局「最新やってるよ、頑張ってます」というポーズかなあ。
大げさだけれど、それって子供を喰い物にしてません?
○
身の丈に合わない大きなことを言ってしまいました。
ついでにもうひとこと。
今こそ個別教育の時代です。
真の個別こそが教育の機会均等を保障するのです。
教える方も教わる方も人間を取り戻したいですね。
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