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私の叔父は船乗りでした。
外国へもよく行ったようです。
(商船学校で教えたり、設計で食ったり、も)
晩年、老人性のチホウ気味になっていたとき
町で倒れて救急車で運ばれたことがあります。
小汚い格好をしたのがウワゴトで英語を口走るので
看護士さんが驚いたとか。
いつも硬い本を薦められましたが、あるとき柔らか
そうな小説の本を「読め」と出されました。
三人の名前で小説を書き分けた長谷川海太郎です。
本当に同一人物とは思えない大変な才能ですよ。
一番有名な筆名が林不忘、丹下左膳ものです。
薦められた本は谷譲次で書いた『テキサス無宿』
めりけんじゃっぷ物のひとつです。
海太郎は若い頃に外国に出かけており様々な体験と
共に差別もたっぷりと味わっています。
そのあたりが叔父も体験的によく分ったようで
「これはよく書けている」
私に、日本人はカラードであるということを
知っておけということだったのでしょう。
近年は減っているようですが金持ちになった事も
関係しているでしょう。
しかし、なかなか消えるものではありません。
ロコツにできないことだけに却って。
人間とは悪い感情は生まれやすいのですが
その反対に消し去るのは難しいようです。
近年、日本では中国人を悪くいう人が多いのですが
日本の長い歴史でこうなったのは百年前からです。
日清戦争でリスペクトが無くなったと言われます。
昨日のサッチモが苦しんだ差別の話で今日は
横道にそれてしまいました。
パバロッテイの手ぬぐい、もしくはバンカラ学生の
腰にぶら下がっていたゾーキン?の話は、明日。