今年の話

2014-01-03 16:36:40 | 塾あれこれ
カミサンが「あんたは悪くちバッカ」と
我がブログに注文を出します。

そうなんですねえ。

誉めるのは一律、単調になり、難しいことですが
貶すのは個別の指摘ですから書きやすいのです。

拓郎を誉めても、竜童を誉めても、きっと同じ文が並び
泉谷を貶すのは彼の個性に合わせて沢山文句が出ます。


正月早々また好き嫌いの話なのですが
バレンボイムはやはり嫌いだった、というお話。

加齢による変化も場合により、ありえます。

若いころ嫌いで、年齢とともに大好きになる・・
(その逆もありですが)
ふらふらする私の感性も信用できません。

美空ひばりもテレサテンも好きじゃなかったけどね~

1977年らしいのですがシカゴ交響楽団が来日
ショルティも晩年でした。
公演の半分は若き(売り出しの)バレンボイム
ピアノじゃなく指揮もし始めて評判でした。

チケットはプレイガイドじゃなきゃ手に入らない時代
サラリーマンをしてて人気の公演の切符は
入手が難しかった。

幸い私の勤め先のビル、道路を挟んで向かいが
デパートで、そこでチケットが買えます。

といっても時間がママならず、発売日の昼休みは
無理で、午後、会社を抜け出しました。
ふまじめなサラリーマンです。

案の定ショルティは売り切れ。
バレンボイムしかありません。
ショルティを大して分からなかった当時の私は
「バレちゃんで仕方ないか」


他の公演や映画もそうですが、個人的な都合を優先。
ふだんは残業しまくってるのに、その日はさっさと
仕事を切り上げました。

チャイコフスキーを振ったのですがこれがひどい。

(ご自分のチャイコ)なんでしょうが
下手な創作料理を食わされるみたいでさっぱりワヤ。

曲の途中で席をけって、とまで思ったほどです。

他の客に悪いから我慢、我慢、我慢、がまん

自分のためにやってるバレちゃんは、作曲家も
ロシアの文化も、先人の演奏も、何もかも
ぶちこわしてみせたのでした。

少し前にムラヴィンスキーのレニングラードで
圧倒的なチャイコフスキーを聴いている耳には
こわれて、はじけたバカモノでしたね。

高い金払ってるのに。


結局バレンボイムは「一流の下」でしかないことは
その後の歴史が証明しています。

音楽とは自己表現のためだけにあるものではないのです。
自分の個性は出しても音楽から外れてはいけません。
グールドのバッハだって、やはりバッハ。

そこから逸脱してしまうバレちゃん。


今年のウィ-ン、ニューイヤーコンサートはその
バレンボイムが振りました。

やっぱり私は嫌いだねえ。

特に最後のラデツキー行進曲は何だあれ。

楽団に演奏をさせたまま指揮者は団員と握手を
しているのです。
一人一人ですから演奏のジャマ。
バレが回ると数人はまともに演奏できません。

握手なんぞは後で好きにやったらよろしい。
客に見せるものではありません。

曲の指揮はどうなってるんだ!
もうどうでもいいとしか思えないですね。

もしかすると最後はオマケと思っているのかも。

それも客をバカにしたことじゃありませんか。
人によれば最後が最大の楽しみ、一生に一度の
経験かもしれないのに。

クライバーなんてよかったね。
ちょっとだけ客の拍手をコントロールして
曲も盛りあげていました。
客もものすごい興奮。

音楽の楽しさを繰り広げてみせたクライバー

それと比べては可哀そうか。

バレンボイム、今ごろは「今回は良かった」と
ひとり悦にいってるんでしょうね、ば~か。


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