分かった・・それホント?

2011-05-25 19:36:08 | 塾あれこれ
「答えは?
(ア)ですか。
ということは主人公は嬉しいと思ってる?
どこらへんに書いてあるかな。
おおなるほど、ここに書いてあるね。
でも待ってよ、こちらにはこう書いてあるよね。
これって、嬉しいのかな?
(ア)でいい?
どう思う?」

ここまで(ゆ-どー)されて、×サインを出しまくられ
それでも自分の誤答にこだわる生徒はごく少数。

多くの生徒は大人の顔色で自分の答えが合っているか
間違っているか、まずそれを判断します。

すっとマルをくれなきゃ×なんだ、と。

生徒の中にはマルを得ることが勉強だと思っていて
自分が間違っていたら次の答え、また次、と矢継ぎ早に答え
どれかがマルになったら一安心・・いますよね?

そうしてマルの瞬間に頭の中から全てが消えてなくなる。
(こんな子供は昔からいました。)

間違った生徒に正しい理解を得させるために、
ステップを踏んでもらって、考えをリードしようと
「まず~をやってみよう、そこだけ出来たら教えて」

暫くして「出来ました!!」
最後まで答えを出しているのです。しかも・・・また誤答。

こちらが「まずやってみろ」といったことなど何も
手をつけていないことが多いのです。

私の言うことに含まれた「それ違うよ」というサインだけを
掬いとり(気を利かせて)しまうのでしょう。

ここまで(マル病)に取りつかれているのですね。

あるいは、ヒントが出たということは違ってるんだから
別な答えまで出しておかなきゃ叱られる、かな。

算数でも似たようなものです。

問題に出ている数字を足したり引いたりいくつか操作を
して答えがマルになればそれで終了。
どうしてその計算なのか、意味など考えません。

「先生、質問です。
 これって○○で割って最後に1を足すやりかたですよね?」

本人は「一生懸命考えて」積極的に授業に参加しているのです。
それはね、質問じゃなくて・・と説明します。

「・・ということですよ。分かった?」
「はい、分かりました」
・・分かっていると思います?

多くの子供は、大人が「分かったか」と訊いてくる以上、
分からないとは言いづらく、ハイと言います。

あるいは、ご当人は本当に分かった気持になっているけれど
実はさっぱり分かっていないのかもしれません。

もちろん本当に分かってくれる生徒もいますが。


本当に分かっているかどうか、すぐには判断できない
こともしばしばあります。
相手の頭の中は簡単には透視できませんよね。

いつも「君は分かったというけど本当は・・?」と
チェックを入れるのは大変にマズイと思います。
人間はプライドの生き物だから。

長い時間をかけて見ていると、およそ掴めるものです。
(だから一人の先生が見続けることが大切)


私は若いころ、頭だけで上記のようなことを思って
いましたが、実際の「現場」では甘く見過ごしていた
ことが多かったように思われます。

「分かった?」
晴れやかに「ウン!」

式も答えも完璧なら、つい「分かっただろう」と思いますよね。
少々の応用なら出来ちゃうし。

ところが。。


ですから、タマに勉強を見てあげて、ヒントを出し
考え方を完璧にリードしてても、それが相手に分かったか
どうかは、かなり疑問。

私の勝手な推測では、例えばごくたまに父親が教える、など
かなりな割合で「実は・・」
・・ああ、お叱りをうけそうですね。


スミマセン、また続きます。


分かるとはどういうことか
分かる必要があるのか
分かった気にさせる効用
「分かる」と「教えない」との関係
・・・など奥行のキリのない話がさまざまにありますが
ここでは棚上げしています。


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