塾ならできる

2010-11-22 10:53:32 | 塾あれこれ
知った人の作ってくれるケーキ、美味しいですね。
ただ、場合によりお店のほうが濃い味で美味しく
作ってくれたのは多少物足りないなんてこともあります。
テキはプロですから、勝つのは難しい。

そんなときにどういう表現をするか。

私には子や孫はいませんが、かわいい小学生がいたりして
作ってくれるならば「ん~、これは旨い」と言うはずですし
それがカミサンのものでしたら正直に「もうちょい」とか
言うでしょうね。

相手により評価が変わります。
ましてやプロのものなら厳しく味わいます。

もし、一律に評価して孫のケーキにダメを出すジジイが
いたら、情けない、というか人としてどうか。。。


勉強の評価はどうでしょう。

今まで漢字が苦手だった子が努力をみせはじめた時期
ならば止め撥ねなど煩く言わず、マルをつけます。
誉めてあげるべきです。

トメハネは次の段階で。

逆に同じ漢字テストでもトメハネを厳しく言わねば
ならない生徒もいます。
DSじゃないんだからきちんと書こう、ってね。

つまり同じことを答えても人により評価基準が
違うのです。

一律に評価するのとどちらがよいですか?

他塾も参加するようなテストで成績をつけるのなら
採点基準は一律にしなければなりません。
出来具合を比較するのですから。

そうでない場合は一律の基準は手抜きに通じ
人として相手のことを考えていないと思います。

とはいえ一斉授業ではやりづらいでしょうね。
「何であの子の場合マルなんだ?」ってね。

出来ない子がマケてもらって却って委縮することに
なりかねませんし。

人間的な対応ができるのは「個別」だから。


個別の評価基準で神経を使うのは国語ですが
その他の教科でも人により時期により評価が動くのは
当然であります。


以前にも引用しましたが京大辻本雅史教授の
『「学び」の復権』から。

明治になって西洋式学校が始まります。

「学習者を中心においた近世的な教育観を捨て、
教える側を主体とした教育観、すなわち近代学校の
一斉教授中心の教育観に転換したことを意味している。
・・・
学習や教育の自由なあり方も排除されていった。いまの
学校に見られる教育・学習の画一化は、ここから始まった
のである。」


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