カミサンが「あんたは悪くちバッカ」と
我がブログに注文を出します。
そうなんですねえ。
誉めるのは一律、単調になり、難しいことですが
貶すのは個別の指摘ですから書きやすいのです。
拓郎を誉めても、竜童を誉めても、きっと同じ文が並び
泉谷を貶すのは彼の個性に合わせて沢山文句が出ます。
○
正月早々また好き嫌いの話なのですが
バレンボイムはやはり嫌いだった、というお話。
加齢による変化も場合により、ありえます。
若いころ嫌いで、年齢とともに大好きになる・・
(その逆もありですが)
ふらふらする私の感性も信用できません。
美空ひばりもテレサテンも好きじゃなかったけどね~
1977年らしいのですがシカゴ交響楽団が来日
ショルティも晩年でした。
公演の半分は若き(売り出しの)バレンボイム
ピアノじゃなく指揮もし始めて評判でした。
チケットはプレイガイドじゃなきゃ手に入らない時代
サラリーマンをしてて人気の公演の切符は
入手が難しかった。
幸い私の勤め先のビル、道路を挟んで向かいが
デパートで、そこでチケットが買えます。
といっても時間がママならず、発売日の昼休みは
無理で、午後、会社を抜け出しました。
ふまじめなサラリーマンです。
案の定ショルティは売り切れ。
バレンボイムしかありません。
ショルティを大して分からなかった当時の私は
「バレちゃんで仕方ないか」
○
他の公演や映画もそうですが、個人的な都合を優先。
ふだんは残業しまくってるのに、その日はさっさと
仕事を切り上げました。
チャイコフスキーを振ったのですがこれがひどい。
(ご自分のチャイコ)なんでしょうが
下手な創作料理を食わされるみたいでさっぱりワヤ。
曲の途中で席をけって、とまで思ったほどです。
他の客に悪いから我慢、我慢、我慢、がまん
自分のためにやってるバレちゃんは、作曲家も
ロシアの文化も、先人の演奏も、何もかも
ぶちこわしてみせたのでした。
少し前にムラヴィンスキーのレニングラードで
圧倒的なチャイコフスキーを聴いている耳には
こわれて、はじけたバカモノでしたね。
高い金払ってるのに。
○
結局バレンボイムは「一流の下」でしかないことは
その後の歴史が証明しています。
音楽とは自己表現のためだけにあるものではないのです。
自分の個性は出しても音楽から外れてはいけません。
グールドのバッハだって、やはりバッハ。
そこから逸脱してしまうバレちゃん。
○
今年のウィ-ン、ニューイヤーコンサートはその
バレンボイムが振りました。
やっぱり私は嫌いだねえ。
特に最後のラデツキー行進曲は何だあれ。
楽団に演奏をさせたまま指揮者は団員と握手を
しているのです。
一人一人ですから演奏のジャマ。
バレが回ると数人はまともに演奏できません。
握手なんぞは後で好きにやったらよろしい。
客に見せるものではありません。
曲の指揮はどうなってるんだ!
もうどうでもいいとしか思えないですね。
もしかすると最後はオマケと思っているのかも。
それも客をバカにしたことじゃありませんか。
人によれば最後が最大の楽しみ、一生に一度の
経験かもしれないのに。
クライバーなんてよかったね。
ちょっとだけ客の拍手をコントロールして
曲も盛りあげていました。
客もものすごい興奮。
音楽の楽しさを繰り広げてみせたクライバー
それと比べては可哀そうか。
バレンボイム、今ごろは「今回は良かった」と
ひとり悦にいってるんでしょうね、ば~か。
我がブログに注文を出します。
そうなんですねえ。
誉めるのは一律、単調になり、難しいことですが
貶すのは個別の指摘ですから書きやすいのです。
拓郎を誉めても、竜童を誉めても、きっと同じ文が並び
泉谷を貶すのは彼の個性に合わせて沢山文句が出ます。
○
正月早々また好き嫌いの話なのですが
バレンボイムはやはり嫌いだった、というお話。
加齢による変化も場合により、ありえます。
若いころ嫌いで、年齢とともに大好きになる・・
(その逆もありですが)
ふらふらする私の感性も信用できません。
美空ひばりもテレサテンも好きじゃなかったけどね~
1977年らしいのですがシカゴ交響楽団が来日
ショルティも晩年でした。
公演の半分は若き(売り出しの)バレンボイム
ピアノじゃなく指揮もし始めて評判でした。
チケットはプレイガイドじゃなきゃ手に入らない時代
サラリーマンをしてて人気の公演の切符は
入手が難しかった。
幸い私の勤め先のビル、道路を挟んで向かいが
デパートで、そこでチケットが買えます。
といっても時間がママならず、発売日の昼休みは
無理で、午後、会社を抜け出しました。
ふまじめなサラリーマンです。
案の定ショルティは売り切れ。
バレンボイムしかありません。
ショルティを大して分からなかった当時の私は
「バレちゃんで仕方ないか」
○
他の公演や映画もそうですが、個人的な都合を優先。
ふだんは残業しまくってるのに、その日はさっさと
仕事を切り上げました。
チャイコフスキーを振ったのですがこれがひどい。
(ご自分のチャイコ)なんでしょうが
下手な創作料理を食わされるみたいでさっぱりワヤ。
曲の途中で席をけって、とまで思ったほどです。
他の客に悪いから我慢、我慢、我慢、がまん
自分のためにやってるバレちゃんは、作曲家も
ロシアの文化も、先人の演奏も、何もかも
ぶちこわしてみせたのでした。
少し前にムラヴィンスキーのレニングラードで
圧倒的なチャイコフスキーを聴いている耳には
こわれて、はじけたバカモノでしたね。
高い金払ってるのに。
○
結局バレンボイムは「一流の下」でしかないことは
その後の歴史が証明しています。
音楽とは自己表現のためだけにあるものではないのです。
自分の個性は出しても音楽から外れてはいけません。
グールドのバッハだって、やはりバッハ。
そこから逸脱してしまうバレちゃん。
○
今年のウィ-ン、ニューイヤーコンサートはその
バレンボイムが振りました。
やっぱり私は嫌いだねえ。
特に最後のラデツキー行進曲は何だあれ。
楽団に演奏をさせたまま指揮者は団員と握手を
しているのです。
一人一人ですから演奏のジャマ。
バレが回ると数人はまともに演奏できません。
握手なんぞは後で好きにやったらよろしい。
客に見せるものではありません。
曲の指揮はどうなってるんだ!
もうどうでもいいとしか思えないですね。
もしかすると最後はオマケと思っているのかも。
それも客をバカにしたことじゃありませんか。
人によれば最後が最大の楽しみ、一生に一度の
経験かもしれないのに。
クライバーなんてよかったね。
ちょっとだけ客の拍手をコントロールして
曲も盛りあげていました。
客もものすごい興奮。
音楽の楽しさを繰り広げてみせたクライバー
それと比べては可哀そうか。
バレンボイム、今ごろは「今回は良かった」と
ひとり悦にいってるんでしょうね、ば~か。
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