価値ある「分からない」

2007-07-22 09:55:58 | 塾あれこれ

自分から動くことが大切です。(=能動)
分からなくても自分で考えて、そうなら価値がありま
す。
自分で動かず、すぐにヘルプミーは分かっても駄目。

勉強の意識、自立心、競争心(主に自分に向けて)
などが求められます。

それは言葉で伝え分かってもらう事ではありません。
このブログでもすでに書いているように「それが当り
前」という空気を醸成することです。
親の背中の大切さでしょう。

分からないと言えるから進歩します。
自分でわからないところを意識することは
たいそう立派なことです。
大人でも、何がわからないかが分からない、と
いうことはよくあります。

その場合は「分からない」とすら言えないものです。

もしも質問をできるということになれば更に
進んだことです。


同じ質問を受けて答えが2通りあるとします。

一つは「分かります」そして正解を言います。
もう一つは「分かりません」と答えられません。

普通は「分かる」ほうがエライですよね。

でも場合によっては分からない方が一歩深く
考えていることがあります。

電線にカモメが5羽います。鉄砲で1羽打ちました。
何羽残っているでしょう?

4羽というよりも0羽というよりも「分からない」
と答える人が一番よく考えていますよね。
「電線にカモメ?」とかね。


分からない、だから面白い、という人がいます。
私は、分かる方が面白いと思います。
分かる過程が面白い、といいましょうか。

ピカソの絵は分からないけれど何か面白い、
そういう考え方は「アリ」でしょう。

ただ、それも
分からない、ということはそこに分かる喜びが
埋まっているからでしょう。
そこで面白くなりそうだと思えるのではないで
しょうか。

『バッハを知らないヒトは幸せである。
 なぜなら、これからバッハと出会えるから。』


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