自分から動くことが大切です。(=能動)
分からなくても自分で考えて、そうなら価値がありま
す。
自分で動かず、すぐにヘルプミーは分かっても駄目。
勉強の意識、自立心、競争心(主に自分に向けて)
などが求められます。
それは言葉で伝え分かってもらう事ではありません。
このブログでもすでに書いているように「それが当り
前」という空気を醸成することです。
親の背中の大切さでしょう。
分からないと言えるから進歩します。
自分でわからないところを意識することは
たいそう立派なことです。
大人でも、何がわからないかが分からない、と
いうことはよくあります。
その場合は「分からない」とすら言えないものです。
もしも質問をできるということになれば更に
進んだことです。
○
同じ質問を受けて答えが2通りあるとします。
一つは「分かります」そして正解を言います。
もう一つは「分かりません」と答えられません。
普通は「分かる」ほうがエライですよね。
でも場合によっては分からない方が一歩深く
考えていることがあります。
電線にカモメが5羽います。鉄砲で1羽打ちました。
何羽残っているでしょう?
4羽というよりも0羽というよりも「分からない」
と答える人が一番よく考えていますよね。
「電線にカモメ?」とかね。
◎
分からない、だから面白い、という人がいます。
私は、分かる方が面白いと思います。
分かる過程が面白い、といいましょうか。
ピカソの絵は分からないけれど何か面白い、
そういう考え方は「アリ」でしょう。
ただ、それも
分からない、ということはそこに分かる喜びが
埋まっているからでしょう。
そこで面白くなりそうだと思えるのではないで
しょうか。
『バッハを知らないヒトは幸せである。
なぜなら、これからバッハと出会えるから。』