論理で行こう

2011-05-24 20:49:54 | 塾あれこれ
『陽のあたる空いたベンチへクールビズ』


のっけから駄句で恐縮です。
短詩の場合、あいまいな部分が残り易いですね。

良い句は表現されていない部分が広がりを生みます。
よって、広がりを生むべく削りこむことが望ましい
のですが、それが難しい・・

削ったことによって、アイマイさが出てはいけません。

作った当人は自分の頭に句のイメージがありますから
出来あがったものは(曖昧さを切り取り、削り込み)
・・出来たと思うのですが、他人は様々な読み方をされ
ますので、結局、アイマイだったと分かるのです。
(突拍子もない読み方は間違いと思いますが、ねえ)

後日、自分で見返して弱点を発見し冷汗がでますね。

さて上の句はどんな欠陥があるでしょうか?
(本日出来たので私にも分からない)

まず分かるのは、音が悪いね。 ベ、ビ、ズってね。
実は朝日新聞に「クールビズも季語になるだろう」なんて
書いてあったので、私も一句、とヒネったのです。

ビズは仕方ないけれど「べ」がどうしても入っちゃう。

まったく違う情景を考えねばならなかったのですが手抜きで
すみません。

自由に作ると言ってもじつは難しく、論理で考える方が
確実なのですね。
上の句の製作過程(おおげさ)も一応論理を使っていますが
詳細は、モッタイをつけて、ここでは申しません。


さて実は・・・ここで話題が横に外れます。

物の考え方を教えるべし、というのが教育の本来の目的
ですが、これが難しい。
誰に教わらなくても一定程度はいつか身についてしまう
だけになおさらです。

(↑相当、話が飛びましたね)

いずれ考え方は身に付くから教えないでよいか?
現代社会ではそうもいかないでしょうね。


考えるということの教え方が難しいからでしょうか
「自分の好きなように自由に考えてみよう」という教育法が
流行っているようです。

発想法としては基本であり、正しいのですが
考え方=論理としてはごく初歩の一つの入り口にすぎません。

ところが小学校で、これだけで済ませている生徒がいるのでは
ないかと思われることがあるのです。
きちんと物事が考えられないのですね。

根拠もなく「ぼくはこう思う」
あてずっぽうを言って「こう考えてみました」

「で、どうしてそう考えた?」こう訊かれると
何も答えられないのです。

大人が圧力をかけたり、子供に表現力がなかったり
という場合もあるでしょうが、実はそうではなく
本当に何も考えていない!

(いわゆるパニックは次回言及します)

「それって、ほぼ何も考えていない・・・」思わず口から
出そうになりますね。
あるいは「あてずっぽうって無責任だよ」とか。

なまじ「自由に考える」などと本当は高等なことを
「教わった」ために伸びない生徒がいるのではないか?

考えてくれない子供にどうすれば考えることを教えられるか?

みなさんがお考えになる以上に難しいことなのですが
また次回、トゥ・ビ・コンティニュード。


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