![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/5c/ac210a6d05f2bab2eee19f23d0e1fbea.jpg)
『陽のあたる空いたベンチへクールビズ』
○
のっけから駄句で恐縮です。
短詩の場合、あいまいな部分が残り易いですね。
良い句は表現されていない部分が広がりを生みます。
よって、広がりを生むべく削りこむことが望ましい
のですが、それが難しい・・
削ったことによって、アイマイさが出てはいけません。
作った当人は自分の頭に句のイメージがありますから
出来あがったものは(曖昧さを切り取り、削り込み)
・・出来たと思うのですが、他人は様々な読み方をされ
ますので、結局、アイマイだったと分かるのです。
(突拍子もない読み方は間違いと思いますが、ねえ)
後日、自分で見返して弱点を発見し冷汗がでますね。
さて上の句はどんな欠陥があるでしょうか?
(本日出来たので私にも分からない)
○
まず分かるのは、音が悪いね。 ベ、ビ、ズってね。
実は朝日新聞に「クールビズも季語になるだろう」なんて
書いてあったので、私も一句、とヒネったのです。
ビズは仕方ないけれど「べ」がどうしても入っちゃう。
まったく違う情景を考えねばならなかったのですが手抜きで
すみません。
○
自由に作ると言ってもじつは難しく、論理で考える方が
確実なのですね。
上の句の製作過程(おおげさ)も一応論理を使っていますが
詳細は、モッタイをつけて、ここでは申しません。
◎
さて実は・・・ここで話題が横に外れます。
物の考え方を教えるべし、というのが教育の本来の目的
ですが、これが難しい。
誰に教わらなくても一定程度はいつか身についてしまう
だけになおさらです。
(↑相当、話が飛びましたね)
いずれ考え方は身に付くから教えないでよいか?
現代社会ではそうもいかないでしょうね。
○
考えるということの教え方が難しいからでしょうか
「自分の好きなように自由に考えてみよう」という教育法が
流行っているようです。
発想法としては基本であり、正しいのですが
考え方=論理としてはごく初歩の一つの入り口にすぎません。
ところが小学校で、これだけで済ませている生徒がいるのでは
ないかと思われることがあるのです。
きちんと物事が考えられないのですね。
根拠もなく「ぼくはこう思う」
あてずっぽうを言って「こう考えてみました」
「で、どうしてそう考えた?」こう訊かれると
何も答えられないのです。
大人が圧力をかけたり、子供に表現力がなかったり
という場合もあるでしょうが、実はそうではなく
本当に何も考えていない!
(いわゆるパニックは次回言及します)
「それって、ほぼ何も考えていない・・・」思わず口から
出そうになりますね。
あるいは「あてずっぽうって無責任だよ」とか。
なまじ「自由に考える」などと本当は高等なことを
「教わった」ために伸びない生徒がいるのではないか?
考えてくれない子供にどうすれば考えることを教えられるか?
みなさんがお考えになる以上に難しいことなのですが
また次回、トゥ・ビ・コンティニュード。
○
のっけから駄句で恐縮です。
短詩の場合、あいまいな部分が残り易いですね。
良い句は表現されていない部分が広がりを生みます。
よって、広がりを生むべく削りこむことが望ましい
のですが、それが難しい・・
削ったことによって、アイマイさが出てはいけません。
作った当人は自分の頭に句のイメージがありますから
出来あがったものは(曖昧さを切り取り、削り込み)
・・出来たと思うのですが、他人は様々な読み方をされ
ますので、結局、アイマイだったと分かるのです。
(突拍子もない読み方は間違いと思いますが、ねえ)
後日、自分で見返して弱点を発見し冷汗がでますね。
さて上の句はどんな欠陥があるでしょうか?
(本日出来たので私にも分からない)
○
まず分かるのは、音が悪いね。 ベ、ビ、ズってね。
実は朝日新聞に「クールビズも季語になるだろう」なんて
書いてあったので、私も一句、とヒネったのです。
ビズは仕方ないけれど「べ」がどうしても入っちゃう。
まったく違う情景を考えねばならなかったのですが手抜きで
すみません。
○
自由に作ると言ってもじつは難しく、論理で考える方が
確実なのですね。
上の句の製作過程(おおげさ)も一応論理を使っていますが
詳細は、モッタイをつけて、ここでは申しません。
◎
さて実は・・・ここで話題が横に外れます。
物の考え方を教えるべし、というのが教育の本来の目的
ですが、これが難しい。
誰に教わらなくても一定程度はいつか身についてしまう
だけになおさらです。
(↑相当、話が飛びましたね)
いずれ考え方は身に付くから教えないでよいか?
現代社会ではそうもいかないでしょうね。
○
考えるということの教え方が難しいからでしょうか
「自分の好きなように自由に考えてみよう」という教育法が
流行っているようです。
発想法としては基本であり、正しいのですが
考え方=論理としてはごく初歩の一つの入り口にすぎません。
ところが小学校で、これだけで済ませている生徒がいるのでは
ないかと思われることがあるのです。
きちんと物事が考えられないのですね。
根拠もなく「ぼくはこう思う」
あてずっぽうを言って「こう考えてみました」
「で、どうしてそう考えた?」こう訊かれると
何も答えられないのです。
大人が圧力をかけたり、子供に表現力がなかったり
という場合もあるでしょうが、実はそうではなく
本当に何も考えていない!
(いわゆるパニックは次回言及します)
「それって、ほぼ何も考えていない・・・」思わず口から
出そうになりますね。
あるいは「あてずっぽうって無責任だよ」とか。
なまじ「自由に考える」などと本当は高等なことを
「教わった」ために伸びない生徒がいるのではないか?
考えてくれない子供にどうすれば考えることを教えられるか?
みなさんがお考えになる以上に難しいことなのですが
また次回、トゥ・ビ・コンティニュード。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます